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アンコウみたいな人間を目指して

知らせによるとnoteを始めて3年が経つようだ。noteを始めたのはたしかコロナ禍で、いろんな予定が白紙に戻った大学4年の春に"何もしないことによって自分が何者でもなくなってしまうような怖さ"から逃れたかったのと"文章力がちょっとでもつけばいいな"と思った事がきっかけだったように思う。文章が書ける人に対してはずっと憧れがあったし。

3年というとそれなりに長い期間なので、今まで自分が書いてきたものを見返してみることにした。ありがたいことに"いいね"が比較的多くついたものも、思ったより控えめな結果になったものもあるが、自分でお気に入りだと思えるものはそのどちらにもある。他のSNSに比べて数字をあまり気にしなくていいのはnoteが心地いい場所である要因の一つかもしれない。

と、ここである事に気づいた。大学4年の春に始めたはずのnote、なら3年の通知がくるのは春のはず。しかし今の季節は真冬。雪も降るし路面も凍結する日が続いている。どう考えても計算が合わない。

それもそのはず。よくよく考えてみると、このアカウントは2つ目で以前すぐに辞めてしまったアカウントがあった。きっとそっちを始めたタイミングが春だったのだろう。

以前のアカウントでは好きな漫画、アーティスト、映画などについて記事を書くものだった。これが僕にとっては難しかった。「好き」を伝える引き出しがびっくりするほどなかった。だから結局長続きせずにnoteをやめてしまった。

それから数ヶ月の間を空けて今のアカウントを始めたというわけだ。僕は芸人が好きなのだが、芸人は日常の中で嫌な思いをしてもそれをエピソードトークにすることで笑いに変える。マイナスをプラスに変えてしまうのだ。

多くの人にとって"嫌な思い出"はその人の人生にとって"必要のない部分"なはず。ところが彼らにとってはそれすら美味しい。そんな捨てるところのないアンコウのような姿に憧れて僕も、日常に潜むイライラをnoteにする事にした。

とはいえ、これも簡単ではない。ただの悪口の羅列になってはいけない。"笑い話"の様相を呈する必要があるからだ。本気でムカついた事ほど難しい。

あとはムカついている対象に"名前があってはいけない"。列を割り込んできたおばさんも、道端で文句を吐き散らかしているおじさんも、"名もなき変なやつ"じゃないといけない。

これが具体的な相手だった場合、生々しさが強すぎて笑えない。芸人はその生々しさを消すテクニックをもっているからスゴい。食材の臭みを消すスパイスのようなテクニック、残念ながら今の僕はそれを持ち合わせていない。このままじゃ捨てなければいけない部位が出てしまう。

かつてスパイスは黄金と取引されていたと言う。今の僕にとっては芸人が持っているテクニックはまさしく黄金と同じ、いや、もしかすると黄金以上の価値があるように思う。それはどうやったら手に入るのだうか。文章を書いていくうちに気がつけば手に入っているようなものなのだろうか。

少なくとも3年で手に入るものではないのだろう。もう少し書き続けてみようと思う。さあまた次なる不快なるものを探しに行かねば。


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