歩道を歩いていると5、6人の男子校生が道いっぱいになって自撮りをしていてとても邪魔だった。正直、付いていようがいまいが、自認がどちらであろうが邪魔なものは邪魔なのでどうでもいいが、もしこれが女の子だった場合"女子高生"と言われるだろが、今回のように男の場合は"高校生"と表現されることの方が多いだろう。この表現の場合、当然そこには女子生徒も含まれるわけで、読む人によっては女子生徒を思い浮かべることになる。冤罪女子高生が誕生してしまうのだ。僕はそこに一種の"不平等"を感じたのであえて"男子校生"と明記することにした。(ここではジェンダーについて語るつもりはないので、もし何か議論したい人がいるなら休みの日に公民館でも借りて気の済むまで話せばいい。話の腰を折るな。)

 そもそも自撮りという文化はスマホ社会が我々人類に持たらした副産物だろう。ガラケーの時にも一応あったけど文化と呼ぶには浸透しきってない。クラスの一部しか読んでいなかった"ピューと吹く!ジャガー"をみんな読んでいたと言い張るようなものだ。

 こういう言い方をすると枕詞が「最近の若者は〜」の嘆きのおじさんのようだが僕は断じて違う。ただ最近の若者の方がスマホを使いこなしているからこのような弊害が起きているだけで、どの世代も同じぐらいスマホを使いこなすことができるならどの世代でも似たような弊害が起きるだろう。そもそも弊害になっている時点でスマホを使いこなせてはいないのだけれど。我々はスマホに使われている。

 とはいえ、写真を撮ること自体は悪いことではないはずだ。むしろ"自分がどう見えているか"を意識することは物事を俯瞰で見る上でとても重要なことだろう。そういう意味では、"近頃、男性の美意識も上昇している"という話もいいニュースなのかもしれない。しかし、"美意識"を外見ばかりに向けるがあまり、肝心の中身を磨くことを怠ればそれは"美意識"ではなく"微意識"になってしまう。

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