『未成年記』 / 18歳の誕生日にあたって
3,500文字程度あります
私は明日———『11月1日』、誕生日を迎える。
そして18歳。成人する。大人になるということ、だと思う。
あまりにも実感がない。
成人したその瞬間、人生は何か変わるだろうか。まさか、チュートリアルの終わったソシャゲのように大量の配布とポップアップが出る訳ではないだろう。
成人すると権利がいくつか増えるが、どれも明日すぐに行使したいことではない。バイトもしてないのにクレジットカードなど契約しようとは思わない。
まして酒タバコ等嗜好娯楽の類はまだ先、20歳になってからだ。まだやるかどうか考えてはいないが。
事実としてあと一度日を跨げば成人するというのに、驚くほど何の実感も湧いてこない。成人になるというのはそういうものなのだろうか。日を跨いだ途端に"成人記念ガチャチケット×10"が配布されたりはないのだろうか。
今ここに、そんな私の子供時代を振り返ろうと思う。
幼少期編
不自由なく生を受け、私より4歳年上の猫「メイ」、私が2歳の頃に新たに来たもう1匹の猫「レオ」と共にすくすく成長。あの日、ケージから出て初めて我が家に足を踏み入れたレオのことをまだ鮮明に覚えている。
覚えているといえば同じく2歳の頃、夜中に2階の階段から転がり落ちたこともあった。あれは本当に痛かった。
そういえばあの頃、庭にベンチがあって、母親はそこに腰掛け、シャボン玉にタバコの煙を入れて"煙玉"を作って見せたことがあった。今考えると教育的によろしくないが、あれは記憶でも上位のオモシロ映像だったように思う。
幼稚園に入園し、初めて色んな人間と出会った。あまり思い出はないが、ある日園内で転び、当時かわいかった子に手を差し伸べられたという体験。これが私の性癖を歪ませたような気がする。あと、この頃「その子と泥沼で遊び、最後には溶け合ってひとつになる」という夢を4度ほど見た。これはガッツリと現在の性癖に影響している。
決して不純な経験ばかりではない。この頃私は友達をたくさん作る人間だったから、楽しかったと記憶中枢が言っている。そして、私と同じ日に生を受けた親友がいる。これはかけがえのない出会いである。
彼の家でホットケーキを作った思い出がまだ残っている。
小学校編
そうして暫くすると、同じ幼稚園からの人間と、知らない人間とが1:1で混ざり合い、小学校生活が始まった。
小学生時代の記憶は断片的だ。小1のころ軽いいじめを受けていたようなのだが、3年後にはそのいじめっ子と良き友人関係となったから嘘かもしれない。
入学してすぐ、6歳下の弟ができた。初めの頃は楽しく遊んでいた気がするが、今となっては邪魔だ。彼とはユーモアが合わない。
同じ頃、私は初めてインターネットに触れた。吸い込まれるようにゆっくり実況を見て、親のパソコンでMinecraftをやっていた。しかし周りの人間は誰もインターネットを知らなかったから、その話題を分かち合うことはできなかった。
6年生の頃、若かった担任はめちゃくちゃにナメられ、クラスメイトは授業中に3DSのスマブラを遊び、弱い女子がいじめられていた。私はというと、大体の人間と仲が良かったために標的にされることもなく、小心者だったために一切の非行を犯すこともなく、いじめっ子ともいじめられっ子とも遊んでいた。
今思うとめちゃくちゃなやつだ。あのいじめられっ子は私を見てどんな気持ちだったのだろうか?
結局小学校ではインターネットに精通した人間がおらず、私は一人Youtubeを見まくっていた。28さんのダイヤモンドブロックトラップタワーシリーズと、阿吽の二人組の黄昏の森シリーズを。
中学校編
そんな暮らしを続け、中学校に入学。素行悪めの人達が偶然まとまって少しレベルの低い方に、私といい子たちがほんの少しレベルの高い方の中学校に割り振られたために、いい子の生活をした。
近所に住む仲のいい年上に誘われ、なんの下調べもせず剣道部に入部した。
剣道部で、最高の人間に出会った。あの人間はインターネットを楽しみ、サブカルに浸かり、頭の回転はすこぶる速く、手先は器用だった。そして絵が上手い。言わば私の上位互換であると、今でも思う。
顧問や部員に恵まれ、部活に励んだ。結局、今でもあの人間には一度も勝てたことがない。試合でも、テストの点数でも、人間性でも。
中2のとき、我が親友———同じ日に生まれたあの親友と再会した。彼は別の学校に行っていたので、幼稚園以来の再会である。彼は文武両道を体現したような男で、野球部で活動する傍ら、たいへんな読書家である。そしてスマホを含むゲーム機の類に何一つ触れたことのない希少な人間でもあった。
でも漫画は読んでいるから大体の学生の話についていけるし、発する言葉の節々に高い知性があった。しかもピアノも弾ける。本当にハイスペックな人だ。
当時から考えていたことだが、彼は「天才」として当たり前のように見られることを薄ら嫌がっていたように思う。
そして、3年生の4月11日。
私が生まれた時からの家族である猫の「メイ」が他界した。日々弱り、それでも長く生きていた。
私は人生で初めて、目の前の“生死”を意識した。この日、人生で初めて咽び泣いた。
ほどなくして、我が家には3匹目の猫が来た。
これを取っかえ引っ変えと言うだろうか。薄情者と、節操がないと言うだろうか。
私はそうは思わない。
小さく大きい死を乗り越え、私は中学校を卒業した。高校は一般受験にしたが、試験日を意識していなかったために当日の午前1時までGTAVをやっていた記憶がある。
そういえば高校生活の数日前、あの親友がわざわざ私の家に来てスマホの設定の指南を貰いにきたことがあった。
別に私はdocomoショップの店員でもなんでもないが、信頼されているのを感じて嬉しかった。
頼まれた通り設定を手伝ってやり、そして人生で初めて親友とスマホゲームをした。
彼の初めてのスマホゲームは、PUBG mobileであった。
高校編
高校に入学したとき、私は困惑していた。勉強が難しいからではない。勝手が分からないからでもない。
私は人の名前を覚えられなくなっていた。
元々、名前を覚えるのは得意だったほうだ。それに幼稚園、小学校、中学校、クラスメイトの名前はほとんど覚えているといっていい。なのに高校で知った人間だけは記憶に残ってくれない。
仲良くなった人間はいるが、それも名前を覚えるのに4ヶ月はかかった。これを書いている今は高校3年生だが、今でもクラスメイトの半分以上とは名前を知らないまま話している。なんなら毎日初めて見る顔だなと思っている。私はどうしてしまったのだろうか?
高校生活は瞬きだ。部活らしい部活をしていなかった1年生のとき、毎日学校に行って帰ってあの大人気新世代オープンワールドRPG『原神』をしていたら10ヶ月が経っていた。当時、この事実に驚いたことを覚えている。
あまりに無の生活だったから、11月1日……ちょうど2年前、1年生の後期に、遅れて部活に入った。部員は私のようなインターネット漬けの人間ばかりで言ってることもだいたい分かる。あの集団はとても過ごしやすかった。
大会、悔しかったな。
去年の12月24日、コロナに感染した。しかしそれはどうでもいい、苦しかったがどうでもいい。それよりも大事なことがあった。
12月25日、クリスマスの午前1時45分。
私が2歳の頃から共に過ごしたもう一匹の猫、レオが他界した。その時も私は嗚咽した。死体の冷たさ、硬直した筋肉の硬さというものは容易に忘れられるものではない。
今でも、夜中に猫がリビングで寝ていると心臓が跳ね上がる感覚を覚える。
そしてまた、新しく猫を迎え入れた。
今度は双子。
私の人生には常に猫がいた。
今
そして今は受験期。しかし私は指定校推薦の、それも一番楽な道を選んだので、もう何の重荷もない。周りの人間は苦しみ、必死に前へ向かっている。それに比べた"苦労しなさ"に、私も思うところがない訳では無い。
いや、嘘。全然なんとも思ってない。
写真部として軽い気持ちで出品した写真が入賞して急に大会行くことになったりはした(つい先日のこと)が、概ね波風立たぬ人生を送ってきた。
にしても、幼少期に一番思い出があるのはどういう事なんだろうな。
ともかく、明日から18歳だ。法的に大人になる。
私は、どうなる。
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