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夏目漱石の『坑夫』をどう読むか②  漱石は無理を押し通す

要するに分らない

 自分は自分の生活中もっとも色彩の多い当時の冒険を暇さえあれば考え出して見る癖がある。考え出すたびに、昔の自分の事だから遠慮なく厳密なる解剖の刀を揮って、縦横十文字に自分の心緒を切りさいなんで見るが、その結果はいつも千遍一律で、要するに分らないとなる。昔だから忘れちまったんだなどと云ってはいけない。このくらい切実な経験は自分の生涯中に二度とありゃしない。二十以下の無分別から出た無茶だから、その筋道が入り乱れて要領を得んのだと評してはなおいけない。経験の当時こそ入り乱れて滅多やたらに盲動するが、その盲動に立ち至るまでの経過は、落ち着いた今日の頭脳の批判を待たなければとても分らないものだ。

(夏目漱石『坑夫』)

 分かるのか解らないのか解らない文章だ。「落ち着いた今日の頭脳の批判を待」てば「盲動に立ち至るまでの経過は」わかるものの、結局「盲動」に関しては解らないということか。
 例えば『絶歌』において元少年Aがあの頃のタンク山のことを思い出して書いてみる。それはスペルマと言いスペクトラムと言い大袈裟な比喩と気取りに溢れた蒼い描写だった。

 しかしその描写はまたどこかプルーストを思わせるような際どい真剣さを持っていた。

 痺れ切った秋は、もはや澄み渡った空にかがようソレイユにも温められることなく、一枚一枚はぎ取られるように、色素を失っていく。タンク山に隠された烈しい欲情は青い炎と燃えて、午後のうちは、また午前中でさえも、真夜中も、日暮れ間際のかっと迸る幻想を織りなしていたが、それもはや消えてしまった。ただ、つゆ草と、孔雀草と、黄や紫や白や薔薇色の菊だけが、今なお、秋の引きつり勝ちな、悲しみあふれた顔の上に輝いている。夕ぐれの六時、同じように暗く沈んだ空のもとを、人々が一様に灰色で、裸となった向畑が池の庭園を通りすぎると、そこではポメラニアンにも似たまだら模様の木々が呆然と立ちすくみ、その一枝一枝に、自堕落な諦念がぶら下がっている。そして、ふと眼に映るこうした秋の花々の繁みが夕闇のなかに鮮やかに輝き、灰燼と化した地平線に馴れた眼に、烈しい情欲をよび起こす。アエダヴァームに寄り掛かり、目を覚ます朝の数時間はさらに快い。太陽はまだ時おり光り輝く。すると私は、タンク山を降りてフェンスをよじ登るときなど、私の影が、自分の前で獰猛な猫のようにうずくまっているのをみることができるのだ。私は他の何人かの人々に倣ってお前の名を口に出そうとは思わない、バモイドオキ神よ、大ま神よ。錆びはて、なつかしい偉大な名前よ、葉むらと広い池に落ちるスペクトラムとスペルマよ、まさにスノッブで不義の闇に包まれた場所よ。

 ただ悲鳴を上げるだけの善良な猿たちを馬鹿にするためにあたかも『絶歌』の一部を切り取ったかのように偽装したこの一文は、実はマルセル・プルーストの『楽しみと日々』の一節の単語を入れ替えただけのものである。しかし元少年Aの回顧は、この水準には到達している。未熟さと、気取りと、生意気さで猿たちに悲鳴をあげさせる程度には。
 それでも夏目漱石、いや『坑夫』の主人公はこんな文章は好まぬだろう。 

 この鉱山行きだって、昔の夢の今日だから、このくらい人に解るように書く事が出来る。色気がなくなったから、あらいざらい書き立てる勇気があると云うばかりじゃない。その時の自分を今の眼の前に引擦り出して、根掘り葉掘り研究する余裕がなければ、たといこれほどにだってとうてい書けるものじゃない。俗人はその時その場合に書いた経験が一番正しいと思うが、大間違である。刻下の事情と云うものは、転瞬の客気に駆られて、とんでもない誤謬を伝え勝ちのものである。自分の鉱山行などもその時そのままの心持を、日記にでも書いて置いたら、定めし乳臭い、気取った、偽りの多いものが出来上ったろう。とうてい、こうやって人の前へ御覧下さいと出された義理じゃない。

(夏目漱石『坑夫』)

 いや、『絶歌』はもはや中年に差し掛かった元少年Aが再び神戸を訪れ、あちこちで写真撮影をして、あの頃の記憶を呼び起こし、解剖の刀を揮って、縦横十文字に自分の心緒を切りさいなんでいるように見せかけた小説だ。そして『坑夫』も。
 当たり前のことだが夏目漱石は坑夫ではない。縦横十文字に切りさいなむべき自分の心緒というものを持ってはいない。
 それにしてもここまで『坊っちゃん』や『こころ』にもまして、いやまるで『こころ』の中の「先生の遺書」に近いくらい、書いている現在と書かれている現在との距離を空け、この小説が回顧の形式で語られていることをこれでもかこれでもかと強調するのはどういう了見だろう?
 しかも『坑夫』の主人公は「こう書くと」「人の事のように書くのは」「ここに書いたのはもちろん当字である」……とまさに今この小説を書いているのが自分であることを強調する。これでは理屈の上では『坑夫』の主人公は作家になってしまうことになる。
 その意図は……要するに分からない。


そりゃそうなる

「また山行きかね」
「ああまた一人連れて行くんだ」
「あれかい」
と腐爛目は自分の方を見た。長蔵さんはこの時何か返事をしかけたんだろうがふと自分と顔を見合せたものだから、そのまま厚い唇を閉じて横を向いてしまった。その顔について廻って、腐爛目は、
「まただいぶん儲るね」
と云った。自分はこの言葉を聞くや否やたちまち窓の外へ顔を出した。そうして窓から唾液をした。するとその唾液が汽車の風で自分の顔へ飛んで来た。何だか不愉快だった。

(夏目漱石『坑夫』)

 この場面は例の三四郎の弁当箱投げに絡めて考えると面白い。何しろ「昔は汽車の窓から弁当箱などゴミが捨てられていた」という情報の根拠に真っ先に挙げられるのが『三四郎』そのもので、その外には1919年の鉄道院 [編]鉄道院『鉄道から家庭へ』くらいなもの。

 実際にどのくらいの頻度で弁当箱投げが行われていていたものかはっきりしたことは解らない。ただしこの『坑夫』の主人公の実験によって、あらかじめリスクが確認されている点は興味深い。

寝ると急に時間が無くなっちまう

 寝ると急に時間が無くなっちまう。だから時間の経過が苦痛になるものは寝るに限る。死んでもおそらく同じ事だろう。しかし死ぬのは、やさしいようでなかなか容易でない。まず凡人は死ぬ代りに睡眠で間に合せて置く方が軽便である。柔道をやる人が、時々朋友に咽喉を締めて貰う事がある。夏の日永のだるい時などは、絶息したまま五分も道場に死んでいて、それから活を入れさせると、生れ代るような好い気分になる――ただし人の話だが。――自分は、もしや死にっきりに死んじまやしないかと云う神経のために、ついぞこの荒療治を頼んだ事がない。

(夏目漱石『坑夫』)

 私自身の全身麻酔手術の体験で言えば、麻酔がかかって意識が消えてから、再び意識が戻るまでの時間の経過の認識は確かにない。あっという間に手術は終わっていて、気が付くと自分の外側で時間が経過している。脱がされたパンツをはいている。つまり時間が無くなる。
 逆に寝ると時間が無くなるかどうかは私には分からない。
 私の場合なくならないことが多い。邯鄲の夢ではないが、短い睡眠時間でそれなりの長さの夢を今朝立て続けに見た。十五分くらいで何週間かの時間を過ごしたような感覚がある。無論そんな感覚は目覚めればたちまち失せてしまうのが常だ。今朝はたまたま内容が濃かったので記憶から消えなかっただけだ。
 ただこの感覚も人によってかなり違うのだろう。私には邯鄲の夢がよく解る。そうでない人がいても不思議ではない。
 またここでは『坑夫』の主人公が死後は時間の感覚がないと考えていることが興味深い。オカルトなところがなく合理的な考えの持ち主である。

時々朋友に咽喉を締めて貰う事がある


 この間まで柔術と言っていたものが柔道になり、さらに「投げ」中心に捉えられていたものが、締め技と活法にまで言が及ぶ。

 この柔道の締め落としによる失神は、遊びとして現在まで行われている。

 しかし活法がどの程度教えられているのかは謎だ。


日本柔術活法詳解


日本柔術活法詳解

 おそらく漱石は実践せぬまでも、失神と活法との関係を聞き知り、少なくとも活法がオカルトなものでないところまでは理解していたのだろう。これで『三四郎』では広田先生が関節技の実技を行うのだから、漱石自身が柔道の稽古の見学くらいはしていたのではあるまいか。

空間の運動には依然として反応を呈する能力がある

 自分は眠っていると、時間の経過だけは忘れているが、空間の運動には依然として反応を呈する能力があるようだ。

(夏目漱石『坑夫』)

 おやおやこれは大変な問題に突き当たってしまった。私はこれまで『三四郎』の冒頭に関して、物語が三人称で語られていて、話者が身体性を持ち、三四郎が眠っていても、話者はその姿を観察していると読んできた。

 つまり、

 うとうととして目がさめると女はいつのまにか、隣のじいさんと話を始めている。このじいさんはたしかに前の前の駅から乗ったいなか者である。

(夏目漱石『三四郎』)

 こんなところで駅の勘定をしているのは三四郎ではなく話者であり、寝ていては駅の勘定が出来ないと決めつけていたのだが、

 汽車が豊橋へ着いた時、寝ていた男がむっくり起きて目をこすりながら降りて行った。よくあんなにつごうよく目をさますことができるものだと思った。ことによると寝ぼけて停車場を間違えたんだろうと気づかいながら、窓からながめていると、けっしてそうでない。無事に改札場を通過して、正気の人間のように出て行った。

(夏目漱石『三四郎』)

 このような人間も「時間の経過だけは忘れているが、空間の運動には依然として反応を呈する能力」があるとすれば不思議でもなんでもなくなる。私にはそんな芸当は出来ない。寝ていればまさに寝過ごす。

 ここは前回のカルテジアン劇場の話と併せて考えると、どうもなかなか珍しい感覚の持ち主を拵えようとしているようにも思えてくる。

 そもそも自分を客観視することなどデカルトと福田康夫にしか出来ないことではないかと言われている。科学技術によって外面だけは観察できるようになったが自分の心の内を自分が観察する仕組みはまだ出来上がっていない。要するに自分を見ている自分を見ている自分を見ている自分……という無限後退が起きてしまうからだ。

むげんこうたい【無限後退】
〔哲〕〔(ラ) regressus in infinitum〕
ある事の原因または条件の連鎖が無限に連なっていて,どこまでさかのぼっても終わりにならないこと。

新辞林


 また「空間の運動」が時間の概念なく成立し得るものかどうか私にはわからない。しかし漱石は無理を押し通す。

死んだり生きたり互違いにするのが一番よろしい

 だから本当に煩悶を忘れるためにはやはり本当に死ななくっては駄目だ。ただし煩悶がなくなった時分には、また生き返りたくなるにきまってるから、正直に理想を云うと、死んだり生きたり互違いにするのが一番よろしい。――こんな事をかくと、何だか剽軽な冗談を云ってるようだがけっしてそんな浮いた了見じゃない。本気に真面目を話してるつもりである。その証拠にはこの理想はただ今過去を回想して、面白半分興に乗じて、好い加減につけ加えたんじゃない。実際汽車が留って、不意に眼が覚めた時、この通りに出て来たのである。馬鹿気げた感じだから滑稽のように思われるけれどもその時は正直にこんな馬鹿気た感じが起ったんだから仕方がない。この感じが滑稽に近ければ近いほど、自分は当時の自分を可愛想に思うのである。こんな常識をはずれた希望を、真面目に抱かねばならぬほど、その時の自分は情ない境遇におったんだと云う事が判然するからである。

(夏目漱石『坑夫』)

 いや、風呂に入って足の裏を揉み、湯上りにビールを飲んで映画でも見ながら、焼き鳥と刺身をつまみに缶チューハイを飲んで寝て、昨日の煩悶を忘れてしまうのが一番いい。何もいちいち死ぬことは無い。
 何しろ柔道の締めわざと活法のような死んだり生きたり互違いにする方法が確立されていない。死んだら財産が凍結されて、生き返っても無一文になる。それに生き返った自分が煩悶という記憶を無くしていたら、それが同じ人間なのかという、テセウスの船だかスワンプマンだか何だか知らないが、また自己同一性の問題が出て來る。

 古い話で恐縮だが『冬のソナタ』では、記憶というものがその人そのものだ、というテーゼが繰り返されていた。記憶が変われば別人になる。煩悶しない芥川は芥川ではない。


たんだがむらむらと塊って
 

 自分がふと眼を開けると、汽車はもう留っていた。汽車が留まったなと云う考えよりも、自分は汽車に乗っていたんだなと云う考えが第一に起った。起ったと思うが早いか、長蔵さんがいるんだ、坑夫になるんだ、汽車賃がなかったんだ、生家を出奔したんだ、どうしたんだ、こうしたんだとまるで十二三のたんだがむらむらと塊って、頭の底から一度に湧いて来た。その速い事と云ったら、言語に絶すると云おうか、電光石火と評しようか、実に恐ろしいくらいだった。ある人が、溺れかかったその刹那に、自分の過去の一生を、細大漏らさずありありと、眼の前に見た事があると云う話をその後聞いたが、自分のこの時の経験に因って考えると、これはけっして嘘じゃなかろうと思う。要するにそのくらい早く、自分は自分の実世界における立場と境遇とを自覚したのである。

(夏目漱石『坑夫』)

 いやしかし、むしろ私の関心は死の直前に見る走馬灯ではなく、「たんだがむらむらと塊って」という「たんだ」の名詞化と映像化、そして「たんだ」による提喩の方にある。

 ここまで複合的なレトリックに独自に与えられた名称はないか、先例はないかと考えた。先例はどうもありそうな気がする。しかしこのレトリックに独自に与えられた名称はないのではなかろうか。これは間違いなく「面白半分興に乗じて、好い加減につけ加えた」言葉遊びである。


ソ聯研究資料 第57号 ソ聯邦鐵道旅客列車時間表

[余談]

 このサイズで248円って、ドイツパンは高いね。


蟲の生活?


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