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谷崎潤一郎の『あくび』を読む  日露戦争でケチがついた

 これも今では「なんのこっちゃ」という話になってしまうが、庄司薫が『赤頭巾ちゃん気をつけて』でティーンエイジスカースという技法を駆使したとき、旧世代の人間はみんなひっくり返って腰を抜かし、一部では強烈な拒否反応もあった。サリンジャー盗作疑惑とか、そんな馬鹿げた論争もあり、それから意識の流れとか、自分語りの危うさとか色んなことが言われる中で、もう一度文語と口語が見直されるようなきっかけとなるかと思いきや、庄司薫は四部作であっさり総退却してしまったがために、ティーンエイジスカースは徐々に新しい若者によって、繰り返し試みられるに留まった。消えたわけではないが、主流にはならなかった。大抵はみなかしこまって、「私は…」とか「彼は…」と書いていた。その「ちょっと相当に」とか「なんというかその」とか「という感じがしてしまうものなんだ」という言い回しは、『時計仕掛けのオレンジ』のナッドサットのように伝承されることもなく、どこかに消えてしまった。それでも宇佐美りんの小説に「あたし」などという文字を見かけると、私は「はっ」としてしまう。
 そんな私は明治四十五年に発表された『あくび』にやはり「はっ」としてしまう。

 己は此れから、あくびの話をしようと思つている。という書き出しの賺しも虚をつくが、

 一體われわれの連中はしん猫とか、センチメンタルとか、ロマンチックとか、云ふやうな柄ぢやないんだから。(谷崎潤一郎『あくび』)

 柄ぢやないんだから。の語尾は珍しい。青空文庫に類似の文体はない。いや読んで貰えると解るのだが、この『あくび』は確かに飄々とした若者言葉の調子を持って書かれている。しかも一人語りで、語るそばから語られている言葉を意識している。


 己は先刻から、頻りに連中々々と呼んで居るが、どうも連中と呼ぶより外に、適當な言葉が見當たらない。(谷崎潤一郎『あくび』)

 これは殆どティーンエイジスカースではないか。無論少々古めかしい部分がないとは言えないが、もしそれ以前を「真面目」とするならば、少なからず崩しの意図のある「ふざけ」の文体である。話は学生同士の馬鹿話である。時代の風俗である。学生同士の遊びやたわいもない話、筋という筋がなく、さまにならない話が会話中心に進められる。陽気で剽げている。一言で言ってしまえば、『あくび』は学生たちのさまにならない青春群像である。薫君なら、マイッタ、マイッタと言うだろう。しかし例によって谷崎はどうもそうでないものを忍ばせる。

全體此れだけの人數が、急坂の上から石ころを轉がすやうに、ごろごろと止め度なく墜落し始めたのには、何か原因がある筈なんだが、可笑しな事には、誰に聞いて見ても、ハツキリした記憶を持つてる奴がない。此れ程の騒動を見事にやつて除けて置きながら、皆頭が惡くなつて、ぼんやりと気抜けがして居る。(谷崎潤一郎『あくび』)

 作中、原因は一つだけ明らかにされている。堀内は馬に舐められてからケチがついたとされる。授業を終え大学の正門を出てあるいていると、うしろからこっそり肩に手をかけた者がいる。それが実は手ではなく馬だった。呑気な馭者がそのまま笑って眺めていた。それ以来堀内は女にもてない、遊びに行けば喧嘩を売られ、女将から勘定の支払いを強談される。焦れば焦るほどへまを演じた揚句借金で首が回らなくなり、遂に今日の如く尾羽打ち枯らしたのである。
 他の者の落ちぶれる原因は解らない。しかし村田は「炬燵にもぐつて伸びをしながら」不意にこんなことを言いだすのだ。

「私や今日本海海戰記を讀んで見たが、彼の時は日本は危なかツたんぢやなア。」(谷崎潤一郎『あくび』)


 作中誰かが明確にあくびをする場面はない。村田は「炬燵にもぐつて伸びをしながら」とあるのであくびをしたとすればここしかない。これは谷崎潤一郎がポストイットを張ったような仕掛けである。つまりこの何気ない一言がこの作品の隠れた主題なのである。そう気が付いてしまうと、ロシアから喧嘩を売られ、債権の勘定の支払いを強談される。焦れば焦るほどへまを演じた揚句借金で首が回らなくなり、遂に今日の如く尾羽打ち枯らした日本、日露戦争で疲弊したニホンが見えてこないだろうか。細石の巌となりての筈が、急坂の上から石ころを轉がすやうに、ごろごろと止め度なく墜落し始めたのは日露戦争でケチがついたからではなかったか。

 さうして、往事を回想しては「彼の時分の事を考へると、まるで、気違ひの沙汰だね。」
 なんかんと、脂下がつている。まさに絢爛を過ぎて平淡に入つたものだろう。(谷崎潤一郎『あくび』)

 この結びは表面的には学生時代のさまにならないあれこれのできごとを指している。しかし「炬燵にもぐつて伸びをしながら」に気が付いてしまうと、どうしても「彼の時分」と「彼の時」が重なって見える。そうでなければ何も不意に日本海海戰記など持ち出すことはないのだ。何度もあくびのシーンを描けばいいのだ。「ハツキリした記憶を持つてる奴がない。」などと若者言葉の音便を捉えながら、あくびを隠す。谷崎潤一郎はちょっと相当に油断がならないという感じがする奴なんだ。

 






【余談①】『あくび』の言葉とか

しん猫 ① 男女がさしむかいで、むつまじく語らうこと。また、そのさま。 ... ② 静かでしんみりしていること。また、そのさま。

女義太黨 たれぎだとう 女義太夫の淫を売るものをいふ

向陵 旧制第一高等学校の別名
健児
娯樂園 根津娯樂園


袂糞 たもとの底にたまる、ごみ。

邊陬 へんすう 国の中心から遠く離れていること。 かたいなか。 辺垂。

Minnedienst    名誉ある女性のための宮廷奉仕する騎士の主義?

篠突く を突き立てるように、大粒の雨が激しい勢いで降るさまをたとえていう語。 ② 矢がを束ねたように何本もつきささって立っているさまをたとえていう語。

軟談 「軟談」と云ふ言葉は、杉浦の發明した熱語で、だんだん其の「軟談」に參加する徒黨の數が殖えて來た。

江知勝


豊國 (・・?

怏々 楽しまないさま。 不平なさま。 不愉快そうなさま。
濺ぐ そそぐ

北村四海

瓢箪鯰 ぬらぬらしてなかなかつかまえることのできないこと。 転じて、ぬらりくらりとして要領を得ないさま。 [2] 歌舞伎所作事。 長唄・常磐津。
浩歎 ひどくなげくこと。
杯盤狼藉 さかずき・さらなどが散乱している様子。酒宴の乱れ果てたさま。
お茶屋 東京のかつての待合に相当する業態。待ち合わせや会合のための場所を提供する貸席業。
飯田町の富士見楼 飯田河岸の富士見楼
新戸部校長 新渡戸稲造校長 明治39年、一高校長に就任。大正2年まで在職。 それまでの「一高篭城主義」に対立する「ソシアリティ」を説き新風を吹き込んだ。
鹽谷教授 鹽谷青山?
甚句 民謡の一種。 主に、七・七・七・五の四句形式。
雛妓 おしゃく
よいやさ 合いの手囃子言葉
短兵急 にわかに行動を起こすさま。だしぬけ。
發頭人 最初に事を企てた人。 好ましくない事に関して用いることが多い。 張本人。 首謀者。
浩澣 物などの量の多いこと
大册 たいさつ 紙数が多くて厚い書物。
おかちん 餅の女性語。
ツヨール 淋病の薬か?

大盡 ①大金持ちの人。財産家。②遊里で豪遊する金持ち客。
蟄息 蟄居屏息 外出せず家の中で息をひそめて隠れていること。

【余談②】で何が言いたいかというと

 よく母国語という言葉を聞きますが、あれは音、会話なんですね。しかし私はおそらく私は音としての日本語より長い時間、文字としての日本語に接してきたので、多分翻訳された谷崎文学では解らないところが理解できるんじゃないかと思うんです。本文中でも書きましたが「ハツキリした記憶を持つてる奴がない。」は、他の作品なら「明瞭な記憶を持つて居る者がいない。」と書かれていた筈なんです。「居る」であって「る」じゃあないんです。

 この感覚で読んでいくと、あれっとおもうことがあるのですね。明日、『續惡魔』について書こうかなと思いますが、多分これまでそんなことは誰も書いてこなかったんじゃないかなという感じの事を書いてしまいそうです。絶対に単なる逆張りではなくて、私の日本語感覚の一番真っ当なところを正直に書いてみようと思います。


 うーん。解らん。

 解るような解らないような…

 ペン部隊→ 大政翼賛会→ 日本文学報国会ね。


アッバース朝アルムタワッキルの時代にバヌーハニーファがエジプトに移住した(;゚Д゚)


 何時寝るのかな?

だから年金ってそもそも戦費捻出のためのもので、
年金は改正とか特例が複雑で
官僚は説明できないの。

これわざとですやん。外注先を無駄に増やして、ばらばらに処理しているので、年金の免除申請とか四か月も遅延でっせ。年金が貰えるとか貰えないの話ではなくて、組織としてあかんやん。

痛い (>_<)


痛い (>_<)

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