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書くことの原点

「自分のためのnote」これは私の初投稿のタイトルである。
難しいことを考えず、まず自分のために書くことにしよう、と肩の力を抜く思いで始めたのだが、気がつくと3週間も何も書かずにいた。
新生活で書く時間が取れなかったというのが正直なところだが、裏を返せば、自分自身と向き合うのを避けていたような気もする。
高校生から大学生ぐらいまでの間、「ネタ帳」を書いていた。ネタ帳といっても、自分がそう呼んでいただけで、お笑いのネタが書いてあるわけではなく、学校であった出来事と自分が感じた思いや、恋愛のこと、将来のことなど、どこにもぶつけられないものをそこに書いていて、日記よりもラフな感じであった。ノートそのものは、いわゆる大学ノートのサイズよりも小さいサイズで、なおかつ厚いものを好んで使っていた。とにかく書きたかったからである。4-5冊は書いてあった気がする。
書くのをやめてからも、ある時まで保管していたが、ふと、自分の死後に家族に見つけられてこんなものを読まれたらたまったもんじゃない、と恥ずかしくなってある時全部を破り捨てた。内容がわからないようにびりびりに破くまで相当時間が掛かった。
そのノートには自分のありのままを書いていた。ストレートに自分をさらけ出していた。泣きながら書いて、後から読んで、また泣いたりしたこともあった。書くことで自分を保っていたのである。そうやって、やるせない思いやどうにもできないくやしさと向き合っていた。
書くことが、もっと言うと書くことだけが、当時の自分が取れる、自分と向き合う手段であったのである。
今も日々の中で、やるせない思いやどうにもできないくやしさにぶつかることはもちろんあるが、書くこと以外で解決をはかっている自分がいる。
10代から20代前半の多感な時期に、書くことで自分自身と向き合い、何とか乗り越えることができたからこそ、今の自分がある。
書くことの原点はそこであり、書いていたおかげで今の自分があると言っても間違いではない。
さあ、また、書こう。何を書こうか。自分のための何かを。そして、今度はこれを読んでくれるかもしれない、誰かのための何かを。

#創作大賞2023
#オールカテゴリ部門

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