「死ぬまで生きる日記」を読んだ 2023/09/27
見出し画像は「みんなのフォトギャラリー」からお借りしました。
こんなに年を重ねても、「生きにくいなー」と思ってしまうことがまだまだある。本当はきっと死にたくはないのに「死にたい」と思ってしまうこともある。
土門蘭さんも「死にたい」と思ってしまうらしい。
カウンセラーの出す答えが知りたくて、手に取った。
書くことを仕事にしておられる方だけあって、「死にたい」と思ってしまう気持ちがどういうものなのか、すごくわかりやすく伝わってくる。
生きたいと思っていても、「死にたい」と思ってしまう、それがどういうことなのか。カウンセリングのその先に果たしてなにがあるのか。
私が特に興味があったのは、カウンセリングを終えた土門さんの問題は解決したのかということだ。「死にたい」と思ってしまう気持ちが治療できるものなのか、知りたかった。
しかしそれはある意味ネタバレになってしまうので、ここでは書かない。
カウンセリングというと「寄り添う」という言葉が思い浮かんでくるぐらい、こちらが話したことをカウンセラーが聞くことが中心なのかと思っていた。
しかしここでは寄り添うことも大事にされているが、私が思っていたより、ずっと能動的というか、問題解決に意識的に向かっていくものなのねということ。自分が思っていたよりもっともっと「治療的」なのに驚いた。
しかしそれは決して、性急ではないし、クライエントに無理もかかっていない。
人は直線的ではなく、螺旋的に変化していくもの。
自立は、依存先を増やすこと。
過去は変えられないけれど、捉えなおすことはできる。
最後のほうでは、土門さんに感情移入してしまい、一緒に泣いてしまった。
カウンセリングは自分の内面を掘り進めていくようなものだ。
その内面にぱっと光があたったとき、人には何が起こるのだろうか。
土門さんの場合、幼いころの環境が多かれ少なかれ今の「死にたい」気持ちにつながっているように思う。
心の問題というのは、軽視されがちなこともあるし、見た目にわかりづらいので、本人の意思次第では、隠すことも、また、隠そうと思わなくても意識せずに過ごすことも多いと思う。
原因を探り、対処法を考え、勇気づける。
それがどういう風に行われていくのか興味のある人にもお勧めできる本。
近年、うつ病など、心の疾患は、脳に原因があることが多いとされているが、そればかりではなく、人間と人間とのふれあいを介して治療する、勇気づける。そういうことってやはり必要だなと感じた本だった。