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石原千秋の『三四郎』に関する読みの水準について③ 全然足りない
色を隠しているのに気がつかない
石原千秋は「着物の色は何と云う名か分からない」という『三四郎』の一節を引いた後、美禰󠄀子に対する記述が類型的ではない、美禰󠄀子の「肉体」に読者の関心が集中するように書かれている、と指摘する。
ふむ。
つまり、『三四郎』が『野分』の悪戯を経ていよいよ「何色か良く解らない話」なのに「色の出し方がなかなか洒落ていますね」と評される絵画的作品であることを見逃している。
まあ、ほかにもたくさん。
野心のなさ
三四郎の世間知らずぶりは、彼の野心のなさにも現れている。いや、三四郎にも「野心」はある。しかし、それは「国から母を呼び寄せて、美しい細君を迎えて、そうして身を学問にゆだねるにこしたことはない」というちっぽけなものでしかない。当時の青年は三四郎のようにのほほんと生きることを期待されていなかった。おそらく、三四郎の「野心」のちっぽけさは、当時の青年への期待のパロディだったはずだ。
石原はこう書いているが「お光さん」と三四郎が結納または婚約したとみているならば「国から母を呼び寄せて、美しい細君を迎えて、」は落ちのためのふりであろう。そして「身を学問にゆだねる」ことは「ちっぽけ」な「野心」であり「のほほんと生きる」ことなのであろうか。
どの時代にあっても本来の学生にとって「身を学問にゆだねる」ことこそが最大の野心であるべきではないか。
しかし石原は功名心に燃えねばならぬとする当時の言説を引いて、三四郎の野心を小さく見せてしまう。
そして、
東京帝国大学に進学した超高学歴から期待されるような青年像ではないことだけは確かだ。
このように三四郎の超高学歴を持ち上げてしまう。
講義内容から察するに三四郎は文科である。『それから』『彼岸過迄』の執筆時期、世間では松本恒三ではない高等遊民が社会問題化していた。それは「高等教育を受けながら職に就けない人(男)」」のことである。
実際代助はともかく田川敬太郎は職探しに奔走してくたびれて須永市蔵に斡旋を頼むのだし、あの芥川龍之介でさえ将来を悲観していた。
法科ならともかく、文科ではそろばんをぱちぱちやるか、教師になるかくらいの選択肢しかなかったのである。いや、本当になかったかどうかは別として「高等教育を受けながら職に就けない人(男)」というものはたくさん存在していた訳である。
この点当時の言説を引きながらではあるものの、野心のなさの指摘はむしろ学歴社会というものが完成された現代的視点過ぎないだろうか。
[余談]
石原は『それから』『行人』『こころ』の結末を捉えきれていない。
明示されていないところながら、『それから』の代助は水天宮あたりから小一時間で引き返すよりほかはないように思われ、
解りにくいが『こころ』の結末は確かにある。
そして『行人』の一郎は死に、二郎は反省している。
この人も生きているうちに早くやり直してほしい。死んでしまえばもうやり直せない。
誰か知り合いがいたら注意してやってくれないか。
石原千秋は早稲田か。
誰かいないのか、早稲田の人。
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