岩波書店『定本漱石全集』注解を校正する128 夏目漱石『道草』をどう読むか④ まだ気が付かないのか
気持でいるのである
パンクブーブーの漫才にボケ役が「行動」に移さず「思い」に留まるというネタがある。突っ込みは「思っただけ?」「しなかったんだ」と突っ込むことになる。
この文章は、そこまでふざけてはいないが、「気持でいるのである」では事実として「自分のする事が山のように積んである」のかどうかが解らない。いや、よくよく読むと「けれども実際からいうと」と「自分のする事が山のように積んである」のはまさに「思い」そのものであり、健三をイライラさせているものの正体は現実に山積みにされているモノなどではなく、自分自身の「思い」であることを話者は指摘している。
表現としてはかなり珍しいもので一見際どいが、実は正確な捉え方がされていて関心すべきところだ。ただ抽象的に書いているだけではない。
自分の性質だ
岩波はここで「神経衰弱」に注解をつけて、「神経衰弱」の説明をする。しかしここでは文脈から「神経衰弱」と呼ばれているものを「自分の性質だと信じ」ている健三の主張を拾うべきであろう。
漱石は確かに『坊っちゃん』から『明暗』に至るまで繰り返し「神経衰弱善人説」を説いてきた。漱石にしてみればこの時代に「神経衰弱」であることはむしろ真面なことであり、「神経衰弱」でない者の方がおかしいのだ、という理窟になる。
現代の医師は『行人』あたりの漱石を「うつ親和性素質者のうつ的反応」と診断する。
この「神経衰弱」と呼ばれること、「神経衰弱」と思われていること、に対する健三の考えはそのまま漱石自身の考えに当てはまるだろう。
ところで大昔、浅田彰が『科学的方法とは何か』という本で、頭がいいということはどういうことかとして「集合論が解ること」と云い「何かと何かの違いが解ること」と云い直し、「否定的言説に留まること」の意義を強調していた。
ある意味で簡単に何かを何かだと見出すことはインダクションであり、「丸め」になりかねない。
程度問題だが、消えた年金問題にせよ、マイナンバーの恣意的な運用にしても「丸め」の最も頭の悪い事例である。
片付けが出来ない人と云うのは本当の意味で何かと何かの違いを見出そうとするから片付けられないのであつて、それはそもそも神経衰弱ではない。なんでも「こいつ馬鹿」「はい、陰謀論者」と丸めてしまっていては複雑な話には堪えられない。
そりゃ12桁の運用より6桁の運用の方がシステムの負荷が少ない?
これ半分寝ているんじゃないんだよ。微かに起きているくらいは話だ。
他人にはどうしてそんな暇があるのだろう
今夏目漱石作品と芥川龍之介作品について、その曖昧なところを整理する作業を続けながら、やはり太宰治や三島由紀夫に手が回らないのが残念だ。とてもではないが時間が足りない。自分に残された時間について考えると本当にぞっとする。今日も『彼』について五回も記事を書きながら根本的な勘違いをしていたことに気がついて冷汗をかいた。たしかにあたかも守銭奴のように必死でかつ危うい。
そしてまさに「他人にはどうしてそんな暇があるのだろう」と思っている。腕立て伏せをする時間も惜しい。時間が惜しくて腕立て伏せのスピードがついつい速くなり、一向に筋肉がつかないので笑ってしまうくらいだ。
つまりそんな感覚になるくらい健三も気を詰めているということなのだろう。ここには余裕派と呼ばれた漱石の舞台裏の告白があるようにさえ思える。
しかし健三は飽くまで気が付かないのだ。
守銭奴
岩波は「守銭奴」に注解をつけて、
と説明する。ここは、
この「使おうとしない」というところにポイントがあるのではないか。例えば『文学論』はそれ自体現代でも大変参考になる立派な業績ながら、完成したとは言い難いものだ。俳句や写生文、英文学や趣味で聞いていた落語などの素養がまぜこぜに合わさって『吾輩は猫である』で吹き出すまでの間、漱石の中には物凄い貯金が出来ていたらしいことが高浜虚子とのやり取りに垣間見える。
異様の熱塊
この辺りで健三の生活はやはり漱石の生活とは乖離していく。しばしば『吾輩は猫である』と比較される本作において、交際は後に現れる一人の青年に限定される。漱石の交際は作家としては広く、木曜会などを設けて他日は面会謝絶などとやったとして小宮豊隆は平気でやってきていた。ここで漱石は敢えて健三に社交を避けさせている。
ただここで注解が必要なのはこの「異様の熱塊」であろう。後に漱石自身は維新の志士のような気持ちで書きたいと並々ならぬ決意を示す。その決意の種のようなものが教師時代の健三に与えたということなのだろう。
無論そうした成功者の立志伝みたいなものは大抵怪しい。三島由紀夫が二.二六事件事件の時に自分の運命を予感しただとか、村上春樹さんが群像新人賞を受賞すると確信していただとか、こういうのは嘘である。(三島由紀夫はノンポリで戦時中は「古今和歌集」を読んでいた。村上春樹さんは『ウォーク・ドント・ラン』では受かるとは思わなかったと発言しており、『職業としての小説家』で受かると確信していたと真逆のことを書いている。直近の記憶が捏造されるのは不味い症状だ。)
とりあえず漱石はこの教師時代の健三に「異様の熱塊」を与えた。
熊本時代の漱石について考えた時、確かに早くからそう云うものがあったのかもしれないという感じもなくはない。
とりあえずダミアン・フラナガンの書いていることは滅茶苦茶である。
教育が違うんだから仕方がない
岩波はここで、
と注解をつける。
ひとたび『道草』を離れてこの「教育」について考えてみると、これまで主人公の兄弟たちはそこそこの教育を受けて来たことに気が付く。『坊っちゃん』の「おれ」の兄も商業学校を卒業して九州で就職する。『虞美人草』の主人公は誰なのか決めがたいが、かりに舞台の中央を占める藤尾を主人公とした時、甲野一は「哲世界と実世界」と云う論文を出して大学の文科を卒業した哲学者である。『それから』の長井誠吾は学校を卒業して父の関係している会社に勤めている。姉は外交官に嫁いだ。『門』の小六も大学に進む。『彼岸過迄』の登場人物の男性の殆どが高等教育を受けている。『行人』の長野一郎は大学の教師らしい。『こころ』の「私」の兄も大学を卒業して九州で忙しくしている。
そうして並べてみると改めて『道草』の姉と長太郎がさも教育を受けていなさそうな感じが際立つ。実際の夏目家では姉はさておき、死んだ長兄・大助は教育を受け通り、生き残った直矩も逓信省の初期なのでそれなりの教育を受けていた筈である。
なのに敢て長太郎はそうでない設定にした。実はここで「教育が違うんだから仕方がない」と云わせているのはふりで、本当の所は「捨て子なんだから仕方がない」ということなのだろうと思う。
しかし誰も十二支と九星のロジックが理解できないのだから仕方がない。
[余談]
それにしても個人情報保護委員会って仕事をしていないね。
この報告が令和5年3月 29 日。つまり今回の件もいつ片付くことやら。
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