ショートストーリー サンキライとたこ焼き

外はカリッと揚げたような焼き加減。
中身はトロトロ。
噛みごたえのあるたこは、アクセントになる。
オマケして貰ったたこ焼きを熱々のうちに、口の中で転がす。

私は運動が苦手だった。
かといって、勉強が得意というわけではなかったが、とりわけ運動が駄目だった。
ドッチボールのチーム分けは明らかに嫌な顔をされたし、鬼ごっこはいつも狙われる。

どんくさい。
そう罵られて、返す言葉もなく下を向いて半べそで帰っていた。

母は、そんな私の姿に同情こそしたが、二言目には喝を入れられた。
「そんなんでは生きていけん!」
関西育ちの母は、反骨精神を剥き出しにした。
そして、ことあるごとに特訓をさせられた。

「時は金なり」
それが母の口癖で、夕飯で使うキュウリを切っている最中でも、魚を焼いている途中でもスイッチの入った母は止められなかった。
「今から特訓や!」
そう言って、私に宿題もさせないまま私の手を引いて公園へ連れて行かれた。

母との特訓は、ほぼ全ての遊びや運動を網羅したと言っても過言ではない。
先程あげたドッチボールや鬼ごっこはもちろん。
逆上がりの練習、縄跳びの練習、マラソン大会、果てには水泳の練習もした。

帰りは、食事の用意が出来ていないからたこ焼き屋によった。
店の名前はサンキライ。
気のいいおじさんが営む小さな店。
私が特訓をしていたと聞くと、おじさんは必ずおまけをしてくれた。
おじさんのたこ焼きの美味しさに、苦手な運動の特訓にも励めた。

おじさんは、私と母の生き様を不屈の精神と呼んだ。
サンキライという花の花言葉だそうだ。
おじさんの店が、もっと好きになった。

サンキライのたこ焼きと母のおかげで私は小学校を卒業する頃には、運動と名のつくものには自信があった。
一年生の頃は、泣きながら雨を願った運動会も、六年生では雨天延期のお知らせに涙した。

運動会が延期になった時、母は六年生にもなって泣くなと私に喝を入れた。
延期になれば、母は仕事で運動会を見にこれない。
そう言っていたから、私は母の言葉を無視してふさぎ込んだ。

延期された運動会。
祖父母も父も高校生になる兄も来て家族総出の応援だったが、母はやっぱり来ていなかった。
しょぼくれてリレーの順番が来るのを待っているときだった。
応援席でサンキライのおじさんが、たこ焼き片手に私へ手を振っているのが見えた。

私はハッとし、背筋がグッと伸びた。
きっと母が呼んだのだ。そうに違いない。
なぜかそう確信した。
それまで、ビリだった私のクラス。
バトンを受け取って、思い切り地面を蹴った。
サンキライは不屈の精神。
走っている間、その言葉だけが頭を占領していた。

ゴールしたとき、私は一着だった。
他クラスの子達をゴボウ抜きした私に、サンキライのおじさんも興奮している様子だった。
運動会が終わってたまたま店の前を通ると、おじさんに呼び止められた。
一パックをサービスでくれて、母と食べろと言ってくれたのだ。

社会人になった今、サンキライの精神は続いている。
新人教育でつい母の口癖を真似てしまう。
「そんなんでは生きていけん。時は金なり、特訓や」
おっかなびっくりな新人に喝を入れ、私はご褒美用のたこ焼きを買いにいくのだ。

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