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たかられて小銭渡すや超河童 芥川龍之介の俳句をどう読むか193

世界戦争後の改造文学の超国家性 

  まずこれが俳句かどうか意見は分かれるところであろう。私はこれは俳句ではないと思う。  

 改造文学は、芥川の死後さらに盛り上がり、そして世界戦争後には、ほぼ消えた。大正十四年、芥川のところに失業した労働者が三人やってきて金をせびっている。当時は資本主義も社会主義も雑な時代で、少しでも金のあるもので社会主義に理解のある人間は労働者から金をせびられるのが珍しくなかったようだ。

 しかし資本主義などまだ黎明期であり、日露戦争後から失われた何十年かの中にいた芥川は純粋に、この社会の形がより公平で「ある程度みんながしあわせになれるもの」に変わるべきであり、きっといつかはそうなるのだろうと考えていたのかもしれない。馬鹿を軽蔑していたことも亦確かだ。

十月一日
百不識者の然々は一識者の否々に若かず。
見る所少なければ怪しむ所多し。
下士は道を聞いて乃ち大に之を笑ふ。
若夫浅薄固執の人之を為して是の如く明日之を為して亦之の如し。即ち終身之を為して亦是の如きに過ぎざる者は印版の画なり。
 鄙吝満快 浅嘗薄植
人の学を為す貴きことを志を立つるに在るを若し先づ其志を隳さばその為さゞるの逸なるに若かじ。

(我鬼窟日録)


 徳川時代は終わった。西欧は無茶苦茶な戦争を仕掛けてきた。そんな時代にあって芥川少年は海軍の将校になることも考え、漢文か英語の学者になることも考え、ねじれねじれて作家となった。大正デモクラシーに飲み込まれた晩年には、社会主義にもシンパシーを感じていた。要するに失業した労働者に小金をやるくらいの、問題意識はあった。

「ふん、君はこの国でも市民になる資格を持っている。……時に君は社会主義者かね?」
 僕はもちろん qua(これは河童の使う言葉では「然しかり」という意味を現わすのです。)と答えました。
「では百人の凡人のために甘んじてひとりの天才を犠牲にすることも顧みないはずだ。」
「では君は何主義者だ? だれかトック君の信条は無政府主義だと言っていたが、……」
「僕か? 僕は超人(直訳すれば超河童です。)だ。」

(芥川龍之介『河童』)

 しかし芥川はいわゆる社会主義者ではなく、階級闘争とか平等などという概念に興味はなかったように見受けられる。社会は変革されるであろうし、世界戦争は起こるだろうと予測していた。

 ここで芥川が詠んでいるのは現実化した第一次世界大戦だけのことでもなかろう。世界戦争、特に日米戦争は日露戦争後から国外で日本脅威論として始まっていたもので、第一次世界大戦はまたそのくすぶりでしかない。

世界戦争後の改造文学の超国家性 

 こういわれてみて改めて芥川が世界戦争によって「超国家的な何ものか」が現れることを予測していたことが興味深く感じられる。超河童といい超国家と云い、それはつたない概念に違いない。それでも芥川がその後のプロレタリア文学の盛衰を見ず、現代の日本のありさまを知らないこと、その時代の隔たりこそが興味深く感じられるのである。
 昨日死んだ人は今朝の新聞は読めない。 
 失業した労働者に金を渡していた芥川が、(アメリカに云われるままに?)ウクライナに何兆円も渡す日本を見てどう思うだろうか、などと考えてもしょうがない。
 しかし今日生きている人間は百年前の誰かの言葉を読むことができる。あの時彼はこんなことを思っていたんだなと考えることができる。わざと古めかして時代性を見せない芥川の言葉の中で、

世界戦争後の改造文学の超国家性

 これはついつい時代が出た珍しい言葉だ。しかし俳句ではないな。


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