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芥川龍之介の『歯車』をどう読むか61 兼 芥川文学の本質② 喜劇作家芥川

 たった今気が付いたことがある。

 こんなことを書きながら、気が付いていなかった。

 僕はやつと「今昔物語」の本來の面目を發見した。「今昔物語」の藝術的生命は生まなましさだけには終つてゐない。(野性)の美しさである。

 「今昔物語」は前にも書いたやうに野生の美しさに充ち満ちてゐる。其又美しさに輝いた世界は宮廷の中にばかりある訣ではない。

 若し又紅毛人の言葉を借りるとすれば、これこそ王朝時代のHuman Comedy (人間喜劇)であらう。僕は「今昔物語」をひろげる度に當時の人々の泣き聲や笑ひ聲の立昇るのを感じた。

(芥川龍之介『今昔物語に就いて』)

 芥川の文芸の基礎が講談の速記本にあるとして、小説の元ネタそのものは『今昔物語』に始まることは否めないだろう。昭和二年になって書かれたと思われるこの『今昔物語に就いて』は、今になって『今昔物語』を人間喜劇として捉えなおすところに主眼が置かれていると読んでいいだろう。

 つまり過去の振り返りをしているのではなく、今更捉えなおしているのだ。

 僕等は時々僕等の夢を遠い昔に求めてゐる。が、王朝時代の京都さへ「今昔物語」の教へる所によれば、餘り東京や大阪よりも娑婆苦の少ない都ではない。成程、牛車の往來する朱雀大路は華やかだつたであらう。しかしそこにも小路へ曲れば、道ばたの死骸に肉を爭ふ野良犬の群れはあつたのである。おまけに夜になつたが最後、あらゆる超自然的存在は、—— 大きい地藏菩薩だの女の童になつた狐だのは春の星の下にも步いてゐたのである。修羅、餓鬼、地獄、畜生等の世界はいつも現世の外にあつたのではない。

(芥川龍之介『今昔物語に就いて』)

 過去形ではない。

 そう気が付いてみてこそ『今昔物語に就いて』で書かれていることは聊か奇妙なのだ。例えば「野生の美しさ」は『羅生門』に当てはまるかもしれない。「人間喜劇」は『鼻』であろう。『歯車』には「野生の美しさ」というものがない。ただし、

彼等は目のあたりに、——或は少くとも幻の中にかう云ふ超自然的存在を目擊し、その又超自然的存在に恐怖や尊敬を感じてゐた。

(芥川龍之介『今昔物語に就いて』)

 超自然的存在を目擊し、その又超自然的存在に恐怖や尊敬を感じてゐたという意味においては、まさに『今昔物語』的世界の話でもある。いや、『歯車』こそが修羅、餓鬼、地獄、畜生等の世界が現実を侵食する最も超自然的小説であると言ってよいかもしれない。

 廊下はきょうも不相変らず牢獄のように憂鬱だった。僕は頭を垂れたまま、階段を上ったり下りたりしているうちにいつかコック部屋へはいっていた。コック部屋は存外明るかった。が、片側に並んだ竈は幾つも炎を動かしていた。僕はそこを通りぬけながら、白い帽をかぶったコックたちの冷やかに僕を見ているのを感じた。同時に又僕の堕ちた地獄を感じた。「神よ、我を罰し給え。怒り給うこと勿れ。恐らくは我滅びん」――こう云う祈祷もこの瞬間にはおのずから僕の脣にのぼらない訣には行かなかった。

(芥川龍之介『歯車』)

 何階段の上り下りでコック部屋入っとんねん。そらコックも驚くわ。そこは地獄やのうてコック部屋や。

 ……例えばそういちいち突っ込んでしまえば、これは人間喜劇なのではなかろうか。『羅生門』においても裸に剥かれた老婆を「いいざまだ」とからから笑えばいいのではなかろうか。

 三十分ばかりたった後、僕は或ビルディングへはいり、昇降機リフトに乗って三階へのぼった。それから或レストオランの硝子戸を押してはいろうとした。が、硝子戸は動かなかった。のみならずそこには「定休日」と書いた漆塗りの札も下っていた。僕は愈不快になり、硝子戸の向うのテエブルの上に林檎やバナナを盛ったのを見たまま、もう一度往来へ出ることにした。

(芥川龍之介『歯車』)

 東京にレストランが一つしかないわけもない。なんならあいているレストランはいくらでもあるだろう。これは腹が減っているのにわざわざ定休日の店に行って喰いそびれるというボケなのではなかろうか。

 あるいは『地獄変』娘が焼き殺されるというすさまじい設定に気をそらされるが、案外堀川の大殿の苦笑が落ちであり、そこは笑ってもいいのではなかろうか。

 それまでは苦い顔をなさりながら、良秀の方をじろ/\睨めつけていらしつたのが、思はず知らず膝を打つて、「出かし居つた」と仰有いました。この言を御聞きになつて、大殿様が苦笑なすつた時の御容子も、未だに私は忘れません。

(芥川龍之介『地獄変』)

 仮にそう考えてみた時、今更『今昔物語に就いて』で確認された人間喜劇という性質はデビュー当時から明確に言語化されないまでも芥川を惹き付けていたものであり、昭和二年になってなお芥川文学の核をなすもの、芥川の本來の面目でもあったのではなかろうか。

 私はこれまで繰り返し『歯車』はまもなく自殺する精神異常者の単なる苦悩の告白などではありえないと主張してきた。そこを一歩進めて、喜劇作家芥川のスラップステックスの一つであると認めてよいように、たった今思いついた。そう書こうとして書いているうちに三十分くらい経過した。

 時間の経過は早い。思考はどんどん進んでいるのに。

 芥川が『今昔物語』の本來の面目をやっと発見したのが昭和二年。そんなことを私が書いているのが令和六年。この文章が誰かに届くのはいつのことであろうか。

 「ふーん」の文学史はいつまで続くのだろうか。



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