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分解することと、デザイン

デザインについてこれまでお話をしてきて、今回で第13回となります。これまでデザインについての概説ということで進めてきましたが、イメージとしては、子どもさんから大人まで、わりと初めてデザインに触れる方たちへ向けて講義をさせて頂くつもりで筆を進めています。もちろんすでに勉強をされてい方もご覧になって頂き、何か参考になるところがあれば良いと思っています。

「使う目線」と「つくる目線」
私のデザインレッスンの課題のひのつに、置き時計のデザインがあります。なんてことはない、安価な既製品の置き時計で、その中身の盤面をデザインするというシンプルな課題です。この課題はわりと多くの方の興味をそそるらしく、体験課題として人気があります。時間をかけてじっくりと取り組むこともできますが、導入としての位置付けから普段は90分で完成させます。
人気の理由のひとつはおそらく実用性でしょう。乾電池を入れればちゃんと動いてお家で使えます。そして置き時計のデザインということですから、デザインする対象としては平面がメインですが、プロダクトとしての要素も含まれています。プロダクトとグラフィックのどちらの要素も備えているために、どちらか一方に関心があれば取り組みたいと思ってもらえるということが考えられます。

この置き時計は既製品を活用していますので、デザインのスタート時点では完成しています。受講生にはまずよく観察し、分解をしてもらいます。分解といっても、ドライバーなどの道具は必要なく、手だけで分解ができる仕組みになっているものを選んでいますから、特別難しいことではありません。これまでずいぶんたくさん見てきましたが、大人の方でもこれがなかなかできない。聞けば、多くの方が製品を分解した経験が乏しいそうです。
目を皿にして分解できる手がかりを見つけたとしても、手順が違うとうまく部品が外れません。私もしばらくは黙って見ているのですが、力まかせに外そうとすると壊れてしまうので、その時に答えをお伝えします。

すると「なるほど!こういう仕組みになっているのか!」と納得しながら分解していきます。この時私は、組み立ては全く逆の順序ですからこの仕組みをよく覚えておいて下さいと付け加えます。分解すること自体が目的ではなく、自分でデザインした盤面を入れ替えて元に戻すのがゴールです。今取り組んでいる作業に没頭しすぎると全体が見えなくなってしまいます。「戻すことまでが課題」と伝えると、それを強く意識し、自分の作業を俯瞰して見れるようになります。
この一言があるのとないのとでは大違いです。

全てのパーツを取り外し、ようやく本題の盤面のデザインに着手しますが、ここまでですでにずいぶんと頭を働かせています。以前から、デザインは関係を考えることとお伝えしてきましたが、ここでもパーツとパーツの関係をきちんと考えて分解してきたわけですから、これも大切なデザインワークということができます。デザインを考えるための頭の使い方としてはピッタリです。

そもそもモノを分解するには穴があくほど観察することが必要です。最近のプロダクト製品は100円程度で購入できる安価なモノでもたいへん良くできていますから、生活用品を「使う目線」ではなく、私はたびたび「分解する目線」で見ます。これがデザイナーの目線のひとつです。分解することはすなわち、組み立てることと同じです。組み立てるためにはそれぞれのパーツが一体どのような役割をもっているのかを考えなくてはなりません。とくに機能的なモノには余計なパーツはありません。モノには必ず意味があるというのはデザインの基本です。

「神は細部に宿る」
半分は仕事で、残りの半分は興味で、私は展覧会にたびたび足を運びます。
椅子などのプロダクトが展示されていると、床にしゃがみ込むようにして、裏面をじっくりと舐めるように観察します。居合わせた周囲の人からすれば変わった人と思われそうですね。
これももちろん時計の課題の話と同じで、どのようなつくりになっているのかを理解するためです。とくに接合部についてはしっかりと観察して写真を撮影するか、それが禁止されている場合はスケッチを残すこともあります。
たまにですが、私と同じような動きをされている方を見受けます。きっと同業者なのでしょう。
デザインを習ったことのある方なら「神は細部に宿る」という言葉を聞いたことがあるかもしれません。こだわってよく考えられたものは、細部にこそ美しさが現れるということです。アイデアを練るときはざっくりとしていても、細かな点まで適切解を追究していくことが本格的なデザインワークには求められます。

記憶に残るおもちゃ
私は建築のデザインもしますので、プロジェクトの進行中にたびたび現場を見に行きます。とくにここ最近はリノベーションの案件がほとんどです。古くなったものは価値が下がるという発想をせず、古いからこそ価値が上がるようなものを目指しています。
それはさておき、もう築100年にもなる古民家をリノベーションした時のことです。私も大工さんと一緒になって解体のお手伝いをさせてもらったことがあります。
しかしいったいどこから手をつけていいのか分かりません。バールを片手にうろうろしていましたが、それでは埒があかないので大工さんにまず何からやったら良いのか教えて欲しいと恐る恐る聞きました。
大工さんは教育者ではないので、具体的な手順を丁寧に説明はしませんが、その一言がなんと冴えわたっていたことでしょう。彼は、
「つくったんと逆の手順でやったらええわ」と言いました。それなら少し考えれば分かります。私は脚立を持ってきて貼られた天井から解体をはじめました。
その時ふと思い出したのが、私が幼少期のころによくやっていた暇つぶしでした。

たしか小学校の二年生くらいのときでしょうか。私の父はオーディオやらビデオデッキやら、そうした機材が好きで、お金を貯めては買い揃えていました。当時としては一台一台が高価だったようで、結婚前から長年をかけて地道に集めていたと聞きます。
忙しいサラリーマンだったので、その頃はほとんど週末にしか父とは顔を合わせませんでしたが、休みとなると整然とラックに収まった機材をいじって箱型テレビで一緒に映画をみたものでした。
大切にしてはいても、やはりそれなりに時間が経てば壊れてしまう機材も出てきます。修理の甲斐も虚しく使えなくなってしまったオーディオ機材を、父は好きなように分解して良いと私に与えました。私は工具を持ち出し、ドライバーでネジをはずし、その機材を好きなように分解して遊ぶようになりました。時計の課題のように元に戻すことは考えず、ひたすらネジを外して分解していきます。とはいえまだ子どもでしたから、結局全てを分解することはできず、途中までバラされたそのオーディオ機材もいつのまにかなくなっていました。
一般家庭によくあるおもちゃをいくつも持っていましたが、この分解するおもちゃは今も強く記憶に残っています。

課題「我が子に与える遊戯装置」
大学二年生の時に、私は建築デザインを専攻していましたが、岡本太郎さんとも交流のあった造形作家である河口龍夫先生の授業を受けたくて、総合造形コースの実習を履修していました。川口先生の出す課題はそのタイトルからしてとても魅力的でした。
1年間を通していくつかの課題に取り組みましたが、その中でもおもしろいと評価してもらえたのは「我が子に与える遊戯装置」というものです。
まだ大学生の私には全くリアリティがありませんでしたが、この課題に取り組んでいる時に思い出したのは先程の機材を分解することでした。小学校低学年では完全に分解することは出来ませんでしたが、今ならきっとできる。そこで、年齢に応じて分解していく遊戯装置を考えました。
最終的にはサッカーボールくらいの大きさになったのですが、見た目は綿で覆われたフワフワしたものです。幼児の時は綿をちぎっていきます。次は紙でくるんであり、破っていきます。その次はボード、その次はビス留めをされた軽い木材。それを外すと、さらにその次は頑強に接着された金属板が出てきます。このように、分解していくレベルを徐々に上げていくというのがコンセプトでした。最後にはお酒の小瓶が出てくるようにしました。

その作品は今ではもう残っていませんし、残念ながらいまのところ、息子たちにも与えられていません。
息子たちがあまり大きくなりすぎないうちに、時間をみつけて作りたいと思ってはいるのですが、これがなかなか…

子どもに市販のおもちゃやゲームを買い与えることはお金さえあれば造作もありません。折り紙や粘土を与えて工作をさせることも、本人がやりたいと思えばまた同じです。でも、できているモノを分解していくおもちゃはなかなかないように思います。
だから私は、息子たちが市販のおもちゃを分解しているのをみて、「壊れちゃうよ」と言いながらも内心は、いいぞと思っているのです。

さて今回は、分解することを通してデザインとの関わりについて話をしてきました。
皆さんも、普段当たり前と思っている身の回りの製品を「分解する目線」で見てみてはいかがでしょうか。新たなデザインの種が見つかるかもしれません。

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