百物語 第四十八夜

「急にどうしたの?」
僕はバッグの重みを確認しながら…
「ごめん…」

泉沢さんは同じ中学だった。
彼女は女子校に進学してしまったが、通いはじめた進学塾がたまたま同じでまた会える機会ができた。

本当に幸運なことだった。

僕は泉沢さんのことが好きだった。
中学の頃、クラスでも目立たない僕に泉沢さんは声をかけてくれた。
共通の話題があったからだ。

僕も泉沢さんも猫を好きで、猫を飼っていたことだ。

当時、何がきっかけとなって猫の話題になったかは思い出せない。
けれど猫の話題ができてからは、泉沢さんから僕に声をかけてくれることも少なくなかった。
本当に嬉しかった。
当時の僕は、泉沢さんと仲良くなるために猫好きになる運命だった、と半ば本気で思っていたりもした。


高校二年の春。
大学進学のために通いはじめた塾に泉沢さんはいた。
二年ぶりの彼女は中学生の頃より更に、悲しくなるほどきらきらと輝いていた。泉沢さんから声をかけてくれたにも関わらず、僕は目を見て話すことができなかった。
彼女は僕の本心までは読めていなかったとはおもうけれど、ぎこちなくてつまらない返事しかできない僕にあえて話しかけてくれた。
そこまでしてくれる理由はなんとなく分かる。
泉沢さんの猫への愛、情念を理解できる相手はそうそういないだろうから、高校でも猫の話題が出来ずに悶々としていたのだろう。

最初は戸惑っていたけれど、夏前には泉沢さんの目を見て…、猫の話をできるくらいには高校生の彼女になれてきていた。

そして、夏休みがあけてすぐ。
その頃からだ。
泉沢さんの様子がおかしくなったのは。

塾では伏せて寝てばかりいる。
顔を見れば、目の下には隈がしっかり入っている。眠れていないのかもしれない。
何か悩み事があるのかもしれない。
泉沢さんの家族になにか問題があるのかもしれない。
泉沢さんの親友がトラブルに巻き込まれ、それを心配しているのかもしれない。
そしてこんなことを思いたくはないけれど、
泉沢さん自身に何か問題がふりかかっているのかもしれない。

まだ残暑の残る九月の頭。
塾が終わり、泉沢さんは伏せて寝ていたから顔に痕をつけていた。
のろのろと帰ろうとするところ。
僕は初めて泉沢さんに自分から声をかけた。

泉沢さんは喜々として話しはじめた。
独り言のようなものだった。
飼い主のいない猫の譲渡会で、新たに飼うことにしたという猫のことを。
中空に向け、それは僕にむけられてはいなかった。
高熱にうなされるように語ったのだ。
彼女はおかしくなってしまった、僕はそう思った。
しかしそれはすぐに覆された。
泉沢さんがスマホで、譲渡会で譲り受けた猫の写真を僕に見せるまで。


塾の教室で話していたはずの僕は、気づけば家から最寄りの駅にただ立っていた。
まだ夜の空気は夏の名残があって、気持ち悪くYシャツを肌にはりつかせていた。
僕にはしなければならないことができた。


放課後、僕は夜のうちに調べておいた、泉沢さんの家へと向かった。

チャイムを鳴らして、不在を疑うくらいの間があいて、ようやくドアが開かれた。
泉沢さんだった。

部屋着の彼女を見るのは初めてだった。
目の下の隈は心配であるが、それでも普段見ることのできない彼女を見られるのは幸せだった。

けど。




「急にどうしたの?」
僕はバッグの重みを確認しながら…
「ごめん…。昨日話してくれただろ。譲渡会で譲ってもらった、トミエっていう猫のこと。実は見てみたくて…」

十年に一度しか咲かない花が咲いたときのように、泉沢さんの表情は美しく、そしてアヤしく、ぱあっと表情をくずした。
「小木迫くんなら、ぜったいトミエに興味をもってくれるとおもったの。ちょっと待ってて」

そう言い、くるりと後ろを向いた泉沢さんの頭を石で殴った。
泉沢さんは何が起きたのか理解できていなかったようだ。
膝から崩れ落ちた彼女を、バッグから出した石で何度も殴りつけた。万が一にも息を吹き返すことがないよう、徹底的に頭をねらった。
泉沢さんがうめき声さえあげなくなると、僕は間取りもしらない泉沢さんの自宅を探索し、トミエを見つけた。

本当に、本当に美しい猫だ。
これで僕のものだ。

トミエをキャリーケースに入れて、これまで味わったことのない幸福感に浸りながら家へ帰るために電車に乗っていた。

その時だった。

クラスメイトに声をかけられたのは。

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