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吾野宿歴史さんぽ

埼玉県飯能市のエコツアー『吾野歴史さんぽ』に参加させて頂きました。

今まで、ホタルやバーベキューのエコツアーで関わらせて頂いていましたが、歴史さんぽへの参加は初めてだったので、様々な時代の歴史を知ることが出来てとても勉強になりました。

吾野宿について

昔は宿継ぎの宿(馬を継ぎ換える)として栄えていた。秩父周囲の物資を集散する場所として栄えていた。明治時代には馬が多いときでは3000頭ほどいて賑わっていたとのこと。

今は道路が拡張されて広くなったが、昔はもっと幅が狭くて馬がやっと通れるくらいなくらいの広さだったとのこと。

西川材
昔は江戸からみて西の川から運ばれてくる良質な材質だったため西川材というブランド名がついていた。
今は枝打ちはされているが、昭和30年以降に外材が輸入されてきて林業は低迷してしまっている。

石積と高麗川
川沿いに住むために築かれた石垣。
大正時代までは西川材を筏に組んで今の新木場あたりまで筏流しをしていたと言う。

借宿神社
こちらの神社は埼玉県越生町、毛呂山町に抜ける峠の入り口にあったため、古くから旅人より道中安全祈願が行われてきた神社でもある。
伝説では日本武尊(やまとたけるのみこと)が東国鎮定の途中に借宿をとったことから借宿神社と名付けられたとの説がある。

白髭神社
こちらも借宿神社と呼ばれている。日本武尊にまつわる神社でもある。
日本武尊が東国鎮定の際にこの地で行路を失ってしまったが密林中の岩頭に光明を見い出して難路を逃れたと言われている。

吾野の歴史について初めて知ることばかりであったが、まだまだ知らないことだらけで、これから少しずつ勉強していきたいと思った。
同じ市内であるが、生活背景や文化が違う部分もあり、とても興味深かった。
新しい国道とトンネルが出来て旧道のほうはなかなか通らなくなってしまったが、このような歴史のある場所であり、温故知新を知るにはとても良い場所であると思う。

ご興味のある方はぜひ来ていただきたく思います。

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