超私的デザイン論⑥-デザインある/ないの格差社会-

デザイナーを巡る根深い問題
格差社会というと、なんだかあまり良くないイメージを持ってしまう方もいらっしゃるのではないでしょうか。著しい貧富の差などを示し、社会問題にもなっている言葉のひとつです。
この言葉の核心は、あるところには溢れんばかりにあるし、ないところにはとことんない、ということかと思います。

さて、私は先日、20年来の大学時代の友人から久しぶりに連絡をもらい、チラシのデザインの相談を受けました。同じ大学の友人ですが、アルバイト先で知り合ったことから所属学部は私とは異なり、いわゆる文系学部の卒業です。心理学や臨床関連の学問を修め、卒業後は養護学校に長らく勤務し、現在では盲学校に勤務しているとのことでした。
メッセージには、勤め先の盲学校が主催する相談会のチラシを自分でつくっているとのことで、それがなかなか納得のいくものにならず、作業中の画面の添付も併せて送ってきました。

その相談会は、子どもの目の見え方にちょっとした不安や気になることがある保護者の皆さんに向けたアナウンスというものでした。たいへん勤勉なその友人はこれまで、一般的な事務ソフトを使ってなんとかチラシを作成してきたそうなのですが、時間がかかってしまう割にはなかなか納得のいくものを作成することができず、ふと私を思い出して連絡をしてみたということでした。
たしかに普段の学校の仕事だけでも忙しいのに、それに加えて県内全域に配布されるチラシの制作となると、睡眠時間を削って取り組むことになります。それが納得のいくものならまだしも、作成した本人でも納得がいかないということですから、大変なストレスになることは想像に難くありません。

話を聞けば、公立の学校なので予算がなかなかつきにくいようで(それがなぜなのか、詳しい事情は私には明確には分かりませんが)、デザインを外注することが難しいとのことでした。さらにその上、仮に外注の予算がついたとしても、誰に頼んでよいかが分からないとのこと。組織全体として、そうした知己を得ているデザイナーがいないようでした。

この問題はなかなか難しいもので、デザイナーが決まらないとデザイン料金が分からない。料金が分からなければ予算を申請することもできない。デザイン料金の相場みたいなものは調べても分からないし、デザイン料金を掲載しているサイトがあったとしても、それが安いのか高いのかも分からない。
それに、たとえばAさんは1万円でやってくれるけれど、一方Bさんは10万円としましょう。Aさんは確かにリーズナブルだけど、何をどこまでデザインしてくれるのか分からないし、安かろう悪かろうでは困ってしまいます。一方BさんはAさんの10倍の仕事をしてくれるのか?Aさんと何がどう違うのか分からない。分からないものに予算はつかないという、分からないことが頭の中でぐるぐると巡って、途方に暮れてしまう。

そんな話を聞けば聞くほど、これは確かに問題だなぁとつくづく思い、私なりに親身になって具体的なデザインの相談に乗ることにしました。

情報の整理整頓
友人が送ってくれた作り途中のチラシは、黒・赤・青の3色の文字と、見てもらいたい文や単語には黄色の網掛けや文字と同色のアンダーライン。これらの文字情報をA4縦のサイズに並べると、紙面はほぼいっぱいになり、ちょっとした隙間にイラストがちらほら挿入されている、そんな内容でした。
これがダメなわけでは全くなくて、むしろひとりひとりに手渡す手紙のような渡し方なら、目を引くデザインされたチラシよりもこちらの形式の方がきちんと読んでくれるようなつくりでした。きっと普段からクラスの生徒へのお知らせやお手紙をいつも作っているのでしょう。

ただやはり、公的な場で不特定多数の人に対して伝えるものだとすると、他にもいろいろやり方がありそうです。ではどうしたら良いのか。少し具体的にいつくか見ていきましょう。

たとえば、先程のくだりでは、文字の色や装飾について具体的に書きました。
三色の文字と黄色の網掛けとアンダーラインです。この場合、いったい何通りの組み合わせがあるでしょうか。
黒だけの場合、黒に網掛けの場合、黒にアンダーラインの場合、そして網掛けとアンダーラインの両方の場合。黒文字一色だけでも4通りあります。それが合計3色あるので、3色×4パターン=12通りです。
これはどういうことかと言うと、たとえば赤文字で網掛け+アンダーラインが一番強調した表現だとすると、伝えたい内容には全部で12の序列があるということになります。
箇条書きでも12個のことを伝えるのは難しいのに、文章のなかで重要度が12に分かれているのはさすがに理解するのは難しい。

だからまずは「1番伝えたいこと、重要なことは何か?」ということに絞ります。
もしそれを見て気になった人は、「これ、何だろう?」と思い、2番目に重要な情報に目を向けます。その次には、さらに細かなことを知ろうとして、3番目に重要な情報へ。
と言った具合に、自然とより細かな情報へと目線を誘導していくのが、不特定多数に対する上手なチラシの構成で、常套手段でもあります。

このように、情報を重要度に分けて整理整頓することがデザインの基本の型と言ってもよいでしょう。

さらに内容でグルーピングするというのも大変効果的です。
たとえば全部で5回の講座があったとすると、講座の内容はそれぞれに異なっていても、「実施日と時間と講座タイトルと詳しい説明」はセットにすると分かりやすい。このセットの中に、先程の重要度を盛り込むと、「講座タイトル、実施日、時間、詳しい内容」という順番で文字の大きさを変えていく。
それをひとつの枠の中に入れて、紙面の左端から右端まで横に5つならべれば、はい、見やすい企画内容のできあがりです。
そしてこの情報の帯を中位の重要度だとすれば、1番重要なのはタイトルである「〇〇のご案内」ですし、反対に1番細かい情報はメールアドレスや住所や担当名ということで、ざっくりと3つに分けられます。
ここまで骨子ができればだいぶ楽になるはずですね。その他の情報はどこに位置付けられるのかを少し考えれば、レイアウトも、文字の大きさも、色も、大まかではありますが居場所が決まってきます。

このように、文字ひとつとっても重要度に応じて整理整頓し、グルーピングしていくと見やすいチラシになります。
デザインはセンスということではないと私はよく言いますが、それがどうしてなのかということがよく分かると思います。

デザインの罠
かつて私が中学生や高校生の頃、多くの子どもたちと同じように勉強が好きではありませんでした。ただ、ノートをとることは上手でした。自分が後で見たときによりわかりやすく、大事なことは大きく強く、そうでもないことは端っこにさらっと書いていたように記憶しています。他にも、たとえば鎌倉時代の人物と鎌倉時代の文化や建物をそれぞれ丸で囲み、線で繋げるとか、重要度とグルーピングを当時から使い分けをして覚えていました。
とはいえ勉強が得意だったわけはなく、そのうちにノートを美しく仕上げことに意欲的になり、自己満足して覚えないというデザインの罠にはまってしまうのですが(笑)。

とはいえそうした取り組みは、今でも活きているとは思います。
何事もバランスですね。

デザインの相乗効果
さて、今回のテーマは「デザインある/ない格差社会」ということでしたが、少し具体的な方法論に寄ってしまいましたので、ここで一度本題に戻ります。
冒頭部で紹介したように、私の友人が勤める地方の公立盲学校には、デザイナーが不在ですし、デザイナーと関わりがある人もほぼ皆無という状況でした。ないところにはとことんない、という残念な状況と言えます。それも、「子どもの目のことに関する」というとても大切な内容にも関わらず、それを1人でも多くのひとに伝えるための方法としてのデザインがない。一方、購買意欲を高めるような都市の商業的で営利的な宣伝には、デザインが溢れています。
それはそれで必要なことでしょうが、私としてはあまりにも差がありすぎるような気がしてなりません。そのように考えた結果、友人から相談をされたその数日後に、その相談会のチラシを私がデザインし、無償で提供したのでした。

もちろん友人は大変喜んでくれました。学校関係者の間でもとても評判が良かったようで、私も嬉しく思います。私が初稿を提供したその直後、友人は申し訳なさそうに修正のお願いを申し出てきました。それは次のようなことでした。
チラシのデザイン自体は素晴らしく言うことはないのだけれど、友人と学校側で考えた企画そのものの詰めの甘さがデザインによって露呈したために、もっと内容そのものを詰めて考えたい。デザインによって情報が見やすく整理整頓されたことで、企画自体の過不足が視覚的に分かったために、あと数日時間を頂き、その情報をチラシに反映してもらえないかという相談です。
結果的に内容もよりよく改善され、無事に最終入稿をしました。

デザイナーはどこにいる?
さて、そらからひと月ほどが経ち、またその友人から連絡が来ました。私がデザインをしたチラシを見たまったく異なる地域の盲学校の先生がぜひアドバイスをしてほしいということで、連絡先を伝えてもよいかというものでした。
もちろん私は二つ返事でOKし、相談に乗ることにしました。
こちらもやはり、組織としてこれまでデザイナーという人種に全く縁がなく、インターネットのサイトを通じてその地域のデザイナーとして登録している方にデザインのお願いをしてきたとのこと。それであればそのデザイナーさんに相談をすれば良さそうなものですが、ある時から連絡がつかなくなってしまった。自力では修正もできず困っているというのが相談内容でした。
頼みの綱だったデザイナーさんとなんらかの理由で連絡がつかなくなってしまったとなると、もう他にあてがない。世の中にとって必要な取り組みをしているのに、それを広く伝えるための術がないとはなんと残念なことか。
ここもやはり、ないところにはないという状況。
結局私が少し手を入れ、問題は解決しましたが、こうしたことは確実に氷山の一角なわけです。

世の中にはデザインが溢れています。しかしまだまだ足りていないところもあります。足りていないところにきちんと回していくことが、これからの社会に必要なのではないでしょうか。今回の私の取り組みが、この状況に一石を投じることができたのなら幸いです。

お金ではなく、名産のワインと葡萄。このお礼から伺える感謝の気持ちが本当に心に染みます。

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