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シン・長田を彩るプレイヤー ~地域に革新を!長田神社前商店街の敏腕“商売人”~(前編)


神戸市営地下鉄長田駅前から北へすぐ、1800年の歴史を誇る長田神社の参道にある長田神社前商店街。
今回のインタビューは、そんな歴史深い商店街で惣菜店「おかずふぁくとりー」を営む村上 季実子むらかみ きみこさんを訪ねました。商売人でありながら、長田神社前商店街振興組合の中枢メンバーとして地域活性化活動に尽力されています。


OLから惣菜店のオーナー、そして商店街の中心メンバーに

―記者―
今日はよろしくお願いします!
まずは簡単に、プロフィールを聞かせてください。

―村上さん―
1953年に、まさにこの場所で生まれて、それからずっと長田に住み続けています。
20歳の時にアパレル企業に就職しました。
5年働いた頃、今のおかずふぁくとりーの前身である練り物店をしていた両親に「継ぐんか?継がへんのか?」って聞かれて。
しゃあないからと25歳の時にOLを辞めて戻ってきました(笑)

―記者―
初めは惣菜屋さんではなく練り物屋さんだったのですね。

―村上さん―
そうです。でも練り製品の商売ってだんだん業績が落ちていて、「この売り上げではあかん、こんな商売しとったらあかんのちゃうか」と思ったんです。
そこから親戚のところで精進揚げの作り方を学んだりして、練り物以外の分野を増やしていきました。
実は、継いでから10年間は今のお惣菜のおかずふぁくとりーではなかったんですよ。
試行錯誤してやっていたら、だんだん賑やかになってきて。


おかずふぁくとりーのオーナー 村上季実子さん

近所の青年部を立ち上げようとしていた人の目にとまって、「再開発 が始まるから、青年部に入って勉強しないか」って誘われたんですよ。
勉強しなあかんのは嫌いやのに、ついついそれにのって、参加してしまったのが、今の商店街活動のきっかけですね。

※1988年にスタートしたサンドール長田の再開発事業のこと
・・・そそのかされたんですよ(笑)
その時はまだ若手の人も沢山いてたんですけど、女性は私しかいませんでした。
今でも女性の理事は私しかいないです。
他の地域で見てもかなり少ないんですよね。

―記者―
なぜ理事になろうと思ったのですか?

―村上さん―
私青年部の会議を休んだことは、ほぼなかったんですよ。
でもたまたま、なにかで休んだんです。
翌日行ったら青年部の部長になってたの。ひどいでしょ(笑)
なにもしいひんからねって言っていたのに・・・


商店街のトレードマーク、赤い鳥居の修繕


―村上さん―
35歳の時に再開発事業が始まったのですが、その再開発が終わった後に、神戸市に「ハードが整ったから、次はソフトの事をやりなさい」って言われて。
こういうまちになろうっていう最初のビジョンを作るワークショップをしたり、モニター会議をしたり、いろんなことをやって、いくつかの提言ができたんですよ。
その提言、ほぼ全部実行しました(笑)

―記者―
具体的にどのような取り組みがありましたか?

―村上さん―
ひとつ目は、商店街前の赤い鳥居の修繕です。
阪神・淡路大震災の時に、新長田とか菅原ばかりテレビに出てたんですよ。
焼野原やったじゃないですか。
お客さんの話によると、長田神社前も焼野原なってるやろって噂が立っていたみたいなんです。
長田神社前はそんなことない!とアピールするためには、全国ネットに残るような何かをしなあかんって話から、鳥居を建て直すことになりました。
地域の幼稚園児に除幕式をやってもらって、NHKやTBSに映してもらって。
それが、長田神社前は燃えてない、ここは生き残ってるって大きな宣伝になったんじゃないかと思ってるんですよ。

-記者-
赤い鳥居や商店街の様子をメディアで発信することで、長田神社前には活気があるということを証明できたのですね。

-村上さん-
そう、燃えてない、ちゃんと残ってるよって。
神社も燃えていないから、お参りしていってくださいって。
知り合いの人とか昔住んでいた人から「懐かしくて涙が出た。生き残ってたんや」って喜んでいただいた思い出がありますね。


地下鉄・長田神社前の誕生

-村上さん-
ふたつ目に、地下鉄(西神・山手線)の駅の名前を長田神社前に変えようってなったんです。
長田っていう駅が5つあるんですよ。
高速長田、神鉄長田、地下鉄長田。それからJR新長田や地下鉄新長田にも長田が入ってる。
5つもあるから、お客さんにとってすごく紛らわしいんですよ。
駅名はなかなか変えられないから、まず電車内のアナウンスを変えたんです。
阪神電車では「高速長田、高速長田、長田神社前」って言ってるでしょ。
そして地下鉄は地震の後に地下鉄海岸線ができて、これはチャンスだと思ったので、商業課に掛け合って地下鉄(西神・山手線)の駅名を「長田(長田神社前)」に変えました。
地下鉄も長田神社前ってアナウンスをしたら、それでいいんじゃないですかとも言われたんですけどね(笑)

―記者―
アナウンスではなくて、駅名の変更にこだわりがあったのでしょうか。

―村上さん―
今県庁前とか、体育館前とか、そこの地名じゃなしに建物とか施設の名前が出ているでしょ。
当時はそういう駅名はなくて、多分うちの「長田神社前」が最初なんです(笑)
なのでアナウンスだけじゃなくて、駅名もお願いして変えてもらったんですよ。

ポイント事業から広がった地域のつながり

―村上さん―
もうひとつの取り組みは、カード事業です。
もともと商店街でシール事業をやっていたんですけど、カードに移行していこうとなったんです。
それでタメ点カードを立ち上げました。

―記者―
ポイントカードのようなものですか?

―村上さん―
はい。加盟店で買い物をするとポイントがたまるのですが、タメ点カードの面白いところは、端数の100円未満(1ポイント未満)のポイントを地域の団体に寄付できるっていうシステムで、商店街での買い物が地域貢献に結び付くようになってるんです。
今では名前が萬福(まんぷく)カードに変わっていて。
ほんとは変えたくなかったんですけどね(笑)
加盟店は変わらないんですが、新機能が加わったんです。
カードをピッとかざしたら、お客様に事前に登録していただいた、目が悪いとか耳が遠いとかちょっと認知症の気があるとか、そういう配慮が必要なことが表示されるようになっているんですよ。
例えば、お客様が1日に2回来て、カードを見たら認知症の気のある方だった時、「さっき買ったからもういいんじゃないですか」って帰ってもらったり。
そういうことに役立っていますね。

―記者―
この事業で商店街と地域の人々との結びつきがさらに強くなったんですね。

―村上さん―
実は、タメ点カードの端数ポイントを寄付するシステムができたのも、地域との関わりの結果なんです。
初めにある婦人会が商店街にお花を植えるために、一部でもいいからお花代を負担してほしいって要望があって、
でも年に何回もそんなことできないし、あちこちに婦人会があるから、「ひとつの団体だけ支援するわけにはいかないし」って。
そんな背景があって、ポイントで任意の団体に寄付できるシステムができたんですよ。
この後話すイベントも、このカード事業で生まれた団体との繋がりと賑わいで実現できています。
周りの小学校とか婦人会、地域の人々とこれだけ繋がっている商店街はうちしかないと思います。
長田神社前商店街の自慢できるところです。

地域と密な関係を築き、まちを支え続けてきた長田神社前商店街。
前編は、村上さんが振興組合の活動を始めた背景と、地域活性化の取り組みについてお聞きしました。
後編は、長田神社前商店街の活気の秘密、そして村上さんの商店街・地域に対する想いについてお聞きします。
(編集:コゲちゃん・ほーちゃん)

後編記事はこちら↓↓↓