(創作)ぼくの知る街
夜九時の各駅停車に乗る。ぼくが降りるべき駅まであと四駅だ。ひと駅停車するごとに、今日のことを思い出した。
退屈なこと、楽しいこと…。割合はどちらの方が多いのだろう。少なくともいまのぼくは退屈だ。なら退屈さが一日のうちでいちばん優っていたのかもしれない。ゴムの紐がたわむように、列車につられてぼくの肩が揺れた。ようやく、仕事が終わったことに気がつく。
列車がどこか見知らぬ場所に向かって走り出すとか、知らない駅に降りて失踪するとか、そんな野暮な空想はやめた。ただ、自分自身の家まで見失うほど、この列車が猛スピードで走ってくれることを望んだ。窓に映る景色の輪郭もとらえられないほど、近づき、そして離れていくような速度に、激しく憧れた。そのとき、きっとぼくの体は本当の意味で停止するのだろう。
時刻はまだ九時七分だ。いずれ列車から降りなければならない。向かい側の席を睨むと、すでにそこには誰もいなくなっていた。少し悲しくなる。そしてまた膝に置かれたぼくの両手を見つめる。やり残したことはないか?両手に問い質すとと、いいえ、と返ってくる。嘘をついていると思ったが、手のひらは固く閉ざされていて、以降何も口をきかなくなった。
ブザーが鳴る。ドアが開いた。列車は停車している。ぼくは息を思わず止めた。その隙に、車内へ何人か乗客が乗り込み、出ようとするぼくの行く手を遮った。さかさまの方向へと進む人々にぼくは圧力を感じながら、ドアのすみをひとりで抜ける。
駅のホームに出ると、そこはぼくの見知った街だった。