百物語 第五十一夜

仕事帰りに、猫の集会に遭遇したことがある。

時刻はたぶん、午前を少し回った辺りだった。新月の上に星も見えず、道行がずいぶん心許なかったことを覚えている。

目の前を、一匹の猫が横切っていった。

真っ白な猫で、暗闇の中に浮かびあがっているように見えた。

もともと猫が好きだったこともあり、無意識に、その行き先を視線で追ってしまう。

白く長いしっぽを高々と持ち上げながら、猫は空き地へと入って行った。


なんとはなしに覗き込んだ空き地の真ん中で、二十匹近くの猫が車座になっていた。


残業続きで疲弊していた私は、はじめ、それを幻覚だと思った。

だから、考えもなく行動に移せたのだろう。

そ知らぬ顔でその場を通り過ぎた後、こっそりと裏手へ回って、空き地を囲む塀の後ろに身を潜めた。


聞こえるのは、虫のリーリーと鳴く音ばかり。

猫たちは、鳴き声ひとつ上げない。静かに座っているだけだ。

そういえば、猫同士の会話には、鳴き声が必要ないのだとどこかで読んだことがある。

猫が鳴くのは、人間に何かを訴えるときだけなのだとか。


あまりにも動きがないので、痺れを切らした私は、塀の隙間からそっと中を覗き込んでみた。

見知った猫の姿もちらほらあった。

近所を我が物顔で徘徊している、片目のドラ猫。

駄菓子屋で、いつもおばあさんと一緒に店番をしている年寄り猫。

町一番の資産家に飼われている、美しい黒猫。


そのうちの一匹に、特徴的なブチ猫を見つけて、危うく声を上げそうになった。


あの鼻面のホクロ。極端なかぎしっぽ。間違いなく、子どもの頃にうちで飼っていたハナコだ。

だが、ハナコは死んだはずだ。庭の隅に墓だってある。

…いや、死体を見たわけではない。ある日突然いなくなって、両親にハナコは死んだのだと諭された。そして私は、何も埋まっていない墓を作った。

しかしそれも、もう三十年も昔のことである。


動揺して、私は後ずさった。

その拍子に枯れ枝を踏んで、ぱきりとかすかな音が鳴った。


二十匹の猫が、音もなく私を振り返った。


咄嗟に、塀の後ろにしゃがみ込んでいた。

自分でも、何故そんなことをしたのかはわからない。たくさんいようが、猫は猫。大型犬のような危険もないはずだ。

でも、私は隠れた。膝を抱えて、必死に息を殺していた。


「お前を知っているぞ」


静寂を破ったのは、しわがれたような男の声。

そこからはもう大合唱だった。


「ここから三百メートル向こうの、二階建ての一軒家に住んでいるぞ」

「四十も半ばなのに、まだ実家で暮らしているぞ」

「番も子もないぞ。独り身だぞ」

「両親は早く出て行って欲しいと思っているが、なかなか言い出せないようだぞ」


完全に腰が抜けていた。

私はその場に座り込んだまま、逃げることも出来ずにただ震えていた。


「お待ちを」


凛とした低い声が、ざわめきを遮った。

「好奇心がいかにして人間を死に至らしめるかは周知のことではありますが、人間である前に、あれはまだ何もわからない無知な子どもです。厳しくしつけますので、今度ばかりは大目にみていただけないでしょうか」


再び、静寂が辺りを包んだ。

ああ、ハナコだ。初めて聞く声にも関わらず、私は思った。

そういえば、ハナコ、お前オスだったっけ。



それから、どうやってうちに戻ったのかはわからない。

朦朧としていた意識がはっきりしたときには、しわくちゃのスーツのまま自室の布団に転がっていた。


翌朝になって、両親にハナコのことをそれとなく聞いてみた。

私が子どものときにどこかから拾ってきたその猫は、うちで十年ほどの歳月を過ごした後、私が中学を卒業する前に突然いなくなった。

以降、一度も姿を見せることはなかったという。


奇妙な体験ではあったが、猫の集会に遭遇した後、私の生活が特別に変わったというわけでもない。

ハナコが再び目の前に現れることもなかったし、私は今もまだ実家で暮らしている。両親の物言いたげな視線が突き刺さることもあるが、気づかないふりでやり過ごしている。


ただ、無言の視線を他から感じることは増えた。

そういうときに辺りを見回すと、決まってどこかに猫がいる。

建物の影に隠れるようにしている猫もいれば、堂々と塀の上に寝転がっている猫も、出窓から見下ろしている猫もいる。

共通しているのは、その冷やかな瞳だ。

さして興味はない、でも、ちゃんとお前を見ているぞ。

鳴き声ひとつないのに、そう言われている気がしてならない。

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