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芥川龍之介の『解嘲』をどう読むか② 事実に信を置かない何か途轍もない出鱈目

 これまで近代文学1.0は言葉の意味や粗筋を無視して、「難しそうなこと」を格好つけて書くことに終始してきた。それが例えば江藤淳であり、

 蓮實重彦であり、

 柄谷行人であった。

 このことはそもそも「殆どの人が複雑な事象を理解することが出来ない」というごく単純な理由によるもので、けしてオカルトな話ではない筈だ。例えばマイナンバーに関しても、

 マイナンバーは情報連携キーではなく、機関別符号作成キーである、という程度の理屈を書いて見てもまず誰にも理解されていない。同じように、

 乃木静子が殺されたことに漱石が疑問を呈している、と書いて見ても同じだ。多くの人に理解できるのは、そもそも天麩羅事件くらいなものなのだ。だがこのことは何度も繰り返し主張せねばなるまい。粗筋が理解できてもいないのに解ったような顔をして勝手なことを書いていてはみっともないと。本当に命がけでないなら夏目漱石や芥川龍之介など読む必要はない。死ぬまでテトリスをやっていればいい。

 そう断っておいて、初めて書くことが出来ることがある。だから私は芥川が『解嘲』において、随筆という文学ジャンルが存在し、「僕の随筆」というものの存在をさも当然のように認めていることに引っかかっているのだと。このことは逆に言えば、『魚河岸』は断じて随筆ではないのだと改めて主張していることになる。

 つまり「僕」とは交換不可能な保吉というキャラクターが存在しており、保吉は随筆など書くことは出来ないわけだ。そういう視点で読み解けば確かに『魚河岸』には「お話」がある。ふりと落ちと皮肉がある。どういう了見か、これまでの保吉ものの「回顧の形式で失われたものを書く」という形式からは外れているように見える。ただし俳人の露柴(ろさい)のモデルがひっそりと亡くなっていたとしたら、これは確かに保吉ものでよいことになる。

 そこまではいいだろう。問題はその次だ。

 しかし君の「随筆の流行といふことを、人人にはつきり意識させたのは、中戸川吉二なかとがはきちじ氏の始めた、雑誌「随筆」の発刊が機縁になつて居ると思ふ。(中略)しかし随筆と云ふものが、芥川氏や、その他の諸氏の定義して居るやうに難かしいものだとすると、(中略)到底随筆専門の雑誌の発刊なんか、思ひも及ばないことになる」と云ふのは聊か矯激の言である。雑誌「随筆」は必ずしも理想的随筆ばかり掲載せずとも好い。現に君の主宰する雑誌「新潮」を読んで見給へ。時には多少の旧潮をも掲載してゐることは事実である。

(芥川龍之介『解嘲』)

 この「難かしい」随筆については『野人生計事』ではこう説明されている。

 随筆は清閑の所産である。少くとも僅に清閑の所産を誇つてゐた文芸の形式である。古来の文人多しと雖いへども、未いまだ清閑さへ得ないうちに随筆を書いたと云ふ怪物はない。しかし今人は(この今人と云ふ言葉は非常に狭い意味の今人である。ざつと大正十二年の三四月以後の今人である)清閑を得ずにもさつさと随筆を書き上げるのである。いや、清閑を得ずにもではない。寧ろ清閑を得ない為に手つとり早い随筆を書き飛ばすのである。
 在来の随筆は四種類である。或はもつとあるかも知れない。が、ゆうべ五時間しか寝ない現在の僕の頭によると、第一は感慨を述べたものである。第二は異聞を録したものである。第三は考証を試みたものである。第四は芸術的小品である。かう云ふ四種類の随筆にレエゾン・デエトルを持たないと云ふものは滅多にない。感慨は兎とに角思想を含んでゐる。異聞も異聞と云ふ以上は興味のあることに違ひない。考証も学問を借りない限り、手のつけられないのは確かである。芸術的小品も――芸術的小品は問ふを待たない。

(芥川龍之介『野人生計事』)

 在来の随筆とはこんなものであろう。

感慨を述べたもの

また来ようね

自転車で走りながらお母さんが後ろの子供に
「また来ようね」と言っていた。
来ようね、…。
こ き くる くる くれ
こい
か行変格活用だ。
未然形  「ない」「せる・させる」「れる・られる」「う・よう」を伴うときの形だ。
こない、こさせる、こられる、こよう…。
また行こうねとまた来ようねの違いは何なのか。
そう疑問に感じたのか子供は「え?」と聞き返した。
おかあさんはその疑問に気が付かず「ま た 来 よ う ね」とゆっくり言い直した。

そういうことではないのだ。何故「来る」だけがか行変格活用かと問うているのだ。
茨城弁では、キ、キ、キル、キル、キレ、キロまたはコだ。
秋田弁では
仮定形:来れ(ば)→来え(ば)/来け
命令形:来い→来[こ]え/来[け]
将然形:来よう→来[こ]ー:来よう→来[こ]ー
…となる。娘はそう言いたかったのだ。
自転車はあっという間に行き過ぎる。
か行変格活用の謎は置き去りだ。

アンパンをへそから裂いて人の子を産まないままに春の日は過ぐ

アンパンをへそから裂いて人の子を産まないままに春の日は過ぐ
 
 これは「榎本ユミ」さんが賞金のない俳句コンクールに投稿した句だ。
 こうしたコンクールには尾崎放哉のパターンだなとか、
 まんま芭蕉だなという句が集まる。
 審査員はこの句を特選に選べなかった。選ばなかったのではなく、選べなかった。
 五千を超える俳句の結社が存在するという詩人の国、日本の空恐ろしさに審査員は腰が引けたのではなかろうか。
 あざといといえば、なんでもあざとい。
 しかしお題が「パン」でこの句は見事である。
 焼きそばパンではこうはいかない。
 スパゲッティパンでも無理だ。
 彼女がまだ二十代なら、僕のソーセージパンを裂いてもらいたい。
 三十代ならちょっと迷う。
 よく考えたらまだ春は過ぎていないから案外ババアだな。
 なら、失格。

異聞を録したもの

 佳子さまの「姉」の発音が「雨」

 佳子さまの「姉」の発音が「雨」のイントネーション。
 普通の「姉」は「飴」。
 どうでもいい話ですが。

由来が解らない

 韓国ドラマ「100日の朗君」に「人という字は人と人とが支え合うという意味が込められている」という金八先生の名台詞が孟子の言葉として紹介されていた。無論、これは武田鉄矢の創作なので、それが韓国にまで伝播したかと思われる。こうなるともう修正のしようもない。
 映画『カーリー・スー』を見ていたら、棒切れで思い切り相手をひっぱたくために、両手につばを吐きかけて棒切れを握りしめる所作があった。これは果たして全世界共通なものなのだろうか。何由来なのだろうか。
 拳骨にはあっと息を吹きかけるのも全世界共通なのだろうか?


考証を試みたもの


 飲みものの限界

解る。


 ぎり解る。


 違う。

 絶対違う。窒息する。

 ん……。

芸術的小品

 サラダヒット


 右側からのサラダヒットで

 繰り越し資金の

 うらみゲージの顆粒が解けた

呼び止められて

呼び止められて振り返った
「陛下…」
いや、殿下ですよと答えて足早に立ち去った。
閣下はいつまでも頭を下げている。

 しかし芥川はこう書いてしまう。

 随筆を清閑の所産とすれば、清閑は金の所産である。だから清閑を得る前には先づ金を持たなければならない。或は金を超越しなければならない。これはどちらも絶望である。すると新しい随筆以外に、ほんものの随筆の生れるのもやはり絶望といふ外はない。

(芥川龍之介『野人生計事』)

 え? 『地獄変』の芥川、『好色』の芥川が「或は金を超越しなければならない。これはどちらも絶望である」と書いていたことに、いつか私は驚いただろうか。そして芥川は私の随筆を清閑を得ない為に手つとり早く書き飛ばされたものだと断ずるのだろうか。

 ここには少々ねじれがあり、

中村武羅夫君
 僕は大体君の文に答へ尽したと信じてゐる。が、もう一言つけ加へれば、僕の随筆を論じた文も理路整然としてゐた次第ではない。僕は「清閑を得る前にはまづ金を持たなければならない。或は金を超越しなければならない。これはどちらも絶望である」と云つた。ではなぜどちらも絶望であるか? これは僕の厭世主義の「かも知れない」を「である」と云ひ切らせたのである。君は僕を憐んだのか、不幸にもこの虚を衝つかなかつた。論敵に憐まれる不愉快は夙に君も知つてゐる筈である。もし君との論戦の中に少しでも敵意を感じたとすれば、この点だけは実に業腹だつた。以上。

(芥川龍之介『解嘲』)

 芥川は中村武羅夫に「芥川ならば金を持つことも、或いは金を超越することも可能なのではないか」と反論させたかったようだ。しかし「どちらも絶望である」と書いてしまった芥川は実際に金を持つことも、或いは金を超越することもできないまま、永井荷風や近松秋江同様賞揚されたいと願っている。

 その芥川の立場を認めるにせよ、批判するにせよ、『微笑』と『海のほとり』と夏目金之助宛の手紙との間のずれを、まずはきちんと整理する必要があるのではなかろうか。
 しかしこれまではそんなことが全くできていないのではなかろうか。

 この点、『雑筆』を『天狗』で批判して見せた太宰治は文学に対して真摯だ。

 つまり『微笑』と『海のほとり』の差、随筆と小説の違い、あるいは『海のほとり』の意匠がほとんど理解されてこなかったのだ。

「わたし」は、保吉ものという分身では語り得ないものを捉える試み、不確かな「僕」小説の出発点ではなかっただろうか。

 しかし「僕」とあれば随筆と短絡している人はいないだろうか。そんな人が教師であったり、文学のプロを自ら任じていないだろうか。

 まず私には『微笑』が谷崎潤一郎の『あくび』のように「微笑」をあえて書かないことで、これが随筆であれ、小説的な作法で書かれているとみる。その上でやはり『海のほとり』が小説であり、『微笑』は随筆だろうと断じる。

 それはやはり『蜃気楼』が続『海のほとり』として書かれたからであり、『微笑』と夏目金之助宛の手紙のトーンは似ていて、それらと『蜃気楼』や『海のほとり』では全く異なるからだ。

 つまり随筆が「あんまり出たらめ」の困るものであるとすれば、小説とは事実に信を置かない何か途轍もない出鱈目なのではなかろうか。しかも命がけの出鱈目である。

 同じ年、大正十四年に書かれた『微笑』と『海のほとり』のトーンの違いの中に、随筆と小説の真実がある。



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