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岩波書店『定本漱石全集』注解を校正する145 夏目漱石『道草』をどう読むか21 ある意味徹底している

 プロの評論家による村上春樹の最新作『街とその不確かな壁』の感想のようなものを二三読んだ。その題名と由来からどうしても失敗作である旧作と比較して読まざるを得ない仕組みなのだろうが、それは果して正しい読み方なのだろうか。
 そもそも村上春樹作品はあらゆる謎解きを許容し、失敗させるからくりとして「正解を用意していない」という原則を貫いている。月が二つある理由も、リトル・ピープルの正体も正解というものはそもそもない。インタビューでは「僕にも解りません」と答えている。
 それでもプロである以上評論家はしかるべきことを述べなければならない。否定的言説に留まることができない。だから飽くまでも曖昧なものになにがしかのもっともらしさを与えようと旧作との「差」という確かなものを頼りにしようとする。無論「無」からスタートしなかった作家の側にも責任はある。あるいは最近はそうした評論を許容するかのように、分かりやすく元歌を提示している作家の目論見通りに評論させられている?

 しかしそれはプロではない普通の読者に漱石が『道草』で仕掛けてきたことと同じやり方ではないのだろうか。私たちは余りにも村上春樹のことを知り過ぎている。夏目漱石もそういう作家の一人だろう。
 今にして思えば『塀の中の懲りない面々』が『INPOCKET』という文庫本サイズの雑誌に連載され始めた時は、誰も作者のプロフィールなど知らず、ただ可笑しな奴が変な小説を書き始めたなと新鮮な気持ちで作品と向き合うことができた。それは『群像』を立ち読みしていて偶然『風の歌を聴け』と出会った時も同じだった。
 もう村上春樹はそういう作家ではなくなった。夏目漱石はどうもそこを突いてきた。

まるで解釈出来なかった

  その中変な現象が島田と御常との間に起った。
 ある晩健三がふと眼を覚まして見ると、夫婦は彼の傍ではげしく罵しり合っていた。出来事は彼に取って突然であった。彼は泣き出した。
 その翌晩も彼は同じ争いの声で熟睡を破られた。彼はまた泣いた。
 こうした騒がしい夜が幾つとなく重なって行くに連れて、二人の罵る声は次第に高まって来た。しまいには双方とも手を出し始めた。打つ音、踏む音、叫ぶ音が、小さな彼の心を恐ろしがらせた。最初彼が泣き出すとやんだ二人の喧嘩が、今では寐ようが覚めようが、彼に用捨なく進行するようになった。
 幼稚な健三の頭では何のために、ついぞ見馴れないこの光景が、毎夜深更に起るのか、まるで解釈出来なかった。彼はただそれを嫌った。道徳も理非も持たない彼に、自然はただそれを嫌うように教えたのである。

(夏目漱石『道草』)

 明示的に書かれている部分で、

・島田は再婚している
・御常は前妻

 ……という事実があるにも関わらず、この曖昧な夫婦げんかの様子から私たちはつい「ああ、これで離婚して、健三には嫌な感情が残るのだな」とつい先読みしてしまう。そうし向けられている。ここは漱石が楽に筋を運ぼうとしているところではあるまい。

 何やら込み入った事情をわざと曖昧に描きながら、「幼稚な健三」という架空の存在を信じさせようとしているのだ。「ああ、これで離婚して、健三には嫌な感情が残るのだな」と健三が理解しないことで、むしろ読者は「ああ、これで離婚して、健三には嫌な感情が残るのだな」と読んでしまう。

 この幼稚な健三そのものへはなかなか入り込めない。それは話者が既に「幼稚」と言ってしまっているからだ。我々は状況が理解できない健三を見せられている。そういう昔の自分を健三も見せられているのだ。

むしろ島田の方を好いた

 やがて御常は健三に事実を話して聞かせた。その話によると、彼女は世の中で一番の善人であった。これに反して島田は大変な悪ものであった。しかし最も悪いのは御藤おふじさんであった。「あいつが」とか「あの女が」とかいう言葉を使うとき、御常は口惜しくって堪まらないという顔付をした。眼から涙を流した。しかしそうした劇烈な表情はかえって健三の心持を悪くするだけで、外に何の効果もなかった。
「あいつは讐だよ。御母さんにも御前にも讐だよ。骨を粉にしても仇討ちをしなくっちゃ」
 御常は歯をぎりぎり噛んだ。健三は早く彼女の傍を離れたくなった。
 彼は始終自分の傍にいて、朝から晩まで彼を味方にしたがる御常よりも、むしろ島田の方を好いた。その島田は以前と違って、大抵は宅にいない事が多かった。彼の帰る時刻は何時も夜更らしかった。従って日中は滅多に顔を合せる機会がなかった。

(夏目漱石『道草』)

 自然自然と云いながら、ここではただ自然とは片付けられない健三の心の動きが語られている。確かに健三は御常が嘘つきであることを知っている。御常が「吝嗇」であり、御常の愛情が「金の力で美くしい女を囲っている人が、その女の好きなものを、いうがままに買ってくれるのと同じよう」な不純なものであることを誰かから教えられた。しかしそれだけで母を捨てられるものだろうか。「吝嗇」は兎も角として、ならばすがるようにしてでもと本当の愛を得たいと願うのが母と子の関係ではなかろうか。
 何故なら母と子の関係はふらっとあらわれるようなものではなく、子は母に製造されたと言ってもいい存在だからである。
 しかし「健三は早く彼女の傍を離れたくなった」と健三は御常を交換可能なパーツのように扱っている。実子と実母の絶対的な関係ではそもそもないことを当時の健三は明確に理解していたのだろうか。それともこの感情の中には後に与えられる情報による捏造が含まれてはいまいか。

 あるいは健三はトラブルの原因は島田の浮気にあると理屈を一切認めていないのだろうか。まさかそれくらいは男の甲斐性だと認めている訳ではなかろう。それなのに健三は「むしろ島田の方を好いた」と妙なポジションを取る。大体島田なんて男は大抵悪い奴だ。

彼らは碌に顔さえ見合せなかった

 しかし健三は毎晩暗い灯火の影で彼を見た。その険悪な眼と怒りに顫える唇とを見た。咽喉から渦捲く烟りのように洩れて出るその憤りの声を聞いた。
 それでも彼は時々健三を伴つれて以前の通り外へ出る事があった。彼は一口も酒を飲まない代りに大変甘いものを嗜んだ。ある晩彼は健三と御藤さんの娘の御縫さんとを伴れて、賑やかな通りを散歩した帰りに汁粉屋へ寄った。健三の御縫さんに会ったのはこの時が始めてであった。それで彼らは碌に顔さえ見合せなかった。口はまるで利かなかった。

(夏目漱石『道草』)

 不自然の原因はここではないのか。「険悪な眼と怒りに顫える唇」を嫌悪することもなく、健三は島田と出かけたように見える。そして御縫さんに会った。「彼らは碌に顔さえ見合せなかった。口はまるで利かなかった」とは顔を見て話をしたかったと思ったということなのではないか。つまり御縫さんに会えたことで、少し遡って島田の悪いイメージが払拭されていないだろうか。

 あるいは健三は話者をして御常を見限った言い訳をさせていないだろうか。
 無論こうした気持ちの変化が自然であるわけはない。

右の方かい、左の方かい

 宅へ帰った時、健三は御常から、まず島田にどこへ伴れて行かれたかを訊かれた。それから御藤さんの宅へ寄りはしないかと念を押された。最後に汁粉屋へは誰と一所に行ったという詰問を受けた。健三は島田の注意にかかわらず、事実をありのままに告げた。しかし御常の疑いはそれでもなかなか解けなかった。彼女はいろいろな鎌を掛けて、それ以上の事実を釣り出そうとした。
「あいつも一所なんだろう。本当を御いい。いえば御母さんが好いものを上げるから御いい。あの女も行ったんだろう。そうだろう」
 彼女はどうしても行ったといわせようとした。同時に健三はどうしてもいうまいと決心した。彼女は健三を疑ぐった。健三は彼女を卑しんだ
「じゃあの子に御父ッさんが何といったい。あの子の方に余計口を利くかい、御前の方にかい」
 何の答もしなかった健三の心には、ただ不愉快の念のみ募った。しかし御常は其所そこで留まる女ではなかった。
「汁粉屋で御前をどっちへ坐らせたい。右の方かい、左の方かい」
 嫉妬から出る質問は何時まで経っても尽きなかった。その質問のうちに自分の人格を会釈なく露わして顧り見ない彼女は、十にも足りないわが養い子から、愛想を尽かされて毫も気が付かずにいた。

(夏目漱石『道草』)

 御常の嫉妬深さは漱石譲りかと可笑しみのあるところ。しかしどうも誤魔化されている。差別意識と言うものは如実に表れる。人間には合う合わないがあるとして、例えば部下を一人は呼び捨てにして、一人は「くんづけ」で呼ぶ。これは差別である。呼んでいる方は案外気が付かない。しかし呼ばれた方は気が付く。おそらくどこかで健三の無意識は島田と御常を呼び捨てにすることに決め、御縫さん、御藤さんを「さんづけ」で呼ぶことに決めた。無意識だけにそこには明確な理由はなく自然があるというわけでもなかろう。

 おそらくここには御住と「御縫さん」との対比があり、御住と重ねられる御常がいる。御縫さんによって島田は救われ、御常は卑しめられた。

今までの住居も急にどこへか行ってしまった

 間もなく島田は健三の眼から突然消えて失くなった。河岸を向いた裏通りと賑やかな表通りとの間に挟まっていた今までの住居も急にどこへか行ってしまった。御常とたった二人ぎりになった健三は、見馴れない変な宅の中に自分を見出だした。
 その家の表には門口に縄暖簾を下げた米屋だか味噌屋だかがあった。彼の記憶はこの大きな店と、茹でた大豆とを彼に連想せしめた。彼は毎日それを食った事をいまだに忘れずにいた。しかし自分の新らしく移った住居については何の影像も浮かべ得なかった。「時」は綺麗にこの佗しい記念を彼のために払い去ってくれた
 御常は会う人ごとに島田の話をした。口惜しい口惜しいといって泣いた。
「死んで祟ってやる」
 彼女の権幕は健三の心をますます彼女から遠ざける媒介となるに過ぎなかった。
 夫と離れた彼女は健三を自分一人の専有物にしようとした。また専有物だと信じていた。
「これからは御前一人が依怙だよ。好いかい。確りしてくれなくっちゃいけないよ」
 こう頼まれるたびに健三はいい渋った。彼はどうしても素直な子供のように心持の好い返事を彼女に与える事が出来なかった。

(夏目漱石『道草』)

 たまには家も移動しなくはないけれど大抵は人間が引っ越すのだ。健三は「変な宅の中に自分を見出だした」のだがその「新らしく移った住居については何の影像も浮かべ得なかった」というのだから外観の記憶がないということになるのだろう。しかし「見馴れない」とあるので前の家とは違うという印象だけが残っていることになる。
 赤い門の広い宅、淋しい田舎の表に櫺子窓の付いた小さな宅、細長い屋敷を三つに区切ったものの真中、と引っ越してきた彼らは、どうやらそこから追い出されてしまったようだ。「彼のために払い去ってくれた」というその宅は「門口」こそあれ外観の乏しい手狭な家ではなかっただろうか。
 ここでは忘却が救いでもあることが指摘されている。

 その一方で島田を恨み、悔やみ続ける御常がいる。

 どういうわけかやはりこの状態でも健三は御常に同情すらしない。よくよく考えてみれば、御常が夫を御藤さんに奪われて家を追い出されたのだとしたら、健三も御縫さんによって養父を奪われたという相見互いの状況である筈だ。なのにそういう発想がまるでない。御常はただただ悪者である。

 さらに言えばもう三十六にもなる男の回想なのだとしたらいささか大人げない。夫を奪われて家を追い出された養母に対する思いやりがかけらもない。わがままな子供のままの感情がそのまま呼び起こされているように語られている。感情其の儘の記憶、そんなものが呼び出せるものかどうか私には解らないけれど、すくなくともここで書かれていることが自然だとは私には思えない。むしろとても奇妙な「記憶」が形作られているように思える。


自分の事とは思えない

 健三を物にしようという御常の腹の中には愛に駆られる衝動よりも、むしろ慾に押し出される邪気が常に働いていた。それが頑是ない健三の胸に、何の理窟なしに、不愉快な影を投げた。しかしその他の点について彼は全くの無我夢中であった。
 二人の生活は僅かの間しか続かなかった。物質的の欠乏が源因になったのか、または御常の再縁が現状の変化を余儀なくしたのか、年歯の行かない彼にはまるで解らなかった。何しろ彼女はまた突然健三の眼から消えて失くなった。そうして彼は何時の間にか彼の実家へ引き取られていた。
「考えるとまるで他の身の上のようだ。自分の事とは思えない」
 健三の記憶に上せた事相は余りに今の彼と懸隔していた。それでも彼は他人の生活に似た自分の昔を思い浮べなければならなかった。しかも或る不快な意味において思い浮べなければならなかった。

(夏目漱石『道草』)

 ここでつい夏目漱石の生い立ちを思い出し、実家に戻る時期とその理由について事実どうだったかと「差」を見出そうとする自分がいる。そこを押しとどめて改めて素直に驚けば、なるほど出鱈目なことが書かれている。

 まず「御常が夫を御藤さんに奪われて家を追い出された」というのは解る。しかし何も健三まで追い出す理由はないので、健三は御常が無理やり連れて行ったのだとしよう。しかしそうならば「物質的の欠乏」も「御常の再縁」も大人からは目に見えていた話ではないか。そうなるといかにも島田は無責任で、結果としてそういう状態をもたらした御藤さんとその娘御縫さんが健三にとって敵にならない理由はないように思われる。

 なのに悪意は御常にだけ向けられている。

 岩波はこの「考えるとまるで他の身の上のようだ。自分の事とは思えない」の前の行までが健三の追憶であるという注解をつけている。ただこれまで見てきたようにその中には単に健三の記憶とは見ることができないものが含まれており、現時点の健三が過去のことを想い出しているというよりは、現前に過去の空間に過去の意識が現れては移っていくような独特の意識の流れが表現されているところがある。

 後に谷崎潤一郎が映画に興味を持ち、脚本を手掛けるほか、映画的な小説を試みたのと比べても、どうもこの『道草』の方が映画的に思えるのはその独特の表現から来るものだろうか。

大袈裟に云ふと、全體宇宙といふものが、此の世の中の凡ての現象が、みんなフィルムのやうなもので、刹那々々に變化はして行くが、過去は何處かに巻き収められて殘つてゐるんぢゃないだらうか? だから此處にゐる己たちは直に跡方もなく消えてしまふ影に過ぎないが、本物の方はちゃんと宇宙のフィルムの中に生きてゐるんぢゃないだらうか? 己たちの見る夢だとか空想だとかいふものも、つまりそれらの過去のフィルムが頭の中へ光を投げるので、決して単なる幻ではないのだ。

(谷崎潤一郎『肉塊』)

 映画フィルムという新しい技術を知る前から夏目漱石の小説は映画的な技術を工夫していた。一マスに一文字しか書きこめない小説の制約の中で、絵が様々に変わる。

 つまりここまでの過去を「考えるとまるで他の身の上のようだ。自分の事とは思えない」として実家に戻ったところで切り上げた健三の不快さに隠れて、ここまでに「なんとしても過去として現れない実母の存在のなさ」というものが確かにある筈なのである。そこに健三は絶対に目を向けない。カメラはその姿を絶対に映さない。それは「彼のために払い去ってくれた」ものですらない筈だ。この『道草』全体で実母はまるでわいせつ物でもあるかのように暈され、あるいはアングルで隠されている。何かを語り、何かを語らないことで見えないものが見えてくる。


健三には全く覚がなかった

 

「御常さんて人はその時にあの波多野とかいう宅へまた御嫁に行ったんでしょうか」
 細君は何年前か夫の所へ御常から来た長い手紙の上書をまだ覚えていた。
「そうだろうよ。己も能よく知らないが」
「その波多野という人は大方まだ生きてるんでしょうね」
 健三は波多野の顔さえ見た事がなかった。生死などは無論考えの中になかった。
「警部だっていうじゃありませんか」
「何んだか知らないね」
「あら、貴夫が自分でそう御仰ったくせに」
「何時」
「あの手紙を私に御見せになった時よ」
「そうかしら」
 健三は長い手紙の内容を少し思い出した。その中には彼女が幼い健三の世話をした時の辛苦ばかりが並べ立ててあった。乳がないので最初からおじやだけで育てた事だの、下性が悪くって寐小便の始末に困った事だの、凡てそうした顛末を、飽きるほど委しく述べた中に、甲府とかにいる親類の裁判官が、月々彼女に金を送ってくれるので、今では大変仕合せだと書いてあった。しかし肝心の彼女の夫が警部であったかどうか、其所になると健三には全く覚がなかった。

(夏目漱石『道草』)

 健三は御勢のことばかりかこうしたちょっとしたことを忘れてしまう。あるいは夏目漱石は記憶や過去というものがそうした継ぎはぎでできた不確かなものであると書いている。その不確かさを突き止められない健三は自分が捨て子であるかどうか確認できない。

 どうでもいいことは忘れてしまう、とも書いているようだ。徹底して実母の記憶を排除しながら、逆に実母を「どうでもいいこと」に押し込めようとするつもりなのだろうか。

 繰り返し述べているように御常が養母であるとして、実家にいた父の妻が健三の母でない可能性もなくはない。むしろ姉の記憶の無さからは、健三が実家ではないどこか別の場所で生まれたかのように推測される。ならば実家にいた父の妻でさえ「養母 第二」でしかなく、「養母 第三」と交換可能な存在であり、それこそ「どうでもいいこと」の一つに過ぎない。

 そしてそういう状況であってさえ、生死は別として、健三には「実母」というものがこの世のどこかには存在しているとして理屈では考えられるものの、健三自身はその「実母」の記憶を一切持たないのだから全く頼りない。

 須永市蔵は妹に自分のことを「兄さん」とは呼ばせず「市蔵ちゃん」と呼ばせていた養母の差別に気が付かず、本当の親子のように睦まじく暮らしている。

 健三は御常に与えられた「吝嗇」のイメージを膨らませて養母を卑しんだ。誰かが須永市蔵に「ところで妹が兄さんと呼ばなかったのはどうしてだろうね。誰がコントロールしたんだろうね」と詰めていたら、市蔵は養母を卑しんだかもしれない。

 実家に帰った健三に「家のものの誰か」が「それでも御常さんには感謝しなきゃならないよ。散々お世話になったんだもの」と言い聞かせていたら、健三は市蔵のような養母への愛しみが持てたかもしれない。

 おそらくそんなことを言ってくれる人は誰もいなかったのだ。実家から放り出しておいて、仕方なく引き取る人しかいなかったのだ。そんな書かれていないことはさっさと忘れて思い出さない方がいい。



[余談]

「あなた何が好き」
「旦那様も島田が好きだときっとおっしゃいますよ」
 僕はぎくりとした。千代子はまるで平気のように見えた。わざと僕の方をふり返って、「じゃ島田に結って見せたげましょうか」と笑った。「好いだろう」と答えた僕の声はいかにも鈍に聞こえた。

(夏目漱石『彼岸過迄』)

 それにしても「島田」という命名はなんなんだろう?

 督促だからあっているのか。


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