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あそどっぐインタビュー5日目 その3 「 "差別"とはなんぞや?」

今さらだが、あかほしはあそさんが好きだ。
どうしてこんなに好きかわからない。
あそさんが今のあそさんになるまでの道筋もしらない。
だからそれを聞いて、会話して、もっと好きになりたいと思った。

あかほし(以下「ほし」): 全然話がかわるんですけど、子供の時から障害の人とかと普段から関わりがあるといいねっていう話を、以前したじゃないですか。(「人と人のあいだにある "障害 "」)
あそどっぐ(以下「あそ」): うんうん。
ほし: それで障害の子と会いたいゾ!ってすると、なんかそれはそれでヘンかなあって気もしたけれど・・・でも実際はそのようにアクションしないと、出会えないような距離感じゃないですか。そこの扱いって非常に難しいなと思って。その〜、差別ってなんなんだろうなあってこの頃考えてて。
あそ: うんうんうん。
ほし: 私があそさんに興味を持ったというか、「あ、すごい人いるな」って思ったはじめのきっかけは〈障害(仮)〉展のチラシだったかな。
あそ: ああ、鞆の津ミュージアムのね。
ほし: 「なんかすっげえことしてる人いるな」って思ったのが最初だった。コントを見る前から、あそさんには興味があった。けど、でもそれも「障害があって、お笑い芸人やっててすごい」って言葉にするとそうなってしまう・・・
あそ: うん。
ほし: それも、細かいこと言い出すと差別だよなあと思って。
あそ: まあ〜しょうがないよね、でもね、そこはね。今現在ではね、うん。
ほし: もっというと、人間がだれかをみて「この人はブラジル人だな」とか「男だな女だな」「ジイちゃんだな赤ちゃんだな」っていう認識をした時点で、それって差別になり得て・・・ええ〜?と思って。なんだこりゃ〜ってめっちゃ混乱中ですね今。
あそ: あ〜むずかしいよねえ、でもねえ。う〜ん。
ほし: その〜、例えば目の前に歩けない人がいるとき、「歩けない」っていうことを全くないかのように接するのも、それはそれで・・・
あそ: 不自然だもんね。
ほし: 相手の存在を、局所的に無視している感じがあると思うんです。これは実話なんですけど、私の中学校の友達にCちゃんっていう子がいたんですよ。彼女は太っていて。そのCちゃんが、すごい知ったかぶりをする子だったんですよ、出会った当初は。(注1:文末参照)
あそ: (笑)
ほし: その、知ったかぶりする感じがみんなの気にさわってて、ちょっとCちゃんに対してオラオラ〜みたいな、そういう雰囲気があったんです。
あそ: うんうん。
ほし: なのに、Cちゃんが太っているということには一切触れない。本人も、周りも。
あそ: なるほどね、うん。
ほし: 私はそれにすごく違和感がありました。あるじゃん、ここに「太っている」という事実が。それは存在することにしようよっていう・・・『はだかの王さま』でさいごに「王さま裸じゃん」って言っちゃった子供の心理に近いかも。ともかくそういう、見えない壁に対するフラストレーションがあって私が「デブデブ」言い始めたんです・・・いま思うと超ワイルドなアプローチなんですけど。
あそ: (笑)
ほし: そしたらCちゃんが何を思ったか分かんないんだけど、いつしか知ったかぶりをやめて、今度は「知らない」ってことをなんの躊躇もなく言うバカキャラに転身したんですよね。
あそ: へえ〜、思い切ったねCちゃん。
ほし: 細かい経緯は分からないんだけど、ともかく出会った頃は知ったかぶり。で、私がデブデブアプローチを開始して、周りの人も言い始めた。で、気がついたらCちゃんがバカキャラに転生してた。結果的に周囲との距離は縮まっていたんですよ、入学当初よりも。卒業する頃は周りから愛されていたと思います。ていうことがありましてですね。だから・・・その、「この人はこういうコンディションだな」みたいなものをお互い隠さないというか、誰かを見て「この人はこうだな」って感じるのは人間である限りもうどうしようもなくって。だからむしろ「こういうのがあるよね」っていうことを、お互いあけっぴろげにして平気でさわってその先へ進む方が、私はすきだなと。
あそ: うんうん。
ほし: ここまでは分かってるんだけど、でも、認識した時点で差別になっちゃうんじゃ?って問題は、なんか・・・どうしたらよいものか。
あそ: それはもう、しょうがないよねえ。認識した時点ではまだ、相手を知らないからねえ。
ほし: うんうん。
あそ: だからそこの、見た目とかで、想像していろいろ判断するしかないもんなあ。
ほし: そうなんですよね。相手の心がどう動いているかっていう手がかりって、やっぱり外側の・・・顔つきとか、言葉の雰囲気とか、そういう見た目からさぐるじゃないですか。逃れようがない。
あそ: それはそうだよね。だからまあそれは差別とは、また違うよなあ。

ほし: わたし水木しげる先生が大好きなんですけど・・・「土人」っていう言葉ご存じですか?
あそ: 土人。あの〜外国の、なんか、現地の人みたいな。
ほし: うん。今では差別用語と言われてるけど、水木さんはいわゆる「土人」と呼ばれている人たちをリスペクトしてて。リスペクトした上で「土人」っていう言葉をデカい講演会で使って、「ちょっちょっちょっ!」てなったっていうエピソードがあるんですけど。
あそ: (笑)
ほし: だから使われた言葉がその、ハードかハードじゃないかはそこまで重要じゃない。それよりも、どういうつもりで発言者本人が使っているかってことの方がよほど大事だと思う。
あそ: うん、そうだよね。ちょっと話ちがうかもしんないけど、障害者の、「害」の字をひらがなにしろ論争みたいな。なんかそういう言葉尻がどうのじゃなくって、その、使ってる側がどういう心積もりで使ってるかが大事だってね。
ほし: ホントそうですよね。おいおいそこじゃねーだろと。最近やなせたかしにハマってるんですけど、やなせさんが歌詞を書き下ろしたジャムおじさんとバタ子さんのデュエットソングがあるんです(「生きてるパンをつくろう」)。ぽわ〜んとして軽快なメロディーなんですけど、歌詞がなかなか攻めていまして(笑) 歌詞を要約すると「人間は食わなきゃしぬ」と。「生き物は食べずにいれば死んでしまう」「どんな偉いやつだろうが食えなきゃ死ぬんだよ」っていう内容なんですけど。歌のシメにバタ子とジャムおじさんが「食べずにいれば ♪ 死んでしまうっ ♪ 」とノリノリで歌い上げるんです。それが、この前ひさしぶりに聴いてみたら「生きられない ♪ 」にチェンジされていた。
あそ: ええ〜〜、 そんなことになってるんだ。
ほし: そうなんですよ。
あそ: ああ、ひどいわ。
ほし: やなせファンは立腹しました。
あそ: それはアカンね。
ほし: そんなもん、だって「死ぬ」だろうがよと思って。ヘンな誤魔化しはやめてほしい。
あそ: へえ〜。
ほし: あまりにも腹が立ったので、オリジナル歌詞の音源を手に入れて、娘には聴かせてます。
あそ: (笑)
ほし: その「死んでしまう ♪ 」を「生きられない ♪ 」に変えちゃうのとか、そういうのって、Cちゃんの一部であるデブをないものにしているせせっこましさと通底している気がします。あと、「外国人」という言葉もけっこうひっかかっていて。
あそ: ああ、うんうんうん。
ほし: 「外国人」とか「障害者」って言うと、途端にカタカナっぽくなりません?
あそ: カタカナっぽく?
ほし: その〜、言葉の中身とすごく距離があるっていう感じかなあ。
あそ: あ〜うんうん。
ほし: たとえば「中国の人」って言うと、言葉と発言者のあいだに親密さを感じるし、名指された中国の人と発言者の距離も近い感じがする。だけど「中国人」って言ってしまうと、とたんに冷徹なニュアンスになるなって。
あそ: あーなるほどね。
ほし: それ、すごく思っていて。中学か高校の時から「外国人」とか「障害者」っていう言葉を極力封印してます。「外国の人」とか、なるべくひらいたカタチで言おうと思ってて。
あそ: 分かるかんじはする。
ほし: なんなんすかね、それがなぜそうなのかは解き明かせていないのだけど。
あそ: う〜ん、なんだろうね。
ほし: みじかく、一息に言えてしまうってことがちょっと関係あるのかなって気もして。日本に限らず、世界の差別用語も短い言葉が多いような・・・
あそ: う〜ん。なんかそうだね、僕も普段使うのは「外国の人」、「障害のある人」かな。「障害者」を使うのはなんか抵抗がある。自分自身のことは「障害者」って言うけど。
ほし: あ〜なるほど。
あそ: 何か自分以外のものを指す時には「障害のある人」って言うね。うん。
ほし: 他におんなじこと言ってる人、あそさんの周りにいますか?
あそ: どうなんだろうなあ?どうだろうなあ?う〜ん、でもなんか「障害のある人」って使ってる人はけっこういるような気はするね。やっぱその人もなにかしら抵抗があって、その言葉を選んでるんだろうね。
ほし: 短くなればなるほど恐い感じがするなあ。「外国人」よりも「外人」のほうがヤバいかんじがする。
あそ: 「外人」はね、使っちゃいかん言葉になってると思うよ。
ほし: あ、そうなんだ。
あそ: NHKとかではね、「外人」は使ったら録り直しになってた気がする。「外国人」はオッケーだった。言葉はむずかしいよね。時代によっても変わるしなあ。
ほし: そうですね。そうなんだよなあ。

注1:完全にあかほし視点から見た話だったので、Cちゃんにもこの記事を読んでもらった。以下、本人談「バカキャラ以降の記憶はあるが、恐いことに知ったかぶりだった頃の記憶がない(笑)だから当時の心境の変化も思い出せない・・・ただ、小学校がギスギスして弱みをみせられない環境だったから、知ったかぶりをしていたのはそのせいかも」とのことでした。

次回、「障害と宗教と粉ミルク

あそどっぐ
1978年佐賀県生まれ。熊本在住。お笑い芸人。
あかほしあまね
1991年東京都生まれ。『コバガジン』のライター。

前回の記事はこちら 「ヘルパーさんについて(後編)

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