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「ふーん」の近代文学26 坪内逍遥の「ふーん」


 近代文学に「ふーん」した大物を一人忘れていた。坪内逍遥こと春のや
おぼろ、春廼舎朧だ。

 近代文学の始まりを紅葉露伴、饗庭篁村あたりに見出すとして、それはまさに「元祿文學の復興」であり、近代という時代に根差したものは坪内逍遥の『当世書生気質』が嚆矢であり、言文一致の端緒は二葉亭四迷の『浮雲』だと考えた場合、その近代文学の祖たる坪内逍遥の文学の完成がシェイクスピア全集の単独訳という「復興」にあったことは奇妙なねじれに思えてならない。

 そもそも逍遥の演劇への傾倒は明治三十七年、日露戦争を契機に、一等国たる大日本帝国に西洋に匹敵する文明をもたらさんがためのものではあったがその仕事は昭和十年の死の直前に完成するという膨大な作業であり、その間に夏目漱石が現れ、芥川龍之介が現れ、なんなら太宰治まで現れていたことを思うと、複雑な気持ちになる。

 それに何で翻訳?

 確かに逍遥は二葉亭四迷に出鼻をくじかれたようなところがある。しかしその文学の完成が昭和九年に配本される『新修 シェイクスピヤ全集』だとしたら、坪内逍遥こそが「近代文学」という時代をそっくり「ふーん」した大立者と言えないだろうか。

 三島由紀夫は「わたしは元々古典派だから」と近代文学を「ふーん」した。谷崎も源氏に回帰したようなところがある。太宰も織田作も西鶴に回帰したようなところがあるが、逍遥の「沙翁復興」は「ようなところがある」で片付けられるようなものではない。史伝文学に潜った森鴎外の仕事より大きな近代文学に対する徹底した「ふーん」だったように思える。

 そもそも『新修 シェイクスピヤ全集』を開いてみると、ほぼほぼ芝居の台詞なので長い枕やうねるような従属節の連なりはないものの、言葉がいちいち江戸言葉で古い。難しくはないが古いのだ。


 鈍腦と書いて「どたま」と読ませるのが江戸言葉だ。これは書かれた時代に配慮した逍遥の細工、いわゆる言葉に時代をつけたものかとも思えなくはないものの、結果として書かれたものはまさに「沙翁復興」であり、近代文学でもなんでもなくなっている。近代以前のものの考え方や人間関係を近代以前の言葉で紡いだだけなのだ。

 これが並大抵の仕事ではないことはわかる。そして並大抵の「ふーん」でないことも解る。とにもかくにもこの「沙翁復興」の間に夏目漱石が現れ、芥川龍之介が現れ、なんなら太宰治まで現れていたのだから。

 近代文学の王道は言文一致、自然主義、心境小説などのうねりの中から、志賀直哉という小説の神様まで生み出していた。

 では果して坪内逍遥は近代文学に背を向けたのか?

 坪内逍遥は『小説神髄』で既に「理ヤリチイ不ラス釵ムシング」という小説の肝に突き当たっていた。

小説神髄

 那べル、羅マンス、亜ルレゴリイ、魔イソロジイ、浮ヘイブルを研究し尽くしてこの「理ヤリチイ不ラス釵ムシング」という小説の肝に辿り着いた。小説には何か新しく、何か奇妙で、何か不思議なことが書かれていなければならないと突き止めた。

 しかし小説として書かれた明治十八年の『一読三嘆 当世書生気質』から明治二十三年の『壹圓紙幣の履歷ばなし』に関して本人は旧悪として選書にも入れるつもりはなかったようだ。その後逍遥は演劇革新に注力し、近松やシェイクスピアの研究に潜る。

 正宗白鳥によれば逍遥は演劇に関しては昭和になっても新しい時代の流れに強く関心を抱いていた(『文壇的自叙伝』)ということではあり、戯曲には大正五年の『役小角』があるものの、どうも『壹圓紙幣の履歷ばなし』以降に小説らしい小説と云うものが見当たらない。

 正宗白鳥はまた沙翁翻訳は「煩悩」であり、『オセロ』役で完成させた欧州文学翻訳の方が創作よりも意義あるものだとも述べている。(『空想と現実』)しかし同時に長谷川二葉亭に関しては創作はわずかでも、やはり創作によって評価すべきだとも言うのだ。

『空想と現実』

 これは何というか、帰国凱旋試合で橋本真也に膝を破壊されてしまった武藤敬二のような話で、『当世書生気質』が『浮雲』に凌駕されてしまったというストーリーを含んだものの云いではなかろうか。

日本の言葉 新村出 著創元社 1940年

 しかし逍遥が戯曲だけに拘らず言葉というものに執着していたことは間違いがない。さらに言えば、芥川龍之介に関して、

惜しいことをしたものです。紅葉山人以後、文章にあれほど苦心した人は有るまいと思ふ。全集が出たらよく讀んで見たいと思つてゐる。


偉人伝全集 第23巻
改造社 1934


 このように述べている。沙翁翻訳の完成が昭和三年。その後においても紅葉山人以後の文学界をにらみ続け、芥川龍之介の腐心に感心していた男が坪内逍遥なのである。

 つまり『壹圓紙幣の履歷ばなし』以降の小説の傑作も良く探せば見つかるんじゃないの?


[余談]

文学部政治科卒なんだな。


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