冷静と情熱と私生活と仕事のあいだ

現在、私はどこかの組織に属して仕事をしていない。出勤する、退勤するという、行為もなければ概念もない生活をしている。
すなわち、私生活と仕事の境があってないような状態になっているのである。ということは、私生活と休暇の境もない。自ら気をつけて意識的に休みを取ろうとしないと、休めていない状況が続いてしまう。

そんな私と我が家に、組織に属して仕事をしている家族メンバーの、長期休暇の時期がやってきた。期間は1週間だという。「どこか、一緒に行く?」と誘われた。少し返事を待ってもらい、考えてみたが、1週間も空けられない。子どもたちの学校は?習い事は?犬の世話は?預ける算段は?いやいやいや、無理です無理です。調整が必要なものが多すぎる。仮に調整ができたとして、行き先は?家族で行けて皆がある程度満足できる行き先は?過ごし方は?
結局、長期休暇はひとりで過ごしてもらうことになった。

そして、いざ、その長期休暇の時になった。ひとりで大きな荷物を持ち、笑顔で出掛けて行く家族。全てが本当にうらやましく思えた。なぜ私は一緒に休暇を取る選択をしなかったのだろう。なぜ私は全てを調整して自分の希望も通して、充実した休暇にする努力をしなかったのだろう。
全てはいまさらだけど、家族がひとり気ままに旅先の空の下、美味しいビールを飲んで現地の食事を楽しんでいる姿が容易に想像されて、ただただうらやましい。

冷静と情熱と私生活と仕事のあいだで、今日も私はひとりもがき苦しんでいる。


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