こべこべ

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(創作)二一世紀最後の自由 第一話

 ほら、眠るまえに天井へ目を凝らすと、白い輪郭の幽霊が見えるだろ。雲のようにお前を眺めている、奇妙な女だよ。いまだってお前の鼻先へ息を吹きかけてる。わかるか?いや、分からないか……。  どうやらあいつはお前に興味があるらしい。今日だって一日中背中にくっついて、一挙手一投足すべて観察してたからな。最近肩こりがひどいと言っていただろ、原因はこれだよ。ほかにも熱っぽくなったり、身につけてるものが失くなったり、おぼえはあるはずだ。そうだろ?おれの目に狂いはないはずだ。とにかく、お前は

    • (創作)ぼくの知る街

       夜九時の各駅停車に乗る。ぼくが降りるべき駅まであと四駅だ。ひと駅停車するごとに、今日のことを思い出した。  退屈なこと、楽しいこと…。割合はどちらの方が多いのだろう。少なくともいまのぼくは退屈だ。なら退屈さが一日のうちでいちばん優っていたのかもしれない。ゴムの紐がたわむように、列車につられてぼくの肩が揺れた。ようやく、仕事が終わったことに気がつく。  列車がどこか見知らぬ場所に向かって走り出すとか、知らない駅に降りて失踪するとか、そんな野暮な空想はやめた。ただ、自分自身の家

      • (創作)J・アーノルドの手紙と小説

         いまぼくが書こうとしている文章は、本当はもっとずっと長く、大きなものになるはずだった。そう決心したのは何年も前で、ぼくはまだ野心と希望ににあふれた人間だったから、そうすることを当たり前だと思っていた。けれど、時間はおそろしいものだ。「あの経験」以外を除いてすべては何も変わらず、ぴくりとも動こうとしなかったのに、驚くほどの早さで月日は流れて、結局ぼくはタイプひとつ触ろうとせず、机に向き合おうともしなかった。―いや、もしかしたら「あの経験」を起点として世界はようやく時間との相関

        • (創作)大きな犬

              -犬にまつわるひとつの断片-  タロウの寝床が冷たくなって、二十四回目の朝がやってきた。いつもなら散歩のために早く起きなければならないマサルは、三十分も遅く寝坊してしまい、危うく学校に遅刻しそうになる。五年も一緒に住んだ飼い犬だ。愛犬を失った悲しみもあるが、もう面倒を見なくてもいいという浅はかな安心感が彼の眠気を増大させた。布団から飛び起きると急いで服を着替え、朝食も食べずに歯を磨き、ランドセルを背負って勢いよく玄関を飛び出した。  一体タロウは我が家のどこが不満だ

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        (創作)二一世紀最後の自由 第一話

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          (創作)The Girl

           私が喋らなければいけないことに気づいたのは、観客の視線が一挙に私へ向いたときだった。白熱したスポットライトが体に当たった。火照った顔の内側で必死に次のセリフを思い出そうと努力するが、それは徒労にすぎず、もはや直前まで自分自身が何者だったのかも思い出すことが難しかった。私は誰だろう。これから何をするつもりなのだろう。そう何度も反芻するが、心臓の鼓動は早すぎる時計のように私の気持ちを急がせている。  相手役の俳優に助けを求めて視線を移すが、彼もまた混乱した様子で額に汗を浮かばせ

          (創作)The Girl

          (創作)舟のうえ

           ジュニアは、父のフランクに誘われて釣りへ行くことにした。日曜日のよく晴れた日だった。空に雲はない。フォードのマスタングに乗ると、湖まで一時間ほどのドライブが始まる。  父は最近母と折り合いが悪く、そのために自分が利用されていることは、まだ幼いジュニアにも想像ができた。母には教会に行くと伝えている。父は絶対に秘密にしろと言い、ジュニアは口をつむぐと約束した。  もとから二人はよく釣りに出掛けていた。よく行く湖は穴場で、日曜日でもほとんど人はいない。あるときフランクが捨てられた

          (創作)舟のうえ

          (創作)女のいる帝国

           一つの帝国が生まれ、栄え、衰え、滅びる。後から想い返せば、それは男たちの些末な夢だったのかもしれない。廃墟に流れる風が伝えるものは、もはやそこで誰が暮らしていたのかも分からない、全てが混然一体となった過去だった。あの男たちは一体、歴史のどこへ消えていったのだろうか。そして現代の建国者たちもまた、失われていく権力の中で、何を目撃しているのだろうか。  上は一面の青。そこにひび割れのように黒い線が幾重にも交差している。空と電線は奇妙なほどよく似合う。塗り残されたように、余白が片

          (創作)女のいる帝国

          (創作)海の蒼穹

           ある夏の蒸し暑い夜。枕を汗で濡らしながら、ぼくは海水浴場の夢を見ている。子供の頃、両親によく連れて行ってもらったそこに、当時の姿のままのぼくがいた。  晴れない空の下、色とりどりの水着を着た人たちが気怠そうに佇んでいる。熱い息混じりのお喋りが交わされる中、ぼくは砂粒でジャリジャリするビーチサンダルで、薄い影を踏みつけながら、一目散に海へと駆けて行った。  パンパンに膨れた浮輪に掴まって、浜辺から海に溢れ出た人たちをどんどん追い越していく。お父さんから貰ったシュノーケルを付け

          (創作)海の蒼穹

          (創作)遊園地の大人たち

           降水確率は九十パーセントと今朝の天気予報は言っていた。ぼくが仕事を終えるころには、窓を這うしずくの群れが、ちらちらとふるえながら音を立てはじめていた。ちょうど夜の十時だ。腕時計と壁にかかっている時計の針を見比べると、会社の時計は三分早いことがわかった。今日の業績をぜんぶパソコンに入力したら帰れる。あと少しだ。そう自分に言い聞かせながら指の関節を曲げ伸ばししてキーボードを押しつづけるが、頭はぼんやりとして仕事に集中できなかった。  雨の音はさっきよりも強くなっているが、本当は

          (創作)遊園地の大人たち

          (創作)琥珀の家

           家と家のあいだを走る道路のうえで、一頭の犬が、肉をくわえていた。人はみな寝静まったころだ。街灯だけが青白い光で道を照らし、家々の窓は暗い影で覆われていた。湿った眼球を光らせながら、犬は怒りと満足感にひたっている。血で濡れた顎を上向きにし、犬はこれから向かう場所を探しているが、街ぜんたいが他人の侵入を拒むように、あたりのドアや窓は、すべて閉まりきっていた。ここに犬がいることを、誰も知らない。荒い息づかいは、誰の耳にも届かなかった。そしてしばらくすると、アスファルトに突き立てた

          (創作)琥珀の家

          (創作)眠れないまま思うこと

           どこからか、水の流れる音がしてした。雨が降っているのかな。明日の朝のことについて考えると、たまらないくらいに心臓の鼓動が大きくなった。とん、とん、とん、と首筋を通って私の耳にふるえが伝わってくる。明日まで雨が降っていたら、登校するとき傘を差さなくちゃならない。水気で重たくなった前髪を想像した。先月に雨が降ったとき、雑巾みたいに髪の毛の束を絞ったら、雫がぼろぼろ落ちてたな。あのときは傘を差してたっけ。クラスのほかの子たちはタオルを持ってきていて、素足を拭いていたけど、私は濡れ

          (創作)眠れないまま思うこと

          Summer of '06

          「閉めるね」  声が聴こえて、ベッドでぼくはひとりになった。頭からつま先まで、全身を毛布で包んだ。ぼくはまだ起きていたかったけど、まわりは瞼を閉じたみたいで、暗くて何も見えない。部屋の灯りも消えているから、ほんわりとした光が毛布を透かして内側へ漏れてくることもなかった。もう夜の九時だ。  低い音が聴こえる。パパの声だ。高い音が聴こえる。ママの声だ。二人が何を話しているのかはよく分からないけど、きっとぼくに関係する内容に違いない。昨日の夜、今よりずっと暗い時間、ぼくが目を覚まし

          Summer of '06

          (創作)選ばれた子ども 第一話

                    ー海ー  海は嫌いだ。真っ直ぐな水平線を眺めるたび、背筋を伸ばしながらいつもそう思うが、夏休みがはじまって、毎日ここに来ていることを考えると、実は好きであることを隠すため、嫌っているふりをしているのではないかと、疑ってしまう。  二十メートルほど先の岩場に、一羽のカモメが留まっていた。細く尖った嘴で、岩と岩の隙間にある何かをほじくっている。たまに神経質そうな眼差しで周囲を見渡すと、ぼくを間接的に威嚇するかのように、いかにも野生の鳥らしい、攻撃的な声を荒げ

          (創作)選ばれた子ども 第一話

          (創作)自動走行

           毎夕かかさずに行っているランニングを終えたあと、思わず倒れた。少し暗い室内のフローリングが頬に当たり、冷たかった。理由は分からないが、心臓がひどく痛い。再び立ち上がることができない。左胸の奥とその周辺が、まるで勢いよく外側に裏返ろうとするかのようだった。不思議と、頭だけは冴えている。  倒れたまま仰向けになり、肩甲骨を床に擦り合わせる。右手は初めだけ胸をさすっていたが、しだいに厚い扉を開こうとするように、心臓のちょうど真上あたりを強く叩きはじめた。どうせ届きはしないのに、今

          (創作)自動走行

          (エッセイ)花粉症の記録

           今年も花粉症の季節がやってきた。清少納言は「春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎは、すこしあかりて、紫だちたる雲のほそくたなびきたる。」なんて言っているが、今は平安時代ではない。半世紀前に列島中で植えられたスギが毎年空気中へ散布する花粉に、詩情も何もないのだ。  はじめて花粉症であることを自覚した瞬間のことは覚えていない。気づけばいつのまにかこんな体になってしまったのだ。  基本的に生き物というのはそう簡単に死ぬようにはできていない、というのが個人的な考えだが、こういうと

          (エッセイ)花粉症の記録

          (創作)教祖

          『私を救ってください。私は生きていて辛くて辛くてたまりません。私が本当に善い人間なのか、正しい生を送っているのか、ときおり分からなくなるのです。俗世での成功はもはや諦めました。今はただ、私の死後、極楽浄土で安らぐことだけを希望に、華々しさとは無縁な、居心地の悪い世間を生きているのです』  信者の呟きを遠くから聴きながら、私は祭壇の上で鎮座していた。マイクを通して流れてくる彼の声は、年老いた、死に損ないの猫の呻めき方によく似ていた。  教祖になったのは、私が四歳の時だった。そ

          (創作)教祖