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スピリチュアル(=霊性)にいて思うこと

いわゆる【スピリチュアル】という言葉は、日本では一般の人々にとっては警戒されやすい。

そのイメージが悪質な宗教団体や、ネズミ講式のセールスと絡んでくるからだと思う。

スピリチュアルという言葉は、そもそもどこから来たのだろうか?

哲学の流れの中に心理学という部門がある。
スピリチュアルを信じる人々の中に、しばしばその心理学の分野の内容を孕んじている点をしばしば見つける。

例えば、フロイトの力動説や、夢診断など。
インナーチャイルドについても同じだ。

哲学の潮流を知る人の中には、心理学は学問ではない、という人もいる。
だが日本の臨床現場(福祉、教育、)では、心理学の流れが非常に大きいシェアを占めている。
その議論をここでするつもりはないので割愛するが。

スピリチュアルはまさに心理学から生まれたものと捉えてもいいのではないだろうか。
そしてスピリチュアルが人生に及ぶ影響は人それぞれ違うものの、誰しもその【霊性】を感じたことのある場面を持つのではないだろうか。

御神事、アニミズム性、日本には多様な神の姿が根付いている。
「見えないものの姿がある」とといったような感覚は、特に自然の中にいると顕著に現れだしてくる。
生命の規則性、連続性、生命同士の複雑極まる関係性。

私達人間は、あまりにもそこから逸脱してしまったようである。
社会の中の自分の在り方、人々はそれに手本があるような錯覚を起こすが、
社会も一つの生命体の集まりだと私は考える。
あちらで何かが勃興すれば、必ずそちらで反対勢力が生まれてくる。
そうやって人間社会も、自然界のようにバランスを取っていくのだ。

スピリチュアルが正しいだとか怪しいだとか、どちらの意見もあって当然なのである。

社会の中で「正しい在り方」を主張する人々がいかに自然から離れてしまっているかを感じずにはおれない。




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