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家裁調査官が行く❹

※神戸新聞朝刊で2022年7月19日~8月1日、長期シリーズ「成人未満」の一部として掲載した全10回の連載「家裁調査官が行く」を、note用に再編集した記事の最終回(4回目)です。
シリーズ「成人未満」は、成人年齢が18歳に引き下げられた22年4月に改正施行された「少年法」を再考する意図で企画されました。
          神戸新聞記者 那谷享平

希望…「変わりたい」偽りない気持ち

少年審判廷。家裁調査官の報告を受け、ここで裁判官が少年の処分を決める

家裁調査官が行く❸」から続く
 父親の女性関係に振り回され、同居する母親やきょうだいがころころと変わったリサ。家庭は安息の場ではなかった。地元の不良仲間に居場所を見いだそうとして大麻を覚え、覚醒剤の乱用にまで至った。
 リサの調査を担った40代の女性調査官ヤマダは「異質な家庭に生まれた。ずっと『自分は何者なのか?』『本当の家族なのか?』という葛藤があったはず」と、その心境を思いやる。
 元々真面目な性格だっただけに、リサには「ダメな方向に向かっている」という自覚があった。自己嫌悪から逃れようと、また薬物に手を出す。アルバイトがうまくいかないときや援助交際の後に、薬物を欲した。
 ヤマダは思う。「彼女にとって薬物依存は生き残りの道だったのだろう」。破滅的な振る舞いは境遇にあらがい、生きるための格闘だった。
 しかし、リサが本当に求めていたのは、愛されるという実感、心から安息できる場所だったとしたら―。薬物の快楽では決して埋め合わせできない。
                ■
 ヤマダとリサの面接は4回、計約10時間に及んだ。最後はリサが体調を崩し、まともに話を聞けなかった。調査で過酷な経験が全て洗い出せたとは思えない。「さらに何かが家庭内であったのではないか」とヤマダはみたが、本人は語ろうとしなかった。
 周囲に支えてくれる大人はいない。父親は調査官との面接を拒否した。あまりの寄る辺のなさに、ヤマダはもどかしかった。一方で迷いはなかった。今後は少年院での教育にゆだねるしかない。調査が終わり、審判で裁判官がリサの少年院送致を決めた。
 少年院では心理学や精神科学の専門的知見に基づく教育を受けながら、生活の立て直しを目指す。楽観はできない。薬物依存の治療は長期間を要し、完治は難しいともいわれる。
 家族や自分への混乱した感情も整理できていない。審判後のある日、リサは言った。「しなくても良い経験をした。10代で世の中の悪いところもかなり見てきた。『他の子たちと私は違う』と思ってしまい、うまく周囲に溶け込めない」
 それでも、ヤマダはリサに期待している。「『変わりたい』『頑張りたい』という気持ちは、どの少年も少女も持っている。その気持ちにうそはない」。周囲の支えで変わっていく若者を何人も知っている。
 リサの小さな背中を見つめ、ヤマダはエールを送る。どうか自分に価値を見いだせるように、と。そして祈る。「これから巡り会う人たちが彼女を受け入れ、助けてくれますように」
                ■
 家裁調査官は、過酷な人生を歩む少年や少女に出会う。未来もまた過酷かもしれない。調査官の仕事はあくまで、少年審判に向けた調査だ。では、誰の役目なのか。非行に流れてしまいそうな、あるいは非行に走ってしまった少年たちを支えるのは。=文中仮名

識者に聞く…関西学院大・前野育三名誉教授「格差社会が厳罰化を招いた」 

関西学院大の前野育三名誉教授=神戸市中央区

 刑罰よりも、立ち直りを重視する。連載では、少年法が掲げる立ち直りや社会復帰を、家裁調査官の仕事と非行調査を受けた少年少女の姿から考えた。少年法が専門の前野育三・関西学院大名誉教授に、矯正教育の現状や課題を聞いた。
 ―連載に登場した未成年をどうみるか。
 「1980年代に少年非行が大幅に増加した時期があった。当時は、どんな家庭からも非行少年が出るという論調だった。ところが、今は非行少年を出す家庭は特殊で、『われわれの家庭とは全然違う』という感覚がある」
 「実際には少年非行は大きく減り、重大犯罪は増えていない。だが、今は特別大きな事件が注目され、普通の非行に目がいかない。少年法が保護しすぎているという受け止めが出てきてしまう」
 ―社会の認識が変わったのか。
 「貧富の格差などが固定化してきて、人々の心にあきらめが生じてしまっている。諸外国でも、社会的格差の拡大は厳罰化を招いた。問題を抱えた家庭を、共通とは捉えなくなっている。共感がなければ、問題が社会とは切り離されて個人の責任に帰結してしまう」
 ―家庭からも社会からも追い詰められる子がいる。
 「罪を犯す少年らの多くは社会に生きづらさを感じている。さらに追い詰めてしまうと、社会に対して反発を強め、凶悪な犯罪を招きかねない。子どもらが息をつける、過ちを犯しても帰ってこられる社会をつくることが重要だ」
 ―一方、被害者の視点が配慮されず、十分な謝罪がないケースも多い。
 「被害者のケアは不十分な部分があり、支援策は非常に重要だ。だが、刑事法や少年法の研究者で、厳罰化すれば犯罪が抑えられると考えている人はほとんどいない。社会全体を見据えた長期的で理性的な観点を持つことも大切だ」
 ―現行制度の課題は。
 「かつては調査官も(課題解決に向けて支援する)ケースワーカーという意識が非常に強かったが、今は少年審判に役立つ情報を提供して終わるべきだという考え方が強くなっている。少年鑑別所など別の法務省の処遇機関が役割を充実させたからだが、事件を起こした直後は、少年が自分の問題を最も受け入れやすい時期で、もっと有効に使うべきだ。少年法の手続きは、やはり少年に問題を自覚させて成長させる要素がある。警察官や検察官とも違う調査官だからこそできる役割がある」

家裁(家庭裁判所)調査官とは

少年事件で、当事者の少年を調査する国家公務員。裁判官が少年審判で適切な少年の処遇を決定できるように、心理学や教育学などの知識も生かして非行の背景を調べる。捜査機関の捜査とは異なり、調査は本人や保護者の面接や関係先への情報収集などで、審判も少年の更生を目的とする。離婚や親権争いなど家事事件の調査も担当する。