2024.04.02チョコレートドーナツ

今日は火曜。無料塾で子どもの勉強を見る日だ。

その前に、病院で採血とちょっと体力のいる検査を受けた。病院の待合室で、ボランティアさんの全体LINEに「今日はお休みします」と次々に連絡が入る。「今日もお休みが多いね!」と塾長から個別のLINEも入る。彼も遅れてくるらしく、私に「よろしく!」と何かを託そうとしている。

血を抜かれてヘロヘロの私はあまり色々任されたくなくて憂鬱になる。検査が終わってすぐに行けば早めに塾にはつけるだろう。でも、私が頼りないことをアピールしたくて「ギリギリに到着します」と連絡する。塾長からは「やばー(笑)」と返信が来る。ボランティアが少ないから私が早めに到着しないと鍵を開ける人がいないって意味なのかな。モヤッとする返事だが他人のLINEの文面にモヤッとするのはデフォなのであまりに気せずに既読をつけないまま放置した。メッセージでのコミュニケーションむずかしすぎ。

病院を出た私は、英気を養うためにミスドに入る。季節限定の抹茶シリーズを食べるほどウキウキした心じゃない。今必要なのはチョコレートドーナツとブラックコーヒーだ。店内で食べる用のトレーにドーナツを取り、レジに並ぶ。塾へは、ここで一息ついて少し元気を出してから行こう。

ぼーっと会計の順番を待っていると、ふと、下からの視線に気がつく。すぐ前に、塾に通う小学生の少年がお母さんと並んでいた。少年は私と目が合うとニコッと微笑んだ。

彼は耳が聞こえない。だから「こんにちは」のかわりにキラキラした大きな目で私を見つめ、ニコッと微笑んだのだろう。一向に「ありがとう」以外の手話を覚えられない私は彼に「ギリギリに行くね」と伝えられない。彼がここでドーナツを買ったその足で塾に行くとして、私がここでゆっくりコーヒーを飲んでいたらだいぶ待たせてしまうと想像する。レジの順番が巡ってきた私は、店員さんに「コーヒーはテイクアウトのカップに入れてください」とお願いした。

ドーナツを口に詰め込み、コーヒーで流し込む。席について3分後にはコーヒーの紙カップを持って店を出た。開始15分前に塾に着く。先ほどミスドで出会った子とは違う子どもたち3人が、私とほぼ同時に到着する。鍵を開けられる人は私以外に誰もいない。やっぱりコーヒーはテイクアウトにしてよかった。

一緒に部屋に入ると、机と椅子を並べ、こども食堂でそれぞれがもらってきたお弁当を食べさせる。少し髪型が変わった子へどこが可愛いか詳細に伝え、今日友だちと撮ったプリクラを見せてもらい、好きな人の話に留まらず友だちの恋愛事情まで詳細に教えてもらっていると、モヤっとしていた気持ちも病院の検査で負ったダメージも嘘のように消えてなくなった。私と彼らの間にわかりやすい利害や相手への期待はない。それが心地いい。

責任というものがどうも苦手だ。責任を負わされると逃げたくなる。背負いたくないというより、背負うのが不可能だから。今日だって、責任を押し付けられたようで、塾に行くのが憂鬱になりミスドに逃げた。責任ではなく「この人に困ってほしくないな」とか「この人に喜んで欲しいな」みたいな気持ちがいつだって私の原動力だ。ときどき「責任感が強いね」と言われることもあるが、全然違う。私は責任感を積極的に放棄するよう努めている。好きなのはちょっと優しい気持ちになることであって、責任じゃない。

私の塾での立場は「ボランティアさん」なのだが、ボランティアって言葉もすごく苦手。正直、誰のことも救いたいとか救えると思っていない。困っている人の救済は行政や制度がやることだ。責任は組織や偉い人が負うものと考える。

私のような「市井の人」は、誰かに対して責任を負うことなんてとてもできない。私は目の前で困っている人を救済できない。でも、目の前の人に「あなたが悲しいことが私も悲しい」と伝え、そっと寄り添うことはできる。背中をさすってあげることができる。私がやりたいのは、大丈夫でいてほしい人の手を握ること。ただ、それだけ。それは、誰の何の助けにもならないかもしれないし、意味がないことなのかもしれないけれど。


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