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芥川龍之介 大正六年五月三十一日 「今日和辻さんのうちへ行つたら」 

ボクは毎日忙しい思をしてゐます

今日和辻さんのうちへ行つたら松林の中にうちがあつて そのうちの東側に書斎があつて そこにモナ・リサの大きな額をかけて、その額の下で和辻さんが勉強してゐました

奥さんと可愛い女の子が一人ゐて みんな大へん愉快らしく見えます ボクは何だかその静な家庭が羨ましくなりました ああやつて落着くべき家庭があつたら ボクも勉強が出来るだらうと思つたのです とにかく下宿生活と云ふものはあんまり面白いものぢやありません



[大正六年五月三十一日 塚本文子宛]


 それがいつか、こんなことに……。




 松林の中の家。

 モナ・リサ

 何かあれこれ考えさせられる手紙だ。和辻との会話が一言も書かれていないのが惜しい。

 断層のために幾分弟子たちの間に感情のこだわりができたのは、芥川の連中が加わるようになってからではないかと思う。そのころ私は鵠沼に住んでいた関係で、あまりたびたび木曜会には顔を出さなかったし、またたまに訪れて行った時にはその連中が来ていないというわけで、漱石生前には一度も同座しなかった。従ってそういうことに気づいたのは漱石の死後である。

(和辻哲郎『漱石の人物』)

 芥川龍之介が自殺したときに、藤村は一文を書いた。それを書かせる機縁となったのは、芥川の『或阿呆の一生』のなかにある次の一句である。「彼は『新生』の主人公ほど老獪ろうかいな偽善者に出逢ったことはなかった」。藤村はそれを取り上げて、「私があの『新生』で書こうとしたことも、その自分の意図も、おそらく芥川君には読んでもらえなかったろう」と嘆いている。

(和辻哲郎『藤村の個性』)

 なんとなく和辻からは芥川に対する親しみのようなものは感じ取れない。

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