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05. 私が私であるために 【 旅の記憶 】 5/22-23

5/22
夕方が近づいた頃、夫の友人夫婦に逢うために出かける。
写真で見て、話で聞いていた方々。逢ってみると受ける印象は変わるもの。逢って話して、少しだけその人を知ることができる。

人に限らず何事においても、人から聞いた話や何かしらで得た情報は参考程度に、ということをこの旅のなかで実感する日々。情報収集好きな私だけれど、やってみないとわからないことばかり。時に慎重に、時に軽やかに動ける自分でありたい。

帰ってきて早速米を炊く。
米炊き用の土鍋で米を炊く作業は、土鍋にも一連の動作にも愛おしさが湧いてくる。自宅ではダッチオーブンで炊いていて、それはそれで十分美味しい。けれど、それ専用に作られた物は、万能調理器具にはない潔さ、不器用さ、愚直さがあるような気がして、何だか愛らしさを感じてしまう。

ここにある物は、ちょっとレトロなものや可愛らしい道具など、何だか愛嬌のあるものが多い。きちんと家主に選ばれてここにあるものなんだろうなと思う。そこに人がいなくても、その空間や物に記憶が宿っているような、その人のことが少しだけわかるような、そんな感覚。

我が家はどうだろうか。ありがたいことに古民家カフェみたいでなんか落ち着くと話してくれた人もいたっけな。私からすると意外な反応だったけれど。何にせよ、訪れてくれた人たちがゆったりと心地よく過ごせる空間であったらいいなと思う。

photo by COBAKEN

5/23 午前 - 午刻
天気がよいので掃除をしよう。
まずは窓を開けて庭の元気な植物たちを眺める。このお家は小さな(私にとっては十分な大きさの)庭があって、時折風に揺れる草花に癒される。意味があって植えられた植物たちなのだろう。料理や菓子に使えそうなハーブ類もあるように見えるのだけれど、今の私には何が植えられているのかわからない。改めて知らない事ばかりだと痛感する。
この先の暮らしのためにも、植物のことや土のことを少しずつでも知っていこう。一人でもできるくらいの自給農をやっていきたいというのが私の望みでもあるし。

気を取り直して掃除に取り掛かる。
このお家には掃除機はないけど箒がある。私にとっては憧れの箒生活で、暮らしに取り入れたかったもののひとつ。そういえば、小学校の頃は掃除の時間に座敷箒を使っていた。

その時のことを思い出しながら慎重に埃を集め、掃き出し窓の外へ。掃除機の吸引力が頼りになる場面もあるけど、日々の掃除は箒でささっとで十分そう。吸っておしまいではなくて、優しく集めて土に還せるものは土へ還す、小さな循環。何となく気分も優しい気持ちになる。

忙しい現代社会は毎日掃除するヒマはないから(もちろん当たり前にやっている人たちもいる)、一気に掃除機で吸い込んでおしまいが楽。私がそうだった。空間がきれいであってほしいけど、疲れているとか、他にやることがあって掃除まで手が回らないとか、なんだかんだと理由をつけての週一掃除。時間に追われ、エネルギーを消耗する日々のなかで、いかに省エネで生きられるかが私にとっての最重要ポイントだった。

時間に追われる生活は小さな変化に目がいきにくいし、心を寄せるゆとりもなくなる。そんな自分に気づいて立て直して、また苦しくなって、立て直して何とか心を繋いできた3月までの私。色々な考え方があるけれど、私は自分の内にある望みを無視して、生活のために我慢を強いるのはもう終わりにしようと思った。

じゃあ、だったら私は何を大切にしたいのか。
植物が芽を出し枯れていく様、空や風の変化など自然の移ろいを感じること、その時間を大切にしながら日々を過ごすイメージが浮かんできた。そんな日々を過ごす私は、身も心もお金もモノも出来事も、十二分に豊かな状態であり、私自身もこの世界に豊かさを還元しているイメージ。

そんな私であるために必要なことって何だろうか。
今の私ができることを粛々と愉しく積み重ねていくこと。今、ここにあるものに目を向けて育んでいくこと。内にある望み、その声に耳を澄ますこと。
このあたりを大切にしていければ、なんかもうそれだけで幸せな気がするし、ずっと先にある未来の話じゃなくて、もうすでにイメージした自分になっているのではないかとも思う。

でも、毎日がポジティブハッピーパーフェクトヒューマンでもないし、悟りを開いたブッダでもないので、凹んだり、不安になったり、怒ったり、そういうしんどいなと感じる場面はある。そんな自分をきちんと認めて、まんなかの自分に戻って、さて、私は何を望んでいるんだっけ?と思い出してまた歩き始める。きっとこの繰り返しなんだろうな。

こんなことを書き綴っているうちに床の水拭きも終わった。ここらで一息。
庭を眺めつつ、読書しつつ、うたた寝。
豊かで、幸せで、何だかありがたくて。

さて、そろそろご飯を炊こう。それではまた。


+ 編集後記のようなもの +
思いがけずなかなか濃い内容に。
集中し始めたらやり続けるけど集中が切れたら最後、力尽き果ててしまう私。今回も燃焼しきりました。途中から人格がとっ散らかっていて少々恥ずかしいのですが、あれもこれも私です。
たかが日記とはいえ、書き続けていると物書きを生業にしている人の凄さをひしひしと感じます。思考が次々と展開して話がそれていくし、すっと終わる粋な表現が浮かばない。書き続けていくなかで、言葉から言葉へ自由に飛べるようになっていきたいです。

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