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岩波書店・漱石全集注釈を校正する29 蜘蛛手十字に宿世の夢、龕中に馳せかけた冷飯草履

「塔」の見物は一度に限る

 二年の留学中ただ一度倫敦塔を見物した事がある。その後再び行こうと思った日もあるがやめにした。人から誘われた事もあるが断った。一度で得た記憶を二返目に打壊すのは惜しい、三たび目に拭い去るのはもっとも残念だ。「塔」の見物は一度に限ると思う。

(夏目漱石『倫敦塔』)

 何気ない書き出しで、ここに何かしかけられていると気が付く人もあるまいが夏目漱石全集を読み返すと、なにかわざわざそう書いていることが解る。

余は倫敦滞留中四たびこの家に入り四たびこの名簿に余が名を記録した覚えがある。

(夏目漱石『カーライル博物館』)

 このさりげなさが漱石の仕掛けだろう。ふりを丁寧に、落ちはさらりと、それが江戸っ子の粋というところか。


蜘蛛手十字

この広い倫敦を蜘蛛手十字に往来する汽車も馬車も電気鉄道も鋼条鉄道も余には何らの便宜をも与える事が出来なかった。余はやむを得ないから四ツ角へ出るたびに地図を披いて通行人に押し返されながら足の向く方角を定める。

(夏目漱石『倫敦塔』)

岩波書店『定本 漱石全集第二巻』注解に、

蜘蛛手十字 縦横に交叉しているようす。

(『定本 漱石全集第二巻』岩波書店 2017年)

 ……とある。蜘蛛手とは縦横ではなく蜘蛛の足のように胴体から四方八方に伸びているようすの事である。鉄道網、交通網は大抵縦横では繋がらない。もう少し絡み合っていることを示している。

宿世の夢の焼点

 前はと問われると困る、後はと尋ねられても返答し得ぬ。ただ前を忘れ後を失っしたる中間が会釈もなく明るい。あたかも闇を裂く稲妻の眉に落つると見えて消えたる心地がする。倫敦塔は宿世の夢の焼点のようだ。

(夏目漱石『倫敦塔』)

岩波書店『定本 漱石全集第二巻』注解に、

宿世の夢の焼点 「宿世」は仏教語で過去の世、「焼点」は焦点。

(『定本 漱石全集第二巻』岩波書店 2017年)

 ……とある。ここは「宿世」を前世といわず暈したところであろうか。「焼点」は焦点と同じ意味で次第に焦点が多く使われるようになったもの、ここは稲妻のイメージから選ばれた表記だろう。『倫敦塔』の基調である因縁と現実との交錯がこの表現の内に圧搾されているところなので、むしろ宿世の夢は過世の夢、因縁の意味を強調したい。

龕中

過去と云う怪しき物を蔽える戸帳が自ずと裂けて龕中の幽光を二十世紀の上に反射するものは倫敦塔である。

(夏目漱石『倫敦塔』)

 岩波書店『定本 漱石全集第二巻』注解に、

龕中 神仏の像を納める厨子の中。

(『定本 漱石全集第二巻』岩波書店 2017年)

 ……とある。ここでは実物ではなく観念の龕であり、そう細かく読まなくともよいが厨子では戸張が裂けても扉を開かねば中は見えない。壁龕に帳ではなく「戸張」がかかるかどうか、曖昧である。「戸張」とある以上は厨子でよいとも思われ、倫敦ならば壁龕の方が相応しいとも思えるところ。

一目散に塔門まで馳せ着けた

 しばらくすると向う岸から長い手を出して余を引張るかと怪しまれて来た。今まで佇立して身動きもしなかった余は急に川を渡って塔に行きたくなった。長い手はなおなお強く余を引く。余はたちまち歩を移して塔橋を渡り懸けた。長い手はぐいぐい牽く。塔橋を渡ってからは一目散に塔門まで馳せ着けた。

(夏目漱石『倫敦塔』)

 ここはこの『倫敦塔』がただの紀行文ではないという正体を現す場面。このあと無い句を妄想し「余はこの時すでに常態を失っている」とある。

冷飯草履


 岩波書店『定本 漱石全集第二巻』注解に、

冷飯草履 粗末なわら草履。

(『定本 漱石全集第二巻』岩波書店 2017年)

 ……とある。

【冷飯草履】ヒヤメシザウリ。「冷飯」には丁寧に待遇するに及ばぬ人に供し與へるものといふ義があるがそのことから、緒も藁で組んであつて紙なども卷かない粗製下等な草履のこと。

『現代文新鈔参考 巻1』光風館編輯所 編光風館書店 1926年

 

女子国文選教授資料 巻3 明治書院 編明治書院 1928年

地下室で下足をあづけると、竹皮の冷飯草履を穿かねばならない。石やコンクリートの上を冷飯草履であるく、文明と野蠻を搗き交ぜたその感覺は、事實以上に冷たく貧しい。

『二重生活』河東碧梧桐 著改造社 1924年

竹皮のものもあったようだ。

冷飯草履と鋲を打った兵隊靴が入り乱れ、もつれ合って、うねりくねって新橋の方へ遠ざかって行く。余は浩さんの事を思い出して悵然と草履と靴の影を見送った。

(夏目漱石『趣味の遺伝』)


新定国文教授資料 : 商業学校用 巻3 東京開成館編輯所 著東京開成館 1933年

 冷飯は当て字とする説もあり。ひもやめし草履?

莎草緒草履東京市本郷區根津地方では、藁製裏無しの草履へ莎草繩(クグナワ)の、二本鼻緒を縮げたものをヒヤメシゾーリ(冷飯草履)とも其鼻緒の數の二本である點からニコクとも呼んでゐる。


『民間服飾誌 履物篇』宮本勢助 著雄山閣 1933年

 本郷区独特の呼び名?

万国共通ことわざ集 神田雄次郎 編福音舎書店 1916年

 いずれにせよ、貧乏人の象徴ではあろう。



[付記]

『民間服飾誌 履物篇』宮本勢助 著雄山閣 1933年は草履に詳しい。冷飯草履はそのものとしてもよく使われる言葉だが、古い日本、貧乏、粗末なものの象徴としての用法が多い。

 漱石の語彙としてはやたら「ぴちやぴちゃ鳴る」「ぴしやぴしや云はして」「ぴしやりぴしやりと草履の尻の鳴る」(『坑夫』)と音が粘っこく、藁だけで編んだものにしてはどうかとも思った。裏に革でも張ったかと思っていたが、これは昔の舗装されていない道路で泥と足裏の脂を吸った草履の底が固められてもいたのだろうか。

 語源に関しては猶精査の必要がある。



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