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「ふーん」の近代文学⑤ 三島由紀夫の私小説観


三島  もっと手近な現象では、そういうこと(自分に関心を持ち過ぎること。小林註)は普通みたいになっちゃっていて、私小説という輝かしき伝統がありますから、そのヴァリエーションはいまだに生きていますよね。自分に対するこだわりだけを「誠」と思っているでしょう。一度くらいこだわってみせないと、誰も信用しないですね。僕の場合は「仮面の告白」でちょっとこだわってみせたら、たちまち信用を博したです。後はどんな絵空ごと書いても大丈夫だ。ところが、それを一生繰り返している人がいるから実に神経がタフだと思って感心している。
秋山  三島さんも、自分の問題というのは非常に関心はおもちなわけですね。
三島  関心といいますか、たとえばナルシシズムというのは、自分の問題じゃないでしょうね。他人からの関心の問題ですからね。(中略)

(「私の文学を語る」『決定版 三島由紀夫全集』新潮社 2004年)


 三島は「自分の問題が人にも大きな影響を与えるだろう」という考え方を否定する。これは平野啓一郎がデビュー当時雑誌『Spa!』か何かのインタビューで語っていた内容「僕は基本的に私的なことはどうでもいいと思っているんですよ」と妙に符合する。

 あ、その前に三島由紀夫が何故近代文学なのかというと、

 こういうことだ。三島の語彙は江戸より古い。平野啓一郎が『日蝕』で見せた擬古文も「徒歩(かち)より」など近代以前の語彙で飾られた。

より
《格助詞》《接続》
体言や体言に準ずる語に付く。
❶〔起点〕…から。…以来。
《更級日記・大納言殿の姫君》 「いづくより来つる猫ぞと見るに」
《訳》
どこからやってきた猫かと思って見ると。
❷〔経由〕…を通って。…を。
《源氏物語・玉鬘》 「前よりゆく水を初瀬川といふなりけり」
《訳》
(僧坊の)前を通って流れる水を初瀬川というのであった。
❸〔動作の手段・方法〕…で。
《徒然草・五二》 「徒歩(カチ)よりまうでけり」
《訳》
(仁和寺の法師が)徒歩で(石清水八幡宮(イワシミス゛ハチマンク゛ウ)に)お参りした。

❹〔比較の基準〕…より。
《更級日記・かどで》 「東路(アツ゛マチ゛)の道の果てよりも、なほ奥つ方に生ひ出でたる人」
《訳》
東海道の終わるところ(=常陸)よりも、もっと奥の方(=上総(カス゛サ))で生まれ育った人。
❺〔範囲を限定〕…以外。…より。▽多く下に「ほか」「のち」などを伴って。
《古今和歌集・秋上》 「蜩(ヒク゛ラシ)の鳴く山里の夕暮れは風よりほかに訪(ト)ふ人もなし」
《訳》
蜩が鳴きしきる山里の夕暮れどきには、風よりほかにただ一人の人さえも私の家を訪れてくれない。
❻〔原因・理由〕…ために。…ので。…(に)よって。
《竹取物語・ふじの山》 「つはものどもあまた具して山へ登りけるよりなむ、その山をふじの山とは名付けける」
《訳》
兵士たちを大勢つれて山へ登ったことによって、その山を(士(ツハモノ)に富む山の意で)富士の山と名付けたそうだ。
❼〔即時〕…やいなや。…するとすぐに。
《徒然草・七一》 「名を聞くより、やがて面影は推しはからるる心地する」
《訳》
名前を聞くやいなや、すぐに(その人の)顔つきは思い浮かべられる気持ちがする。
《参考》(❻❼)については、接続助詞とする説もある。上代、「より」と類似の意味の格助詞に「よ」「ゆ」「ゆり」があったが、平安時代以降は用いられなくなり、「より」のみが残った。

学研古語大辞典

 ごく一般的に夏目漱石の『道草』は「自伝的小説」と呼ばれ、芥川龍之介の『歯車』は私小説だと見做されている。あるいは太宰治の多くの作品はやはり私小説と見做され、この時期(昭和四十三年)の三島から見れば「ふーん」すべき作品なのだろう。

 三島は他人の家で見せられる家族のアルバムに関心がない。従って例えば江藤淳の『一族再会』もやり玉にあがる。この「ふーん」は当然の態度であろう。

 人間には八識あって、第一識から第六識までは、眼、耳、口、その他の肉体感覚ですね。第七識が末那識といいまして自我、第八識が阿頼耶識。西洋哲学はその末那識までです。そのほかに第八識の阿頼耶識というのが、現世界の構造の中心であると同時に、縦のつまり時間の根本ファクターでもあるわけです。時間のファクターと空間の根本ファクターとの交差点が阿頼耶識なのです。自分の中にあるのです。自分の中にあるものがもしないと仮定すれば、この空間全部がない。世界は存在しない。もし、それがないと仮定すれば、歴史も存在しなければ何も存在しない。

(「私の文学を語る」『決定版 三島由紀夫全集』新潮社 2004年)

 こんなことを考えていた三島由紀夫は美空ひばりに会って、後に「名前忘れちゃったけど坊さんみたいな人」と言われたそうだ。

 それはそうとして三島は「解脱しちゃったら、小説書かなくなりますね」と言っている。ここが案外重要なところで、多くの小説は「主人公が悩む」ことで成立している。そうでない小説がないわけではないが、そういう小説が実に多い。『仮面の告白』も大きく括れば「主人公が悩む」小説だ。しかしかなり人工的な。『禁色』も『金閣寺』も「主人公が悩む」小説だ。しかし『豊饒の海』はそういう小説ではない。

 多くの人は夏目漱石の『こころ』における先生の葛藤が素晴らしいと褒める。しかし『明暗』における津田由雄の度の過ぎた無責任が素晴らしいとは言わない。『春の雪』の松枝清顕の暴走は素晴らしいと褒めるのに。あるいは『それから』の代助の告白は褒めるのに。

 私は芥川の『歯車』こそ自我を越えたものであり、『それから』の告白は意識の底からふわっと浮き上がってきたものだと見ている。

 自分と云うものをフロイトの呪縛を取り払って考えてみた時、三島由紀夫が言わんとする「小説の一番元になるもの」が見えてくると同時に、原稿を渡されても読まないでそのまま印刷に廻したかった岩波の編集者のゾンビぶりも理解できるような気がする。それはあくまでも「ふーん」であってうっかりではないのだ。自我とか自己とかそんなものは核ではない。

 まあ、たとえば三島由紀夫が村田英雄に電話するじゃないですか。これは小説ではなくて行動ですが、そこに鶴田浩二ではなくて村田英雄という意匠は本当は意識に登っていなかったかもしれませんよね。檄の時、三島が「聞けい」と怒鳴って手刀を斬りますよね。見られることを意識してやっています。見せているんですから。これを「無意識」に押し込めて片付けてしまうとつまらないんですが、実際阿頼耶識までは辿り着けないので「無意識」側の何かの働きだとしましょう。

 そうすると「私」とか「僕」なんてものはほぼ「無私」「無僕」なんですよ。『歯車』や『明暗』なんてのはふわふわしていて、「無私小説」と言っていいかもしれません。『道草』もそうですね。どうも確固たる健三の記憶というものがない。そして健三は徹底してあることに気が付かないという性質を与えられています。

 まあ、そんな私小説などないものです。

 そもそもですね、干支と九星でパズルを拵えるって……。

 で私は思うんですけどこの記事、つまり解説するとこの記事ですね、

 とても重要なことなんだと思って書いているわけです。これは大変なことだぞ、大発見だぞって。そりゃ、二郎が一郎と直の結婚の際にもいい加減なお使いをしたという記事も大変なこと、重要なことなんですが、

 こうした記事にはみんな「ふーん」なんです。健三なんです。徹底してあることに気が付かないという性質を与えられているんです。

 例えば「親譲りの無鉄砲」って『坊っちゃん』の冒頭ですよね。誰でも知ってます。しかし「おれ」の親は無鉄砲ではないと気が付いている人が何人います? 徹底してあることに気が付かないという性質を与えられているのが読者なんです。みんな「ふーん」なんです。

 何でこんなことが解らないのか不思議ですよ。妙じゃないかと思いますが、それは現在のこの状況が合理的には説明できないからですよね。つまり言ってみれば不合理、不条理なんです。

 しかしそこに向きになってもしようがないですよね。現実なので。そういうことを「ふーん」して成り立つのが近代文学ということでしょう。

 三島由紀夫は「私」というものを徹底的に否定することで『豊饒の海』によって近代文学を終わらせてやったという自負を持っていたかもしれません。それに対して野坂昭如や石原慎太郎なんかは過激に批判しましたね。スカスカ、読んでいて涙が出たとか何とか。最後は何もなくなって輪廻転生も否定されるような形になって物語も崩れてしまうわけですから、『豊饒の海』はある意味でアンチストーリー、アンチクライマックスなんです。面白い話を仕立てはしないんです。

 そして三島由紀夫に「ふーん」するかのように一旦仕切り直して自分に関心を持ち過ぎる小説は書き継がれていくわけです。そりゃ「ふーん」されるわけです。

 森鴎外が虚舟という時、それはたんに積み荷のない船の意味であるが、私はそれは積み荷がないばかりではなく漕ぎ手もいない船であるかのように思う。「私」とはただ流されていく虚舟であり、近代文学もそのようなものだと。

 そもそも自分など詰まらないものだ。そんな自分に「ふーん」をして、つまらなくないものをどう書いていくか、というところに面白さがある。徹底して気が付かないゾンビに向かって書いていくことは空しいけれど、いつかhappy fewが現れるんじゃないの?


[余談]

 そもそも実存ってホントなのかね?

 逆立ちしてみれば実存が感じられると昔ヨガの本で読んだ記憶がある。

 うんこが漏れそうなときは実存を感じる暇はなし、漏れたら解脱する?

 


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