カタジナ・パストゥシャク、ナタリア・ヒリンスカ『2階の解剖学』@似て非works末吉町

腕ともう片腕との間に
ー欄干の斜線の角度が
“それら”と等しい、

「遠ざかる腕」
「遠ざかる腕」の気配、

告解をする横顔が遠くの山脈の裸体のように
奥行きの部分が濃い、

奥のキッチンは
遠くの山脈だ
「遠さ」と「近さ」と言い換えることもできるから
遠くのキッチン
記憶の中の近くの山脈
写真の中の

頭の左端で行われる記憶が
昔、在ったキッチンのタイルの模様を
裸体の女のように現実のものにしている、

裸体の女、しか“現実味”があるものがないとしたら
(「あるものがないとしたらー」)
(両親の性行為しか確かなものはないわけで)、
(デッサンの中の)梨の一番陰影の濃いところと
女の陰影は等しく
復讐のように行われる、

記憶の中の女 と
デッサンの中の梨
記憶の中の梨 と
今私を描いているあなた、
一方的なイコールが循環し大きな恋愛のようだ、

食べられないものを食べて
口が肌の味でいっぱいになる、
嬰児が寝返りを打った、
これもダンスだろうか、
“妙蓮寺”という響きが良い、
自らの性欲を獣に喩える、
(目を覚ます)、

獣たちはこのように正しく透明だ、

「別れるのにも理由が必要」、
海の映像を浴びてー
地平線に理由が必要?
「もう、別れているの?」
恐る恐る聞く、
もう、居るだろうか 腹の中に
そして居ないのだろうか
あらかじめ もう

女の裸体の中に
在る地平線 が
理性のように狂わない、

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