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(創作)行灯

 目が覚めた。時計の針の音が、相変わらず単調に鳴っている。外は明るいから、まだ昼のようだ。読書をしたまま眠ってしまったらしい。表紙と裏表紙を私の方に向けて、本は開かれたまま床に落ちていた。ベッドから立ち上がり拾おうとしたが、上半身に力はまったく入らない。いつものことだ。今度こそはと思い筋骨に鞭打っても、昔のような身のこなしの再演はやはり難しかった。
 昼食はとったはずだ。最近は食事したことを覚えているだけで嬉しく、同時に淋しい気持ちにもなる。あの本はどこまで読んだのだろうか。どうせページを開いても分からないだろうから、またはじめから読み直さなければならない。これもいつものことだった。就寝しているとき以外は、憂鬱になったり、感傷に浸ったり、焦りやすくなったりして、落ち着かない。しかしこうした私の感情のよろめきを、誰も気にかけてはくれなかった。
 閉まっているドアが前後にがたがたと揺れる。部屋の外に誰かがいるように思えた。もうほとんど明瞭でない思考は、物音を聞くとすぐ、それが人と予感してしまう。そしてそれが間違いだと自覚するまで、しばらくはかかる。
 どこからか吹く風が家中を駆けているらしかった。すぐに察しはつく。どうやら息子がまた玄関のドアを開けたままにして、仕事に行ってしまったようだ。今日は特別風が強いせいで、ドアはひっきりなしに蝶番を震わせている。
 近所には面識があって良い人も多いから、心配する必要はないはずだ。しかし、積み上げられた石を見上げるようなきわどい危うさが、最近は街のどこにでも落ちているようだった。そう思うたび、若返ったような気になって、私は私自身の仕事がまだどこかに残っているのではないかと、鼻をきかせるようにして、ついせわしなく動き回ってしまう。
 しばらく考えていた。目を閉じて集中すると、周りから眠っているのかと勘違いされる。そのときは、否、と応えるのだが、あとで思い出してみると、本当は寝入ってしまっていたのではないかと、自分でも疑わしくなってくる。ベッドの正面にある窓から差す日光が、私の肌をなでた。しかし、ひどく暑い。
 ドアを閉めに行こうと思った。ここは暑い。誰でも侵入できてしまうのは、防犯にも適していない。主治医からも運動を勧められている。どうせ誰もいないのだから、私がするしかなかった。
 立ち上がることにいちばん骨が折れる。しかし今回は秘策を講じて乗り切った。二年前に会った中学の同級生は、椅子から立つ前に、直前の姿勢から足首を軸に、全身ごと前方に倒れこむかたちで、そのまま膝を伸ばすと起立しやすいと言っていた。ちょうどそのことを思い出して実践してみると、案外うまくいき、さっきまでの苦労はなんだったのだろうと、少し腹が立つ。
 中腰の体勢は困難だから、本は拾えない。左手でベッドのふちに頼り、なんとか片足を前方へせり出した。さて、これから長い道程が続くぞ。自分を奮い立たせようとそう心の中で呟いたが、言葉の意味が石鹸の泡のように軽く、うまく掴み取ることができなかった。
 歩行杖は玄関にある。一歩ずつ、慎重に足を進めていく。膝が上がらないから歩行はほとんど摺り足に近く、履いていた靴下の片方はすぐに脱げてしまった。取りに戻ることも、拾うこともできない。体勢を無理に変えて、「転落」したら大変だ。世間は「転倒」と呼ぶが、私にとってそれは「転落」に等しかった。去年、一度駅のホームで点字ブロックに躓いたことがある。その瞬間、私は何も考えることができなかった。倒れて動けなくなったあとも、路上に棄てられた長靴のように、私はただ浅い呼吸をしながら誰か助けにくることを待っていたのを、鮮烈に憶えている。そのときの足の傷は未だに消えていない。
 歩き始めてしばらく経って、長い釘が膝に打込まれるような痛みを感じた。苦悶して立ち止まると、痛みは余計に増す。どうやら私の体重そのものが、この鋭い釘の正体だったようだ。私から私自身が逃走し、私に対して何か、苛烈な試練を、私が遠くから叫ぶようにして、投擲している。瞼の裏に汗粒が滑り込んで、思考は中断された。腹の右下あたりで、血液がどくどくと波打っている。激しい痛みは時間とともに漸増した。私はもう歩くことしか許されないようだ。
 ようやく自室から出る。ドアノブに寄りかかるようにして廊下に身を曝すと、突風が焼くようにして私の衣服をすり抜けた。足の悪い老人がいるというのに、この家にはまだ手すりが完備されていない。右の方を向く。あとはもう直進するだけだ。
 歩幅が短いから、体をよじって進行方向を変えるだけでも手間がかかる。私は右足をその場で踏み直して体の軸にし、次に右腕および右肩をドアの枠に添え、つま先を中心にして左足を玄関の方へ向け、それに合わせて右足も踵を回し、ようやく全工程の三分の一ほどが完了した。あとは同じようになことを二、三回繰り返して、はじめて玄関へと歩き出す用意ができる。
 玄関を視界の中心に捉えて歩行を始めたそのとき、背後から風が吹いた。一瞬、よろめきかけるがこの程度では倒れない自信があった。壁に手をついて、なんとなくやり過ごす。
 近くで蝶番がざわめく音がした。床をすれすれに、何が私に急接近してくる。刺激に対する反応は常に遅れていた。この状況においても、私はまた何も考えていない。少しだけ振り向いたとき、ドアは鼻先まで接近し、ドアノブはすでに腰を思いきり殴っていた。単純な理科の原理だ。そう気づけたのは大きなハチが頭蓋の内側を飛んでいるかのような、不快な鈍痛の反響と、腰を掴んで離さなかった軽い麻痺状態から、ようやく抜け出せたころだった。衝撃の大きな山は越え、今は小さな歯車たちが噛み合いながら回転するような、機械的な疼痛が続いている。思わず「転落」しなかったということを、自分に褒めて聞かせた。よくやった、よくやった、よくやった。
 廊下全体は暗く、外から迷い込んできたハエがときおり私の正面を横切る。まだ死臭を放つほど私の体は腐っていないようだ、というジョークを思いついた。今度、友人たちに出くわしたら披露しよう。だが、さっき頭をドアにぶつけたとき、触って確認しても流血はなかった。自分にはもう流せる血液すら限られているのではないかと、やや哀しくなる。若い頃はあれほど流していた鮮血が、今では水や酒よりも恋しかった。
 屋外から差す光に目が慣れてくると、家の玄関付近のようすがややぼんやりと理解ができた。息子はいつも赤い自家用車に乗って通勤している。だから朦朧とした視界には赤い点などどこにもなかった。息子はもう勤め人になってから三十年になる。一度はこの家から自立して暮らしていたが、最近はまた戻ってきた。結婚はしていない。相手はいたようだが、もうずっと昔の話だ。そのせいか、息子はまだ子供っぽいところがあるようで、車は買い換えるたび、赤いものにこだわっている。ほかにも、ドアを開けたままにする癖もだ。あれは、最近になってから頻繁になった。父親より先にぼけてどうする。
 壁に手をかけながら、着実に廊下を歩く。もう道の半分は過ぎた。そろそろ玄関に着くだろう。先週も、その前の週も同じことがあったが、あのときは風が強くなかったせいで、あとになって気がついた。だが今回は違う。先に私が気づいたのだから、私が始末をつけるべきだ。
 以前なら妻が代行してくれた。しかし妻は、もういない。今は家事のほとんどを息子が担っている。活力が有り余っているようで、息子は息子なりによく働いてくれる。結婚していないせいだろうか。だが、それでも私は不満だった。妻の不在は、やはり何者にも埋め合わせることができない。それ以降の生活が、私には極端に希釈されたもののように感じられる。覚えていることも、妻がいた頃の方が鮮明だ。
 土間に降りた。外はまだ昼下がりの日光を空中にはらんでいる。これが数時間後に暗く黒い夜になるとは到底思えなかった。玄関から外へ続くアスファルトが白く輝いて、一瞬ドアを閉めることを躊躇わせる。しかし、ここまで来てしまった。そしてこれをできるのは、私しかいない。腕を伸ばして、ドアをゆっくりと閉じる。
 辛うじて景色を覗けるくらいの隙間になったとき、いやな風が吹いた。



「お父様の容態に関して身に覚えは?」
「最後に話したときはいつも通りでした」
「玄関で倒れていたそうで」
「はい」
「何か心当たりは?」
「いえ」
「認知症の傾向は?」
「あるような、ないような」
「今まで突然外出するようなことは?」
「あったかも」
「今回も外に出ようとしたところで倒れたんですかね」
「…いや、なかったかも」
「とにかく、事件性は無いようですね」
「はい」
「届出は三ヶ月以内でお願いします」
「頑張ります」

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