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好きになった人の好きが好き

私がうどんを好きなのも、好きな色が緑なのも、犬派か猫派かと問われれば猫派と答えるのも、24歳になった今でもディズニーランドが好きなのも、ドトール、サンマルク、スタバの3つが近くにあったらスタバに入るのもすべて彼女らが好きなものだったから。

私は好きになった彼女らの好きを吸収して大きくなってきた。

昨日の深夜私は目を覚ました。
普段は一度眠りにつくと目覚ましが鳴るまで目を開けないのに昨日だけは目覚ましが鳴る前に目を覚ました。
ベッドの傍らに置いてあるデジタル時計を見ると2:12という表記がかすかに見える。
普段とは違う体の倦怠感を感じながら体温計を探し、脇に挟む。数秒ののちに「ピピピピッ」と音が鳴る。私の体が大きく成長しようが、部屋の配置が大きく変わろうが、この音だけは昔と変わらないことに懐かしさを感じる。

液晶を見ると38.までは確認できる。最後の数字は暗くてあまりよく見えないが、その数字を確認しなくても熱があることはわかったからどうでもよかった。その数字への興味より、これが副反応か、という失望感のほうが大きかった。

私は前日に、新型コロナウイルスのワクチン接種の2回目を終えたばかりでなぜか自分には副反応は出ないだろうと思い込んでいた。だから、自分にこんな高熱として現れる副反応に失望していた。その失望感を胸にもう一度ベッドに横たわると、ハーゲンダッツのバニラ味のカップアイスが頭に浮かんだ。


私の家には熱が出たらハーゲンダッツのバニラ味を食べると熱が引くというおまじないがある。母親いわく、ハーゲンダッツを食べるだけではだめで、このバニラ味だということも熱を収めるためには大事らしい。

最後に風邪を引いて熱を出したのは中学2年生の時だった気がする。その時も母親がハーゲンダッツのバニラ味を買ってきた。その当時好きだった女の子から吸収したイチゴ味のアイスという好みを母親に伝えたのにも関わらず。

だから、私は昨日の夜にハーゲンダッツのバニラ味を想像してベッドに横たわっていた。人の記憶というのは様々な経験やモノを結びつけることで体系化されていくものなんだと実感する。私が好きな人の好きを好きになるのはそういう理由なのかもしれない。ちゃんと好きだったという気持ちを忘れたくないからそうやって彼女らから好きを吸収していったのかもしれない。


でも、私にもちゃんと自分で見つけた好きもある。

大学3年生の時、勇気を出して好きだった彼女を食事に誘い二軒目で夜景の見えるバーに行った際、本気で彼女が喜んでくれて「わぁ~」と夜景に感心しながら満面の笑みでありがとうございますと伝えてくれた。その時の笑顔は誰の影響を受けたわけでもなく、ちゃんと自分で見つけた好きだ。

この笑顔だけは誰も知らない。私しか知らない。

他にもある。
大学4年の時にアルバイト仲間数人で帰っているとき、好きな異性のタイプの話になった。そこで彼女持ちの男の子が「俺、B専だから(笑)」と言った。私はこいつ最低だなって思いつつも悟られないように笑っていた。他のみんなもそんな感じだった。でも私の隣にいた彼女だけは違った。「彼女さんに失礼だし、私が彼女だったら傷つく。もっと彼女さんを大切にしいや」とちゃんと自分の意見をその人にぶつけた。その瞬間、今までの軽い空気が重く変ろうした。が、彼女がすかさず冗談を言って今までの軽い空気に戻した。その冗談がどんなものだったかは忘れたけども彼女の自分の芯を貫く姿勢に尊敬の念を抱いたし、そうやって冗談を言うことで相手を過度に傷つけない配慮できる心は私自身で接して見つけた好きだ。


でも、自分で見つけた好きは自分の中からは出したくないと思ってしまう。それはこの好きを自分の中から人前に出すと、その人の「素敵な思い出だね」という感想や「私にもそういうことがあってね」という思い出で、私の好きを彩られてしまいそうだから。それによって私が当初感じた好きという感情が変化してしまいそうだから。まるで、純粋に好きだと思えた笑顔や配慮出来る心が酸化して色あせてしまう気がするのだ。だから、私という真空パックで好きだと感じた感情を守っていきたいと思ってしまう。

でも最近、この好きの適切な扱い方は自分の中で保存することじゃないと思うようになってきた。それはもう好きを詰め込みすぎてこれ以上自分の中に入れるのがしんどくなってきたから。この好きは本人に伝えていくことがきっと適切な扱い方なんだと思えてきた。そうしたら誰に彩られることもないし、色んな好きでパンパンになった私も少しは痩せて息がしやすくなる気がしたから。それから痩せるために何度か本人に好きを伝えるということをしてみた。けれども、そのすべてで私の好きには答えられないと相手から言われた。どうやら相手は私に対しては同じような好きを持っていなかったらしい。だから、好きを伝えることが正しいことなのかどうかがわからなくなった。それでも、私は好きを伝えられる人でいたいなと思う。そしたらきっと出会えるはずだから

私の好きをいっぱい吸収してくれる人に。
もう自分の中に留めなくても好きを受け取ってくれる人に。
その時になってやっと私は息苦しさを感じないくらい目一杯新鮮な空気が吸えるようになる気がする。

2021.08.07

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