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『カーライル博物館』について②

 いつもという訳ではないが、時々肝心なことを書き忘れる。『チョコレート』という小説を書いて、結局チョコレートを出さずにしまったことがある。「『カーライル博物館』について①」を書いて、②を書くのを忘れていたし、何を書こうとしていたのかも忘れていた。

 この「『カーライル博物館』について①」では、さも目の前でカーライルと爺さんが会話をしているような奇妙な書き出しについて書いた。その後書こうとしていたのは『カーライル博物館』が何故『カーライル博物館』なのかということだった。実際、

否彼の多年住み古した家屋敷さえ今なお儼然と保存せられてある。千七百八年チェイン・ロウが出来てより以来幾多の主人を迎え幾多の主人を送ったかは知らぬがとにかく今日まで昔のままで残っている。カーライルの歿後は有志家の発起で彼の生前使用したる器物調度図書典籍を蒐めてこれを各室に按排し好事のものにはいつでも縦覧せしむる便宜さえ謀られた。(夏目漱石『カーライル博物館』)

 こう書かれているのを読んでも初見では、「まだ別の博物館があるのかな……」と先に進んでしまう。一般的にはこうしたものは「カーライル記念館」と呼ばれる筈だからである。しかしミュージアムはメモリアル・ホールを内包する概念だから……と思い直すのは結末迄読んでからだ。

 チェイン・ローは河岸端の往来を南に折れる小路でカーライルの家はその右側の中頃に在ある。番地は二十四番地だ。
 毎日のように川を隔てて霧の中にチェルシーを眺めた余はある朝ついに橋を渡ってその有名なる庵を叩いた。(夏目漱石『カーライル博物館』)

 これも初見では気が付かないが、色々と振り返ってみるとこの時、ロンドンで同宿していた池田菊苗(L-グルタミン酸ナトリウムの発見者)と一緒にいた筈である。なのに作品としての『カーライル博物館』からは池田菊苗の姿が消えている。一体どういう意図があってそうしたのか解らない。小説ならば人数を省くということは当たり前に行われるが、ここで友一人くらいは邪魔にはなるまいと思われる。

「十三日に降ったら大変だなあ」とOが独言のように云った。
「天気の時より病人が増えるだろう」と自分も気のなさそうに返事をした。
 Yは停車場ステーション前で買った新聞に読み耽ったまま一口も物を云わなかった。(夏目漱石『初秋の一日』)

 一般論として、三人が同じ場面に居るとマルチモーダルインタラクションがマルチパーティカンバセイションになり、マルチパーパスになってややこしい。Aさんの同じ言葉がBさんとCさんには別の意味になる。そうすることもできるし、一方を傍観者にすることも出来る。しかしどうも漱石はそんな遊びが苦手ではない。平気で三四人を会話に参加させる。だから池田菊苗を消してしまうことは、むしろ不自然であって、何か意図があるのかと勘繰りたくもなる。また、

 余は今この四角な家の石階の上に立って鬼の面のノッカーをコツコツと敲たたく。しばらくすると内から五十恰好の肥った婆さんが出て来て御這入りと云う。最初から見物人と思っているらしい。婆さんはやがて名簿のようなものを出して御名前をと云う。余は倫敦滞留中四たびこの家に入り四たびこの名簿に余が名を記録した覚えがある。この時は実に余の名の記入初めであった。なるべく丁寧に書くつもりであったが例に因ってはなはだ見苦しい字が出来上った。前の方を繰りひろげて見ると日本人の姓名は一人もない。して見ると日本人でここへ来たのは余が始めてだなと下らぬ事が嬉しく感ぜられる。(夏目漱石『カーライル博物館』)

 ここも「『倫敦塔』について①、②」を書いた後なので、ようやく書くことが出来るのだが、

 二年の留学中ただ一度倫敦塔を見物した事がある。その後ご再び行こうと思った日もあるがやめにした。人から誘われた事もあるが断った。一度で得た記憶を二返目に打壊すのは惜しい、三たび目に拭い去るのはもっとも残念だ。「塔」の見物は一度に限ると思う。(夏目漱石『倫敦塔』)

 倫敦塔へはただ一度、カーライル博物館へは四度、この差は何だろうと考えてしまう。大抵の名所は一回訪れれば十分なものである。しかしたいていの記念館も特別展示や講演会などがない限り、一度行けば十分なものだ。では何故漱石はカーライル博物館を四度も訪れたのだろうか。それにたった一度の訪問の記憶に基づいて書かれたはずの『倫敦塔』が四度も訪問した『カーライル博物館』の2.4倍も長いのは何故なのだろうか。そう気が付いて読み直してみると、『カーライル博物館』には四度の訪問の痕跡が見つからない。記憶が塗り替えられたり、新たな発見をするという変化が感じられないのだ。

 無論これらの謎にはずばりこれという答えはなかろう。カーライル博物館では余には幻想は見えず、倫敦塔ではたまたま見えた。倫敦塔ではたまたま怪しい女が現れたが、カーライル博物館を案内する婆さんはあんぱんのような丸顔で流暢なだけだ。漱石はつい池田菊苗の存在そのものを根本から忘れたのかも知れないし、池田菊苗からは漱石が見えていたが、漱石からは池田菊苗が見えないという不思議な空間が描かれたのかも知れない。これらはいずれも知れないことなのだ。

 入館料六ペンスに対して、案内の婆さんへの銀貨のチップは奢り過ぎているようにも感じられるが、その価値を現代に換算して比較する資料が見つからない。四度の訪問の都度、銀貨をやったかどうかも知れないことである。知れないように書かれていて、答えがないことを思い出して書いているけれど、本当は見つけた筈の答えを思い出せないだけなのかも知れない。








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