百物語 第四十九夜
気づいたら五十半ばだ。
学生時代から特にこれといって趣味がなかった私は、大学を卒業して初めて熱中できるものを見つけた。
仕事だった。
私はがむしゃらに働いたし、幸運なことに仕事の才能が私にはあった。
努力し成果を上げれば上げるだけ、どんどん出世した。
三十半ばだったと思う。
当時勤めていた会社の社長から、週に一度のお見合いを強要された。
今では信じられないかもしれないが、
三十を過ぎて結婚もしていないと社会的な信用を得られない、そんな時代だった。
社長のそんな考えも当時の私は理解できず、
興味の持てない結婚をすることはなかった。
社長は心底失望していたようだったが、私を切ることはできなかった。
お見合いをすべて断って以降、社長は私に仕事以外のことで話しかけることはなくなった。
転機となったのは、私が五十になった年。
女手一つで私を育ててくれた母親が死んだ。
年齢を考えれば天寿を全うしたといえる。
孫の顔を見せられなかったことに負い目はあるものの、
自身が結婚で失敗している母は私にそういったものを強要するようなことはなかった。
母の死に私は久しぶりに泣いた。
いつぶりに涙がこぼれたか、思い出せないくらいに久しぶりに。
遺品整理をしていて、唯一処分に迷うものがあった。
それは、
猫
だった。
母は老衰で死ぬまで愛猫と一緒に暮らしていた。
彼女の様子がおかしいことをご近所さんが知ったのも、
この猫がいつになく鳴いていたからだった。
そんなこともあったからか、
私はこの母の愛猫は自分で引き取らなければならない、
直感的にそう感じてしまった。
母の愛猫を、私の住んでいるマンションに連れてきて
一時間もしないうちに私は後悔した。
住み慣れた家から離されたストレスで、母の愛猫は床におしっこをしたり、壁をぼろぼろにしたりした。
しかし三週間もすると、最初私に触らせずただ部屋を荒らしていた猫が、
朝起きてみると、私の枕元に寝ている、ということが多くなった。
その頃にはちゃんと猫トイレを使い、壁にストレスをぶつけることもしなくなった。
少しずつではあるが、私に懐きつつあるこの存在に愛情を持ちはじめた。
残業をすることなく、早く家へ帰るようになった。
帰宅して猫の世話をしても時間はあまったので、自分で料理をつくるようになった。
食事の美味しい不味いなんて随分意識していなかったから、私がつくる料理の不味さに驚いた。
しかしそれ以上に試行錯誤して徐々に美味しいご飯を作れるようになれていくことに喜びを感じたことに、更に驚いた。
猫を引き取ってから、昼間、一匹で待っているのが寂しいのではないか、そう思いはじめ、私は更に猫を飼うことを決めた。
母が私に残した猫と同じ、マンチカンの子猫を二匹、新たに飼いはじめた。
母の猫と子猫たちは元々家族だったかのように、楽しそうに寄り添って、あらたな生活をはじめた。
それを見て私は初めて、自分が寂しかったことに気づけた。
気づいたら五十半ばだ。
この年でようやく他人に興味を持ちはじめることができたのかもしれない。
十代の頃にもした覚えのない恋をしたのだから。
初恋といっても間違いはなかった。
そして初恋にふさわしく、ひどく不格好な恋だった。
なんせ相手は高校生だったのだから。
猫を飼いはじめ、残業をしなくなった私は部下に食事に誘われることがおおくなった。
もちろんマンションには猫が待っているので遅くまで付き合うことはできなかったが、部下たちの話を聞き、おいしい料理を食べることが楽しめた。
本当に幸せな日々だ。
ある食事会。
見慣れない女性がいた。
女性というには若すぎて、話を聞いてみればまだ高校生だった。
なるほど、世の女子高生はこうやってタニマチを見つけるのだな、そう思っていた。
が、頭で分かっていても彼女に惹かれてしまった。
私は娘といってもおかしくないくらいのその彼女をデートに誘った。
部下の女性には若い女の子が喜ぶプレゼントのアドバイスを聞いたりした。
テレビでも頻繁に紹介されるレストランを予約したりもした。
しかし、デートはレストランに辿り着く前におわってしまう。
彼女は猫アレルギーだったようだ。
重度のアレルギーだったらしく、彼女をだいぶ苛立たせてしまった。
なんて人生だろうか。
猫によって人間らしい感情を持てるようになった私が、猫が原因で初めてした恋に破れるなんて。
初デートが失敗した日から彼女には謝罪のメッセージを送っている。
しばらくは既読スルーされていたが、いつからか未読スルーとなっていた。
彼女への恋がうまくいかなかった、そう自覚し始めた頃だった。
仕事中に知り合いのブリーダーから電話があった。
『仕事中にすみません。
小高さん、
あなたに是非買ってほしい
猫がいまして…」
ブリーダーとはその夜、
その猫について詳細を聞くことにした。
けれど、心の中では決めていた。
その猫を飼おうと。
私は仕事を定時で終わらせて、
一度マンションに戻った。
猫たちはいつになく私にまとわりついた。
どこにも行かないで一緒にいようよ、そう言ってくれているようにも感じられた。
「ほらほら、お前たち、もう離してくれよ。
新しい家族が増えるぞ。
毎日、もっと楽しくなるんだ」
そう言って私はブリーダーの元へと向かった。
その時の私には、まさか私がこの愛する三匹の猫を自分の手で殺めることになるなんて思いもしなかった。
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