新型コロナ禍の長期化もあり、日本経済が本格的な浮揚に至っていないのはご承知の通りです。世代によっては「生まれてから、景気の良い時代なんて経験したことがない」という声もあるかもしれません。
経済停滞が叫ばれて久しい日本ですが、かつてジャパンマネーが世界を席巻した時代がありました。米国の社会学者が「ジャパン・アズ・ナンバーワン(世界の頂点にいるも同然の日本、といった意味)」という本を著したのは1979年のことです。その高度経済成長はやがて90年代初頭のバブル崩壊、その後の長期低迷につながるのですが。
日本企業がバブル景気に踊っていた頃は、国や自治体も競うように、巨額の税金を投入するプロジェクトを次々と生み出しました。それらはバブルがはじけたことで泡と消えましたが(実現したがためにその後、大きな負の遺産となったものも多くあります)、中には、今改めて聞くと「ホントにこんなこと計画してたの⁉」と思うような〝とんでもプロジェクト〟もあります。
今回は私、ぶらっくまが、そんな「夢の跡」をいくつかご紹介します。
クジラやイルカ泳ぐ海水湖 海中トンネルや〝潜水艦〟で散歩…
記事にある米国やオーストラリアの「シーワールド」も大規模なのでしょうが、ここまで大きくないのでは、と思ってしまいます(すみません、詳しくは知らないのですが)。今なら環境、動物保護的にもいろいろと問題があるような…。この記事の5年後にオープン予定だったことにも驚かされます。
しかも、記事中の「淡路島リゾート構想」というプロジェクトは、この「シーライフパーク」建設にとどまらず、淡路島の3分の1に当たる約2万ヘクタールを開発し、10年間で約4千億円もの巨費を投じる計画でした。
当時は国全体が空前のリゾートブームに沸いており、淡路島リゾート構想も、この記事の前年の1988年10月に国の承認を得ました。記事末尾の兵庫県企業庁のコメントに、関西新空港(1994年開港の関西国際空港)、明石海峡大橋(1998年開通)と並んで出てくる「日仏シンボル」(日仏友好のモニュメント事業)も、それら大規模事業の一つでした。
「自由の女神像」に着想の巨大モニュメント 未完で幕
友好を示すモニュメントに200億円…。先述の「シーライフパーク」同様、今となっては現実味のないお金の使い方ですが、着工にこぎ着け、式典等も行われていました。震災がなければ、形になっていたかもしれません。
塩田跡に「甲子園45個分」の巨大リゾート 半世紀経て幻に
この巨大リゾート構想も実現しませんでしたが、計画が持ち上がってから正式に廃止されるまでに約半世紀を要しました。利害関係者が多く、撤退も難しいのが巨大事業です。実際はとうに頓挫している状態ではありましたが。
「21世紀海洋理想都市」といううたい文句は、日本が元気だった頃の勢いとともに、どこか、科学や技術の進展が人類の幸福に直結すると信奉していた時代の空気を感じさせます。いくばくかの物悲しさ、滑稽さを伴って。
このうたい文句が付けられたのは、過去記事によれば、1989年のことだったようです。当時の記事に、姫路市が設置した調査会が「21世紀海洋理想都市」と名付けた中間報告をまとめた―との記述があります。
淡路島―和歌山間11キロ 夢の海底トンネル
最後は、正確にはまだ消えていない構想です。上にある1994年6月の記事の主見出しに「紀淡道路」とありますが、「紀淡海峡連絡道路」「紀淡海峡横断道路」「紀淡連絡道路」などとも呼ばれます。
紀淡海峡とは、兵庫県の淡路島と、和歌山県の間にある幅約11キロの海峡です。和歌山を指す「紀州」「紀伊国」の「紀」と淡路島の「淡」で「紀淡海峡」。その海峡を横断する道路を建設する壮大な構想です。提唱されたのは1965年ともいわれます。
上の記事には、巨大な「紀淡海峡大橋」の完成予想図が付いていますが、関係自治体による「推進協議会」発足を伝える記事の本文では「紀淡海峡を長大橋かトンネルで横断する構想」と書かれています。
記事には「建設省は1991年、調査に乗り出した。92年に策定された第11次道路整備5カ年計画には事業具体化が盛り込まれている」との記述もあります。このわずか9日後の朝刊には、こんな記事が出ました。
建設省近畿地方建設局(現・国土交通省近畿地方整備局)が「海底トンネル」方式を費用面から断念し、紀淡海峡にある二つの島伝いに3本の橋を架ける方針―との記事です。「うち1本は明石海峡大橋と並ぶ世界最大級の長大橋になることが確実」ともあります。
さらに「5年後の1999年度までの着工を目指し」「完成は着工から10年前後とみているものの、今後の技術開発次第では工期の短縮も可能としている」とまで書いています。
しかしご承知のように、そのような長大橋は今もって完成していません。国が98年に地域高規格道路の候補路線に指定しましたが、その後目立った動きはありません。
ただ、構想は消えていはいません。兵庫、和歌山の地元などでは今も実現を望む声があり、関係自治体や議員、経済界などでつくる推進団体もあります。「紀淡連絡道路の早期実現を」といった看板を目にしたことがある方もいるかもしれません。2019年にはこんな記事もありました。
兵庫県がまとめた道路整備計画に、紀淡連絡道路など一見、実現性が低そうな7路線がなぜか「構想路線」として登場する、という記事です。県は「今は夢のような計画でも革新的な技術開発などが進み、可能になるかもしれない」としています。技術革新もさることながら、昔と違い、現代では人口減少などの環境変化も大きく影響するのは間違いないでしょう。
〈ぶらっくま〉
1999年入社。紀淡連絡道路については私も、淡路勤務時代にたびたび取材した経験があります。バブル期のリゾート計画と同列には語れない構想ですが、「夢のような」と形容して差し支えないほど実現のハードルは高いでしょう(ちなみに幾多のリゾート計画の背景には、国がつくった「リゾート法」の後押しもありました)。
ただ、いまの時代も巨大プロジェクトがないわけではありません。さしずめカジノを中心とする統合型リゾート施設(IR)でしょうか。メディアがよく使う言葉に「起爆剤」がありますが(最近は減っているでしょうが)、われわれの税金が投入される事業は特に、費用対効果などを冷静に見ていく必要があります。