財産があるなら働かなくていい
先生の「私」に対する態度、特にこの「無意味」という言葉は些か厳しい様に思います。しかしここで注意して読まないといけないのは、「私」の存在が無意味なのではなく、「私」が焦って求めている地位や糊口の資が無意味と言っているというところです。しかしこの先生の本意というものを掴みかねている人が多い様に思います。
先生の本意とは何でしょう?
このことも殆ど議論されてこなかったように思います。
今日また低次元の感想らしきものを見かけました。
ICT雑感:夏目漱石『こころ』をBL小説として読む
https://www.icr.co.jp/newsletter/wtr386-20210531-kawafuchi.html
程度の低いブログの受け売りで、さして考えもなしに書いているようです。立場のある人が軽々しく書くべき内容ではありません。繰り返し書きますが、BL的要素は確かにあるのです。しかしそれだけではないということを認めなくてはなりません。
静を観察せよ
先生の本意、それは結末にあるのではないでしょうか?
先生は遺書を自叙伝として書いており、それを他の参考に供するつもりなのです。なるほど『こころ』が教科書に載る訳です。しかしいくら教科書に載っても、誰も理解しなければ困ったものです。
まず先生の遺書を読んでしまうと、静が純白でなくなると書いてしまっています。先生は理窟では静の罪が見えていて感情で認めていないのです。そういうジレンマが見て取れます。
それから静が死んだら自叙伝を世に出して欲しそうです。つまり「私」に自叙伝を託し、後にそれを世に出せと命じているようなものです。これが先生の本意なら、地位を得なくてもいいし、生活費も稼がなくていいから、立派な本を書きなさい、ということではないでしょうか。
それからもう一つ、「私」にはある使命が与えられていることになります。「私」は先生の自叙伝を世に出すために、それなりの物書きにならなければなりません。素人は本を書くことが出来ません。あと、もう一つありますね。必ず自叙伝を世に出す為には「私」は静の死を確実に知らなくてはなりません。つまり静を観察し続ける必要があることになります。そうでなくては作品を発表するタイミングがつかめません。あてずっぽうでは困るのです。それに「私」と静の年齢差がそう大きくない(先生が未亡人の下宿に入るのは日露戦争後、Kの死から先生の死までは十二から十五年の期間しかなさそう。先生と結婚した時静が二十歳なら先生の死の時点で静は三十五歳程度。ならば二十二、三の「私」とは十二、三歳差となり、女性が長生きであることから、うかうかしていると先生の自叙伝を世間に公表できないまま「私」の方が先に死んでしまいます。)ことから、「私」はずっと静を観察し続けなくてはならないことになります。
これが先生の本意です。静を見守り、やがて自分の自叙伝を公にせよ、いたずらに地位を求める奴は馬鹿だ…。先生は「私」の正体に気が付かないまま、大変な事を頼んでしまいました。しかしそんな先生の無理難題を引き受けた「私」は冒頭でいかにもすがすがしいですね。やっと先生の本意を成し遂げることができたと、そんな感じがしませんか。
そうでなければ、「あなたの地位、あなたの糊口の資、そんなものは私にとってまるで無意味なのでした。どうでも構わなかったのです。」「私はむしろ苦々しい気分で、遠くにいるあなたにこんな一瞥を与えただけでした。」と書かれて、下級官吏や田舎教師にでもなっていたら、これは恥ずかしいですよね。無意味でないところ、先生を苦々しくさせないところに「私」は立たねばなりません。
これを全部同性愛に収めますか?「私は私の過去を善悪ともに他の参考に供するつもりです。」の善悪はBLですか? むしろ先生の遺書にはBLの要素はなく、BL的要素はふりであり、賺しに終わったと見るべきでしょう。三島由紀夫がフリーセックスなんてただのセックスだ、という名言を残しています。先生は「私」の淋しさの根を引っこ抜いてやることはできません。その代わりに一段高いところに「私」を導きます。精神的に向上心のないものは馬鹿だという言葉は「私」にも応えたでしょう。「私」は向上心をもって文学を極めたわけです。そうでなければ『こころ』なんて物凄い小説は書けませんよ。
静の乳を揉みながら、まごころに思いやりを突き立てながら、「私」には精神的に向上心がある訳です。
和辻哲郎の目論見
和辻哲郎が夏目漱石にラブレターの様な手紙を送り、漱石が些か紛らわしい返事を書いたのは大正二年の事である。『霊的本能主義』が書かれたのは明治四十年十一月、この時点でまだ二人には個人的な付き合いはなかった。この文章は『公友会雑誌』に書かれており、『帝国文学』和辻哲郎の名を知ったという漱石の手紙を真に受ければ、この『草枕』に関する呟きは漱石に届いていないのではないかと推測される。
しかしまた長兄・大助などに加えて、和辻哲郎のエッセンスはKにも「私」にも因数分解で振り分けられそうに思えてくる。
どこか三島由紀夫の様な、どこかKのような、若い和辻哲郎がここにはいる。二人だけの場で和辻哲郎と夏目漱石の間でどのような会話がなされたのか、和辻哲郎側からの一方的な思い出だけを証拠として、二人の関係を固定することは憚られるが、こんな思い出はやはり『こころ』という作品のどこかに、和辻哲郎が自分のエッセンスをねじ込もうと意図したものであろうと思わざるを得ない。和辻哲郎は夏目漱石にとって特別な存在であることを願い、払いのけられた。
夏目漱石を「漱石」と呼んでしまう和辻の表現が意外だ。そしてこれはいかにも『こころ』に寄せた表現ではなかろうか。しかし結果として『こころ』の「私」は先生にとっては偶然出会った青年であり、因果はない。
この『こころ』を読んで和辻は得意であろう。無論夏目漱石の目論見の方には、自分の周りに集まり、中には自分の取り合いをするような五月蠅い青年たちに閉口する「夏目先生」という現実を上手く小説に取り入れるというものがあったには違いないのだが、和辻の方はこの『こころ』を自分自身の物語として、先生を独り占めしたいという目論見があったのではなかろうか。
これでは殆ど夏目漱石が『こころ』の先生になってしまう。これを『こころ』を意識しないで漱石の死後に書いたとは到底考えづらい。和辻はこうして自分と夏目漱石の間で、あたかも『こころ』の先生と「私」のような会話が交わされたことを世間に示したいのだ。
こうした和辻の目論見によって、「私」のモデルは和辻哲郎ではないかとささやく声が広まり、いつか「私」の不思議な立ち位置が曖昧にされる文学史が生まれてしまったのではないかと私は勘ぐっている。
しかしこれは個々の受け止めの問題であり正解がある話ではない。ただなんとなく付け足しておきたいだけの話である。