日記を書くのはやめます

2ヶ月弱ほど日記をつけて公開していたが、強いストレスを感じるようになったのでやめることにする。ストレスの要因は2点。

まず、公開する前提の日記にはその日にあった最も印象的だったことを書けないのにとてもモヤモヤした。私のnoteとXのアカウントは知人や親ともつながっている。別に赤裸々に書いてもいいのだが、人によってはかなり深刻に捉えるような内容になるため、あまり踏み込んだ内容は省いていた。が、そのせいで日記として機能している気がしなくなった。

最近マッチングアプリで出会って仲良くなった女性が『ティンダー・レモンケーキ・エフェクト』という本を読んでアプリを始めたのだと教えてくれた。この本は、作者がマッチングアプリでマッチした人たちと日記を交換した記録をまとめたものらしい。読んでいないので内容にズレがあるかも。仲良くなった女性も本の作者と同様に、マッチした男性と日記を交換しているという。「性事情についてまで割と赤裸々に綴られていて面白いですよ」と言われ、私が公開前提で書いているものは日記でもなんでもないと思った。非公開の日記を書くか、匿名で公表するか、特定の誰かにだけ見せるかじゃないとなかなか「本当の日記」なんて書けないな。

もう1つの理由は、それでも日記らしい体裁の文章を書く際には自分の生活に関わった人のことを書いてしまうからだ。人のことを書けば、必然的に文章に自分以外の当事者が生まれる。他人への配慮だらけの文章って言ってしまえば嘘だし、面白くはない。エッセイを書くときは自分に関わる人のプライバシーを侵害する無神経な自分を受け入れる必要があると思う。悪口を書くわけじゃなくても、相手が「書かれてイヤだった」と思う可能性はある。新聞記事のように事実を羅列するんじゃなくて、私の目を通した世界を言語化するのだから「こんな風に見られてんのは気持ち悪いな」とか「嘘ばっかじゃん」なんて思われることもあるだろう。文章を書くときは、都度それなりに人を傷つけたり嫌われたりする覚悟をしてきたつもりだ。でも毎日毎日そんなふうに覚悟してちょっとずつ心を削るの、しんどくなっちゃった。しかも、覚悟に値するほど踏み込んで書いてもいないからスッキリもしてないし。

あ、あと私は小説とエッセイの間に境界を持っていなくて、日記もまた然りなので、私から見た世界の真実を書いていれば日記といえど事実を書く必要はないと思っている。ただ、日記と銘打って文章を公開する以上はみんな事実という前提で読むだろうなとも思う。私が事実を正確に書くことを目的としていない以上、名前が出てきた人が「事実じゃない!」って不快になるかもしれない…とか色々考えるのが面倒になった。

というわけで、noteで日記を書くのは辞めます。非公開でその日の記録を書くことは続けようかなぁという気はある。もし読みたい人がいたら個別に送りつけますので言ってください。

しばらく毎日文章を書いてみて、私はあらゆることを言語化するのが好きだし書くのは楽しいという確認ができた。noteで文章を公開することを日常に組み込むのはやめるけれど、ストレスのかからない範囲で気ままに小話を書いて出していきますのでよければ今後も読んでください。


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