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三枚とも同じということは 芥川龍之介の俳句をどう読むか23

元日や手を洗ひをる夕ごころ

 それにしても何故芥川の俳句には季節感がないのだろうか。師、夏目漱石も傍から見ると途轍もなくおかしな、いわゆる奇行というものがあり、神経症とこの奇行だけは芥川龍之介は確かに漱石から受け継いだようだ。

 娘が死んで鯛が送られて来れば大抵の人は驚くだろう。

澄江堂來る。元旦の句かきくれるようたのむ。

(室生犀星『庭を造る人』)

 室生犀星が芥川にこう頼んだのは大正十四年十二月二十六日。師走のことだ。

午後かへれば澄江堂より短冊とゞけり。三枚とも同じ「元日や手を洗ひをる夕ごころ」な一枚を軸にかけ二枚をかへすこととす。村井武生來る。澄江堂に行く。不在。

(室生犀星『庭を造る人』)

 

庭を造る人 室生犀星 著改造社 1927年

 大正十四年十二月二十九日に短冊が届く。この「三枚とも同じ」、というところに味わいがある。室生犀星の依頼が「元旦に詠んだ句をくれ」ではなく、「元旦に飾る句をくれ」だったとして「夕ごころ」はもう元旦の句でも何でもない。

 元旦、室生犀星宅を訪れた客は、

元日や手を洗ひをる夕ごころ

 という軸を見て、

「…………。(お前らが帰ったら手を洗うからさっさと帰れということ?)」

 と、途方に暮れるだろう。この句は元旦に眺めてしみじみする句でもないし、元日に詠まれた句でもない。その辺りのことを勘違いする人が大勢いるのはある意味仕方のないことだが、ここでは室生犀星という天然の詩人と、少し意地の悪い芥川の仲の良さを見なくてはなるまい。これが萩原朔太郎宛なら喧嘩になるところだ。

 しかし室生犀星はこの句を軸にする。そして「師走日録」と題した記録からは、当然のように大正十五年元旦の出来事は省かれている。誰ぞやはどこかに、「元旦に室生犀星の家を訪ねたら……」と途方に暮れた話を書き残しているかもしれないが、そこはもういいだろう。「三枚とも同じ」でこの話は充分落ちている。



【余談】

 久保田万太郎 これも多言を加ふるを待たず。やはり僕が議論を吹つかければ、忽ち敬して遠ざくる所は室生と同工異曲なり。なほ次手に吹聴すれば、久保田君は酒客なれども、(室生を呼ぶ時は呼び捨てにすれども、久保田君は未だに呼び捨てに出来ず。)海鼠腸を食はず。からすみを食はず、況いはんや烏賊の黒作り(これは僕も四五日前に始めて食ひしものなれども)を食はず。酒客たらざる僕よりも味覚の進歩せざるは気の毒なり。

(芥川龍之介『田端人』)


このわた、からすみ、烏賊の黒づくりが食べられるなら、虫も食えそうだ。


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