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夢見る姿は美しい

冬の夜の秋葉原、そこには数人のメイドが通行人に声を掛けていた。私と友人を含む3人も声を掛けられた通行人の一部だった。

私達に声を掛けてきたメイドが所属するのが異世界にある学園という謎のコンセプトのメイド喫茶らしい。そこの制服だという短いスカートのメイド服をまとい、少し声を震わせながら声を掛けてきた。時計を見ると時刻はちょうど23時。

私達はその日、夜行バスで東京に行っており、帰りの夜行バスが23時40分に秋葉原から出発する予定だった。初めて行った秋葉原だったので秋葉原の街に興味があった。夜行バスの時間まで街を散策しているところに声を掛けられたのだった。

当然バスの時間が迫っていたので行く気は無かった。でも、そのメイドの子が必死で少しの時間だけでもいいから、と引き止めてきたので私は少しだけ行く気になっていた。が、他の2人は「俺たち行く気ないわ」と言い出した。秋葉原でもバス停からは離れていたのでバスを逃す可能性があったからかもしれないが頑なに拒んだ。

そして、なぜか2人は私にお金だけを渡して「1人で行ってき」と言い一人で行くことになった。

声を掛けられた場所からメイド喫茶までは少し距離があり道中会話することができた。相手が「お兄さんは何歳ですか?」と甲高い声で訪ねてきた。私は「20歳です…」と答えると「私は異世界から来たので3000歳です」と少し静まった夜の秋葉原で元気よく言われた。「誰も見ていないので頑張らなくていいですよ」と言うと少し間を開けて「20歳です」と落ち着いた声で答えた。さっきの彼女とは別人かのように照れた顔をしている。

彼女に興味が湧いた私は「メイドは楽しいですか」と尋ねた。すると「まあまあ」という意外な答えが返ってきた。私はメイド喫茶で働く人はあのような衣装をきて楽しいから働いているものだと思っていた。

初対面の一大学生に理解なんてされたく無いという気持ちが少しわかるので聞くのを戸惑ったが「何でこの仕事をしているんですか」と聞いた。彼女は空を仰いだ。やっぱりまずかったと思い、違う話題で無かったことにしようとした。そのとき彼女が口を開いた。

私、女優になりたいんです

なんでためらったんだろう、なんで女優になりたくてメイド喫茶ではたらいているんだろうなどと考えていると

「メイドはそのキャラクターになり切らないとだめなんで演技の練習になると思って働いています」

と続けた。なるほど、と思ったのと同時に夢を持って頑張っていることって素敵だな、と思った。すると彼女が

「私、大阪から上京してきて昼は演技の学校に行っていて、夜はメイド喫茶で働いているんです」

「けど、毎日学校で怒られて私って向いてないのかなって思って辞めようか悩んでいるんですよ。」

と言った。そこで「がんばってください」や「諦めないでください」という言葉が頭に浮かんだが彼女は十分に頑張っているだろうしいろいろ悩んで諦めようと考えている相手に特に深く考えていない私がその言葉をかけるのも失礼だと思い、なにも言えなかった。

なにも言えないでいる内に「着きました」と言われた。そこには、異世界やメイドという言葉には似つかわしくない古びた雑居ビルがあった。一緒にエレベーターに乗って7階に着くと

彼女が「お帰りなさいませご主人様」
と甲高い声と共にエレベーターのドアを手で押さえてくれた。

その瞬間からメイドを全力で演じる彼女に変わっていた。それ以降、もう2度と彼女のあの落ち着いた声を聞くことはなかった。

それから、2年経つが彼女は今何をしているかわからない。でも、あの時の夢を持って生きている彼女の姿は輝いていたし応援したくなる。あの夢を持っている人がもつ不思議なオーラはなんなのだろうか。


人が夢について悩んでいるときにいつも彼女のことを思い出す。あのとき、彼女になんて声をかけたらよかったのかわからなかったように悩んでいる相手になんて声をかけたらいいのかわからないから。

でも、夢を持っている姿は輝いているし応援しているという気持ちは誰に対しても変わらない。

夢を持っているすべての人の夢が叶いますように。

2020.04.04

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