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芥川龍之介の『邪宗門』をどう読むか② 縦に読もう 

え、死んじゃうの?

 ある日――それも雪もよいの、底冷がする日の事でございましたが、今出川の大納言様の御屋形から、御帰りになる御車の中で、急に大熱が御発しになり、御帰館遊ばした時分には、もうただ「あた、あた」と仰有るばかり、あまつさえ御身のうちは、一面に気味悪く紫立って、御褥の白綾も焦げるかと思う御気色になりました。元よりその時も御枕もとには、法師、医師、陰陽師などが、皆それぞれに肝胆を砕いて、必死の力を尽しましたが、御熱は益烈しくなって、やがて御床の上まで転び出ていらっしゃると、たちまち別人のような嗄れた御声で、「あおう、身のうちに火がついたわ。この煙は如何が致した。」と、狂おしく御吼りになったまま、僅三時ばかりの間に、何とも申し上げる語もない、無残な御最期でございます。

(芥川龍之介『邪宗門』)

 え? まだ一章なのに「無残な御最期」って死んだ? 殺すの早すぎない? これで話が持つの?

 そう思うのは読者ばかりではなかろう。どうも私には芥川が『偸盗』に続いて何か大きなものにぶつかろうとして、それが単に長さ、原稿の量などではなく、「型破り」の方法に向かっているように思えて仕方ない。

 この「お話」の構造について、もっともシンプルな説明をしているものに、デイヴィッド・ロッジの『小説の技巧』(柴田元幸、斎藤兆史訳・白水社、1997年)がある。要するにアリストテレス的な「はじまり、真ん中、終わり」を貫く軸が筋であり、筋でつながるのが物語だ。しかし現代ではプロットを「完了に至る、変化の過程」とする考えもあり、デイヴィッド・ロッジの云うところの物語構造はもっと曖昧な「思わせぶりな一断片」というところにまで敷衍されてしまう。つまりもはや構造すら持たないのが物語構造なのだ。

 この『邪宗門』は古典的な「はじまり、真ん中、終わり」という軸を持った物語ではない。かといって「さび頭」でもない。ただ第一章で「終わり」が示されているだけだ。

 つまり時間軸で考えると二章以降は回想の物語においてさらに時間を遡ることになる。通常考えられる作法としては、ただ「そういうもの」として描かれた堀川の若殿様の最後に対して、何か次第次第に明らかになることがあり、誰が彼を殺したのか、何故彼が殺されなければならなかったのか、どのようにして彼はころされたのかという、犯人、動機、方法(手段)について、読者が納得しなければならないことになる。

 これが推理小説なのであれば。

今更人物紹介(・・?

 しかし芥川は既に「不思議」と書いてしまっていて「お化け」を出してしまっているので、そうした推理小説的な楽しみ方は期待できない。案の定芥川はすっとぼけて、第二章を人物紹介(Introducing a Character)で始めようとさえする。

 御親子の間がらでありながら、大殿様と若殿様との間くらい、御容子から御性質まで、うらうえなのも稀でございましょう。大殿様は御承知の通り、大兵肥満でいらっしゃいますが、若殿様は中背の、どちらかと申せば痩ぎすな御生れ立ちで、御容貌も大殿様のどこまでも男らしい、神将のような俤おもかげとは、似もつかない御優しさでございます。これはあの御美しい北の方に、瓜二とでも申しましょうか。眉の迫った、眼の涼しい、心もち口もとに癖のある、女のような御顔立ちでございましたが、どこかそこにうす暗い、沈んだ影がひそんでいて、殊に御装束でも召しますと、御立派と申しますより、ほとんど神寂びているとでも申し上げたいくらい、いかにももの静な御威光がございました。

(芥川龍之介『邪宗門』)

 ※「うらうえ」……あべこべ。

 俗に「芥川には長編小説の構成力がなかった」などと言われるが、芥川の短篇小説の構成力たるや凄まじく、さまざまな物語の型というものを読む中で、あれとこれとを語る順序、段取りを決めてお話を作る名人であると私は思っている。

 例えば『鼻』も元ネタの落ちの部分は一旦さらりと流して、全く違った話を拵えている。『羅生門』も『地獄変』も元ネタそのものは実に簡単なもので、話そのものは独自に練り上げたといって良い。

 あえて言えば『杜子春』と、

 それから『蜘蛛の糸』が、比較的換骨奪胎という感じがしないだけで、後は相当話を作り変えている。

 その芥川が『邪宗門』においては冒頭穏やかなアイドリングのように人物紹介をすることを嫌ったのだ。これは十分物語構造と云うものを意識した結果であろう。

パクるものはパクる

 
 しかし芥川はパクるものは見事にパクる。なかなか小器用だなと思われるこの下りと和歌。

 でございますから、御家の集にも、若殿様の秀句や名歌が、今に沢山残って居りますが、中でも世上に評判が高かったのは、あの良秀が五趣生死の図を描かいた竜蓋寺の仏事の節、二人の唐人の問答を御聞きになって、御詠みになった歌でございましょう。これはその時磬の模様に、八葉の蓮華を挟んで二羽の孔雀が鋳つけてあったのを、その唐人たちが眺めながら、「捨身惜花思」と云う一人の声の下から、もう一人が「打不立有鳥」と答えました――その意味合いが解せないので、そこに居合わせた人々が、とかくの詮議立てをして居りますと、それを御聞きになった若殿様が、御持ちになった扇の裏へさらさらと美しく書き流して、その人々のいる中へ御遣しになった歌でございます。

身をすてて花を惜しやと思ふらむ打てども
立たぬ鳥もありけり

(芥川龍之介『邪宗門』)

 これはそのまま『古今著聞集』から採られている。


日本文学大系 : 校註 第10巻 国民図書 1926年

 物語など所詮はサンプリングとリミックスの妙だと言わんばかりに大胆に、ここはかなりごっそりと元ネタが使われている。少々わかりにくいが、このネタは「或るところに法事ありけるに」で始まっていて、この歌は詠み人知らずである。

 またこの「磬(うちならし)」は「相対孔雀文磬」と呼ばれているもののようで、

 


 竜蓋寺にもあったかどうかは判然としない。「開山義淵法師の像」と「浮彫天人の磚(かわらけ)」というものがあつたらしいが、「相対孔雀文磬」に関しては解らない。


西国古寺めぐり 木村定次郎 著東亜堂 1920年

 この辺りの細工はまさに虚々実々のあわいを愉しむ感覚であろうか。アイドリング無しですっかり肩慣らしは出来ている。

(続く)



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