これまで近代文学1.0は言葉の意味や粗筋を無視して、「難しそうなこと」を格好つけて書くことに終始してきた。それが例えば江藤淳であり、
蓮實重彦であり、
柄谷行人であった。
このことはそもそも「殆どの人が複雑な事象を理解することが出来ない」というごく単純な理由によるもので、けしてオカルトな話ではない筈だ。例えばマイナンバーに関しても、
マイナンバーは情報連携キーではなく、機関別符号作成キーである、という程度の理屈を書いて見てもまず誰にも理解されていない。同じように、
乃木静子が殺されたことに漱石が疑問を呈している、と書いて見ても同じだ。多くの人に理解できるのは、そもそも天麩羅事件くらいなものなのだ。だがこのことは何度も繰り返し主張せねばなるまい。粗筋が理解できてもいないのに解ったような顔をして勝手なことを書いていてはみっともないと。本当に命がけでないなら夏目漱石や芥川龍之介など読む必要はない。死ぬまでテトリスをやっていればいい。
そう断っておいて、初めて書くことが出来ることがある。だから私は芥川が『解嘲』において、随筆という文学ジャンルが存在し、「僕の随筆」というものの存在をさも当然のように認めていることに引っかかっているのだと。このことは逆に言えば、『魚河岸』は断じて随筆ではないのだと改めて主張していることになる。
つまり「僕」とは交換不可能な保吉というキャラクターが存在しており、保吉は随筆など書くことは出来ないわけだ。そういう視点で読み解けば確かに『魚河岸』には「お話」がある。ふりと落ちと皮肉がある。どういう了見か、これまでの保吉ものの「回顧の形式で失われたものを書く」という形式からは外れているように見える。ただし俳人の露柴(ろさい)のモデルがひっそりと亡くなっていたとしたら、これは確かに保吉ものでよいことになる。
そこまではいいだろう。問題はその次だ。
この「難かしい」随筆については『野人生計事』ではこう説明されている。
在来の随筆とはこんなものであろう。
感慨を述べたもの
異聞を録したもの
考証を試みたもの
芸術的小品
しかし芥川はこう書いてしまう。
え? 『地獄変』の芥川、『好色』の芥川が「或は金を超越しなければならない。これはどちらも絶望である」と書いていたことに、いつか私は驚いただろうか。そして芥川は私の随筆を清閑を得ない為に手つとり早く書き飛ばされたものだと断ずるのだろうか。
ここには少々ねじれがあり、
芥川は中村武羅夫に「芥川ならば金を持つことも、或いは金を超越することも可能なのではないか」と反論させたかったようだ。しかし「どちらも絶望である」と書いてしまった芥川は実際に金を持つことも、或いは金を超越することもできないまま、永井荷風や近松秋江同様賞揚されたいと願っている。
その芥川の立場を認めるにせよ、批判するにせよ、『微笑』と『海のほとり』と夏目金之助宛の手紙との間のずれを、まずはきちんと整理する必要があるのではなかろうか。
しかしこれまではそんなことが全くできていないのではなかろうか。
この点、『雑筆』を『天狗』で批判して見せた太宰治は文学に対して真摯だ。
つまり『微笑』と『海のほとり』の差、随筆と小説の違い、あるいは『海のほとり』の意匠がほとんど理解されてこなかったのだ。
しかし「僕」とあれば随筆と短絡している人はいないだろうか。そんな人が教師であったり、文学のプロを自ら任じていないだろうか。
まず私には『微笑』が谷崎潤一郎の『あくび』のように「微笑」をあえて書かないことで、これが随筆であれ、小説的な作法で書かれているとみる。その上でやはり『海のほとり』が小説であり、『微笑』は随筆だろうと断じる。
それはやはり『蜃気楼』が続『海のほとり』として書かれたからであり、『微笑』と夏目金之助宛の手紙のトーンは似ていて、それらと『蜃気楼』や『海のほとり』では全く異なるからだ。
つまり随筆が「あんまり出たらめ」の困るものであるとすれば、小説とは事実に信を置かない何か途轍もない出鱈目なのではなかろうか。しかも命がけの出鱈目である。
同じ年、大正十四年に書かれた『微笑』と『海のほとり』のトーンの違いの中に、随筆と小説の真実がある。