岩波書店・漱石全集注釈を校正する 16 吾輩に名前がない理由
吾輩に名前がない理由
本文中「三毛」に続いて現れる「筋向の白君」にも注はつかない。しかし「三毛」に続いて「白」が現れ、やがて「己あ車屋の黒よ」と言われるに至って冒頭付近の「第一毛をもって装飾されべきはずの顔がつるつるしてまるで薬缶だ」という記述が思い出される。
ここまで一貫して吾輩はルッキズムである。私は何もそのことを批判しようというのではない。ただ猫の命名が、毛並みによって行われていることを確認したいのである。
してみると、吾輩に名前の無い理由が見えてくるように思える。何故なら吾輩は、
実は「波斯産の猫のごとく黄を含める淡灰色に漆のごとき斑入りの皮膚を有している」という吾輩の説明に対して、そもそも初版本等のイラストでは白黒の画が使われたこともあり、「黄を含める淡灰色に漆」という理解が浸透していない。また長毛種という認識も殆どないのではなかろうか。それにしても「黄を含める淡灰色に漆」では「三毛」「白」「黒」といった単簡な名前は付けられないことは確かだ。「三毛」「白」「黒」といった単簡な名前は吾輩に名前がないことの一因ではあるだろう。
[余談]
吾輩が生まれたのは、春(2月〜4月)と夏(6月〜8月)にピークを迎える猫の発情期、そして猫の妊娠期間65日から考えるとやや遅い時期、冬であるように思われる。「そのうちに暗くなる、腹は減る、寒さは寒し、雨が降って来る」「しかしひもじいのと寒いのにはどうしても我慢が出来ん」「朝は飯櫃の上、夜は炬燵の上」とあるので冬生まれかなという感じがする。
そこに「遅い子」として正月五日に生まれた夏目漱石自身の投影があるように思うことは自由であろう。しかしこれはあくまで余談である。
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