『三四郎』の謎について 27 何故三四郎は他人の死に冷淡なのか?
二度目は偶然ではない、と思いませんか。
電車の中で同じ人に二回足を踏まれたら怒りませんか。私は怒ります。わざとだと思うからです。
轢死体の場面、その翌朝の「きょうはいい天気だ。世界が今朗らかになったばかりの色をしている」という感覚は何なんだろうと思いましたが、その時点では答えはありませんでした。明らかにおかしいと思います。全然尋常じゃないですよね。あるいは真面ではないです。
それでも一回だけなら、ここは不思議だな、と大した意味付けができないまま終わってしまうのですが、どうも『三四郎』はそんなに簡単には出来ていなくて、むしろしっかりと謎を作ってくれています。
火事と喧嘩は江戸の華と言われたくらい、そもそも他人の家が焼けようが焼け死ぬ人がいようが、それを見物して楽しむくらいの感覚が江戸っ子の粋だったとして、よくよく考えてみれば三四郎は福岡の田舎者だったはずです。何を呑気に見物しているんでしょうか。
ただ家が焼けているだけではなく、三四郎の想像は確かに人間にも及んでいるわけです。それにしてはクールではないでしょうか。まあ、他人の死などと云うものは一々嘆くこともないのかもしれませんが、この翌朝にも漱石は「夜が明ければ常の人である」と、して敢えて三四郎にそういう「一晩寝るとコロッと忘れる」淡々とした、あるいは冷淡な性格を与えているようにも思います。
そして気が付いてみれば、ここには確かに「東京の火事はこれで二へん目である」とあるのに、作中に「火事」の文字はこの一か所にしか現れず、一回目の火事は気にも留められていないことが解ります。
三四郎にとっては美禰子とのことが一大事で他の事はどうでもいいかのようです。他人の死などはどうでもいい、その感覚はただ正直なだけなのでしょうか。いや、轢死体の際にはただ他人の死があったのではなく、本人とは見分けがつかないくらい醜く歪んだ無傷の美禰子のすごい死顔があった筈です。女の顔は無傷で、凄い死顔でした。
三四郎の妄想の中で確かに轢死体の女は美禰子と結びつけられています。三四郎は美禰子の顔を知っていました。三四郎は轢死体の顔を見ています。轢死体の女の顔は無傷でした。ならば凄い死顔とはただ恐怖と苦痛で歪んでいただけではなくて本人とは見分けがつかないくらい醜く歪んだ顔でなくてはなりません。
三四郎は他人の死に冷淡ではなく、死そのものに冷淡なのではないでしょうか。何故漱石は三四郎にこうした性格を与えたのでしょうか。これではまるで「則天去私」ではないですか。
しかし思い出してみれば、この性格はサバイバーズ・ギルトのない夏目漱石の思いがけないほどの冷淡さそのまま、なのかもしれません。
例えばこの『趣味の遺伝』には、話者「余」が想像の中で戦場に臨場し「浩さん」の死を見物するという奇妙なエピソードが出てきますが、その調子というものはいかにもふざけているように感じられます。「浩さん」の死などどうでもいいことのように感じられます。人間性という意味では何かが欠落しているんじゃないかとさえ感じられます。
この「余」のように剽げてはいませんが、よく読むと三四郎の態度にも何か人間性を欠いたようなところがあるのではないでしょうか。
そういう目で読み直してみるとあることに気が付きます。三四郎には与次郎以外に「友達」が見当たりません。与次郎がかき回してくれるおかげで孤独感というものはありませんが、逆に与次郎がいなかったらどうなっていただろうと思うほど、つきあいがないのです。それは三四郎の性格が関係しての事ではないでしょうか。親睦会で隣になった男とも会話が弾みません。その後の付き合いにも発展しません。
何故三四郎が他人の死に冷淡なのかと考えてみれば、単にそういう性格だからということになるかもしれませんが、逆に何に熱心なのかと考えると一つの矢印が見えてきます。
この場面、やはりかなりの女好きとして描かれています。よくよく思い出してみれば、いくら好みのタイプの女がいたとしても、
ここなんですが、「目がゆきあたることもあった」にもかかわらず「五分に一度ぐらいは目を上げて女の方を見」ることをやめなかったとも読めますよね。しかも女が向い合わせの席に坐っているのではないとしたら、相当に助平ではないでしょうか。
三四郎は漱石から人の死には無関心で、ひたすら助平な性格を与えられているように思えます。
原口の所には美禰子がいます。三四郎の目は女にしか向いていません。三四郎は冷淡なのではなく、他人の生死はそもそも関心外の出来事なのです。女にだけ関心があるのです。それが三四郎の青春なのです。
これ案外、気がついていないことじゃないですか。
[余談]
おじゃんになる、という言葉は半鐘の「じゃん、じゃん」という音が語源だと言われるが、
こんな説もある。とりあえず
これは真実。
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