『彼岸過迄』を読む 4380 漱石全集注釈を校正する⑦ 「雷獣」はムササビなのか?
岩波書店『定本 漱石全集第七巻 彼岸過迄』注解に、
……とある。
高等遊民の注解に関しては、まず漱石が再定義した文字通りの高等遊民の説明をして、社会問題化していた「いわゆる高等遊民」、つまり高等教育を受けながら職に就けない者の説明を欠いている点を指摘した。それは前者が松本恒三なら、後者が前半の田川敬太郎にあたるという設定を理解することが重要だと考えたからだ。
この「雷獣」に関する注解は二つに分かれていて、
①落雷とともに地上に落ち、樹木や人畜を荒らすという想像上の怪物。
……という字引通りの注釈が、
②江戸時代から「雷獣」と称して奇妙な形のけもの(実際にはムササビなどであったという)を見世物にして客を集めることがあった。朝倉無声『見世物研究』(昭和三年)にその記録がある。
……という独自研究により膨らまされている。
この雷獣について調べて行くと、いくつか意外な点が見つかる。要点を挙げると、
・あまり大きくない
・結構食べられている
・貂とする説が多い
ウィキペディアはさすがに諸説をかき集めており、その中で雷獣の正体として挙げられているものは、
ハクビシン
テン
モモンガ
イタチ
ムササビ
アナグマ
カワウソ
リス
……などであり、見世物にされていたものとしては、ハクビシン、アナグマが挙げられている。
さて問題のムササビであるが、この説明では、
②江戸時代から「雷獣」と称して奇妙な形のけもの(実際にはムササビなどであったという)を見世物にして客を集めることがあった。朝倉無声『見世物研究』(昭和三年)にその記録がある。
……という記録は記録として、網羅性が足りないというよりは、「雷獣」をあまりに可愛い生き物にしてしまわないかという心配がある。
まず「雷獣」はムササビではない。
何故なら「雷獣」漢土で食べられており、ムササビは日本固有種だからだ。
その点でも、おそらく「雷獣」は単独モデル説に押し込められるものではなく、「雷獣」に括られる生き物は複数あったことが考えられる。生き物の分類は昔はかなりいい加減だったからだ。
一般には十二支の中で想像上の生き物は龍のみとされているが、実際には羊も虎も想像上の生き物だった。
そういう意味では「雷獣」も正体の不確かな生き物である。私はここで漱石がももんがと書かず雷獣と書いた意図を、
・さして大きくない
・正体不明(不気味)
……と見ている。そういう意味では、見世物にされていたムササビの一例を持って話を膨らませ、「雷獣」のイメージを小さくしぼませてしまうのはどうなのだろうか。
注解の役割が「解り難いところを解りやすく説明する」ことだとして、
②江戸時代から「雷獣」と称して奇妙な形のけもの(実際にはムササビなどであったという)を見世物にして客を集めることがあった。朝倉無声『見世物研究』(昭和三年)にその記録がある。
……ではムササビの説明になっているので、
江戸時代から「雷獣」と称して奇妙な形のけもの(実際にはハクビシン、アナグマ、ムササビなどであったという)を見世物にして客を集めることがあった。
……とすべきであろうか。
ウィキペディアから漏れている要素として、
・結構食べられている
……と云う点もぜひ加えたい。
[余談]
漱石全集注釈を校正するというかなり無茶をしているのに、ほぼ何の反応もないのは、
・そもそも関心がない
・正しいとは思わない
・よく分からない
……のうちどれなんだろう。
赤い煉瓦が帝国大学でも上野駅でもどうでもいいといえばどうでもいいことなのだが、そういうところをみていかないと、
こんなことになってしまうと思う。『彼岸過迄』で論文を書いた人にとっては、結構重要な指摘をしていると思うんだけど。そんな人はこの世に存在しないのか?
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?