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超私的デザイン論②-図と地の関係-

前回はリノベーションを皮切りに、新たな価値観の創出とそのために視点を自由に切り替える意識と頭の使い方について論じました。さて、超私的デザイン論の第2回は「図と地の関係」という、デザインを学ぶ者に対して私が必ず伝えるお話をからスタートしていきます。

図と地の関係
建築をデザインするときでも、グラフィックを考えるときでも、私は常にこの「図と地の関係」を考えます。目線を切り替える=ものを見る意識の持ち方を切り替えるといって差し支えないでしょう。
分かりやすい例でいうと、1915年頃にデンマークの心理学者であるエドガー・ルビンが白と黒のベタで描いたあのあまりにも有名な図像である「ルビンの壺」がそれです。画面の中央に描かれたシルエットに着目するとそれはまさに壺の形をしていますが、反対に背景のシルエットに着目すると、人の横顔が向き合っている状態にみえる。どちらに意識のウェイトをおくかによって、壷にも横顔にも見える不思議な絵です。デザインレッスンの際に、小学生や中学生に簡単な絵を描いて説明してみると、それくらいの年齢の子たちでも知っている。私は「なるほど。教科書に出ているたくさんのことがらがある中で、この絵はみんな知っているんだな」と、ルビンの壺の強烈なインパクトについてあたらめて知らされます。

私は義務教育には携わっていませんので、どうしてルビンの壺が教科書に載っているのか、そして先生がたがどう説明をしているのかは残念ながら分かりません。かつては私も教わる側としてその現場にいたのでしょうが、どのような説明を先生がしてくれたのかも覚えていません。でも「ルビンの壺」という名前は知らなくても、図像のイメージだけは鮮明に記憶していて、それが私のデザインワークに関わるなど想像もつかないことでした。
幼い頃はただ「なんだかおもしろい絵だな」くらいは思っていたのでしょうが。

さて、幼少期に記憶されたイメージとして頭の片隅に追いやられていた「ルビンの壺」の図像が、より高度な議論の中で再燃したのが大学四年生。卒業研究のためにゼミに参加していた時でした。報告をする当事者ではなく、既に報告を終えた身なのか、その回は報告をしなくて良かった立場だったのかは覚えていませんが、とにかくオブザーバーとしてぼうっと議論に参加している中で、先生が当事者の学生に対して、ジャンバティスタ・ノリ(18c.イタリア)の地図について説明をしていました。
私の先生は、イタリアモダンの専門家で長らく当地で研究をされていた方でしたから、その研究室に所属する身としてはジャンバティスタ・ノリは知っていて当然。ところが私は不勉強のために知らず、ぼうっとしていたのとは反対に、急に目が覚める思いで話を聞きました。

ジャンバティスタ・ノリの地図
議論としては結局、「ルビンの壺」と同様に白と黒を反転させて地図を見ると、今までとは異なる見え方がしてくるということです。日本の都市(建物の形が示されている地図)の構成について、建物を黒、街区を白と塗り分けたときと、それを反転した時とでは私達が感じる印象は異なります。日本とイタリアの都市との比較を、この「図と地の反転」で見比べると、その密度や構成の特徴が明らかに異なることが一目で分かります。都市論を語るのはまた別の専門家の先生にお願いをするとして、私が伝えたいのはモノとしての建物に着目するのか、外部に着目するのか、その目線の持ち方だけで見えなかったものが見えてくるということです。
まさに「ルビンの壺」の発想法です。

デザイン に活かす
ではこの「図と地の関係」がどうしてデザインワークや、デザインを学ぶ上で重要なのかということについてお話をします。デザインをする際には、ほとんど多くの場合「モチーフ」を設けます。たとえばカフェのロゴのデザインをする時にコーヒーカップの絵を描くというと分かりやすいでしょう。この場合、コーヒーカップがモチーフということになります。私の経験では、カフェのロゴマークをデザインして下さいと課題を出すと、多くの方がまずコーヒーカップをイメージしますし、そのコーヒーカップのイラストを一生懸命に描くというのも間々見かけます。意識が「コーヒーカップを描くこと」に文字通り集中して、その周囲はただの背景としてしか意識されません。
それはそれでもちろん構わないのですが、あるモチーフを対象に描き込むという取り組みはデザインワークとは別の取り組みに思えないでしょうか。
そう、デッサンです。

デッサンはデザインとよく似た言葉ですし、語源も同じという一説もあります。とはいえデッサンとデザインとは現代においてはやはり明確に異なる取り組みです。
デッサンではなくデザインをするわけですから、やはり「地」にも意識を向けなければなりません。モチーフと背景を含めた全体は等価とまでは言わないまでも、少なくとも全体のバランスを検討するのが好ましいように思います。

意味を重ねる
だからといって、ルビンの壺を考えなさいということでは全くありません。世の中にあるロゴマークで、図と地を反転させても機能するようなものは、むしろ見つける方が難しいでしょう。あくまでも多角的なものの見方の極端な例として挙げたまでです。
とはいえ全体をバランス良く考えるとはどのようなことなのでしょう。具体的な例を示してお話していきたいと思います。

先日、普段はパートをしていますが将来は自分でデザインをして生計の一部としたいという主婦の方が体験にいらっしゃった時のこと。90分間の枠で自分を表す「マイロゴ(自分のロゴマーク)」のデザインに取り組んでもらいました。その方のフルネームやイニシャルはもちろん、趣味や好きなこと、得意なことなどをいろいろと話をして、デザインのモチーフを一緒に探していました。話をしているうちに、これまで彼女は何かとウサギにゆかりがあるということで、ウサギをモチーフにすることになりました。
ウサギの特徴を描いていくなかで、耳はアルファベットのMを柔らかく崩したような形で顔はOといったように、彼女自身のイニシャルになることにある瞬間に気づきました。
最終的にはシンプルな線画のロゴで、見方によってはウサギの横顔に、別の見方をすればイニシャルに見える。そんな二重の意味をもつロゴマークのアイデアスケッチに育てることができました。
もしウサギのシルエットを描くというだけでは、他者が見た時に「ウサギだね」としか思いません。ところが意味を重ねたことによって、「実はイニシャルなんです」のひと言を添えることができます。するとそのロゴを見た人は、「なるほど!たしかに!おもしろい!」となり、相手に自分を印象づけることができます。

ウサギの図像に意識を傾けながらも同時に、アルファベットの形にもなるように意識を傾ける。そうすることで、他者の共感を得ることができます。これがアイデアの種であって、全体をバランス良く考えなければこのアイデアは思いつかなかったことでしょう。

背後にあるガイドを読む
さらに、全体を見渡すとい意味で、日本の家紋について紹介します。
私が好んで見ていたテレビの教育系のチャンネルで、「デザイン あ」という番組があります。朝、子どもらと一緒に見ていたのですが、その中に日本の家紋を紹介するコーナーがありまして、桐の紋やら矢羽やら雁やら、先祖代々受け継がれてきたモチーフをデザインしているのがこの家紋ということです。
番組では、それらの紋がどのように描かれるのかを幾何学的な円弧を重ね、紋の中心から放射線を描き(=円の分割線を描き)、最終的に花や葉、動物といった有機的な形を図像化して美しい紋様に仕上がる様子を動画で分かりやすく伝えてくれます。一点もののクラフトワークではなく、コンパスや定規を多用したコピー可能なルールを設けていたことに驚かされます。先人達は即ち、再現性をもったデザインをしていたことが分かります。それだからこそ、今日にも残る秀逸なデザインとしての家紋が代々伝わっているのでしょう。
私達は実は幼い頃にお墓参りをするたびに極めて良質なデザインに触れていたことになるわけです。

私達が常に目にしているものの多くは、こうした背後にある「いわゆる補助線(ガイド)」が見え隠れしています。
かつて紋様をデザインした日本人も、そうした枠の中に収まりきらない「ガイド」を使って美しい紋様を描いていました。
デッサンでいうところの「画面」よりもはるかに広い範囲を視野に入れたデザイン。そこには広い視点で物事を考えることの初歩的でありながらも最も大切な教示が含まれているのです。

このことは、平面のデザインに特化したことではありません。むしろ立体になると、重力のことを考えなくてはなりませんし、さらに空間を内包する建築のようなものになれば、スケールのことも考えなくてはなりません。つまり、人が入って使えなくては意味がないということです。

たとえば100㎡(10m×10m)のとある敷地があるとして、そこに住宅を計画することを想像しましょう。その敷地は、自分でお金を払って購入したわけですから、合法であれば何をしても、どんなデザインにしてもいいわけです。
この敷地は、先程のデッサンの例でいうところの「画面」です。自分の資産だからこそ、日本の家紋のような色褪せない素晴らしいデザインとして住まいをつくりたいものです。
そのためには、個人の「敷地」というを範囲、つまりデッサンでいうところの画面の枠を超えて、広い視点で補助線を描き、町と向き合いながらどのような家にするのかを検討することがとても大切になります。
建築は、決められた敷地内にあるけれども、同時にまちや自然の中にあります。
こうした視点を持てるかどうかが、デザインができるかどうかの分かれ目になると私は考えています。

自分にとっては都合が良いということで物事を進める時代でないことは皆さんもお分かりのことでしょう。
私にとっても良いし、周りの人にとってもよい、そして自然や環境にとっても良い。そんな仕事をできるデザイナーになりたいものです。

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