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『三四郎』の謎について32 「このあいだのもの」とは何か?

 夏目漱石の『こころ』が好きだとして名刺代わりの小説十選の一冊として挙げる人がいる。夏目漱石の『こころ』を読んだと言い張る人はたくさんいる。あなたもそんな一人では? ではKの髪形を覚えていますか?

  こんなイメージですか?

 それとも、

 こうですか?

 実際はこうです。

「私は突然Kの頭を抱えるように両手で少し持ち上げました。私はKの死顔が一目見たかったのです。しかし俯伏しになっている彼の顔を、こうして下から覗き込んだ時、私はすぐその手を放してしまいました。慄っとしたばかりではないのです。彼の頭が非常に重たく感ぜられたのです。私は上から今触った冷たい耳と、平生に変らない五分刈りの濃い髪の毛を少時く眺めていました。私は少しも泣く気にはなれませんでした。私はただ恐ろしかったのです。そうしてその恐ろしさは、眼の前の光景が官能を刺激して起る単調な恐ろしさばかりではありません。私は忽然と冷たくなったこの友達によって暗示された運命の恐ろしさを深く感じたのです。(夏目漱石『こころ』)

 五分刈りです。

 そしてこの場面でも例によってあえて書かないというレトリックが駆使されていますね。

 この場面を引き合いに出して、恐怖の表現において、その対象そのものを如実に描き出す方法と、それを見た人間の反応を描くことによって間接的に描き出す方法の二種類がありますねなんて、したり顔で語る人がいたら馬鹿です。そんなもの二種類でなくていくらでもあります。

 現に「そうしてその恐ろしさは、眼の前の光景が官能を刺激して起る単調な恐ろしさばかりではありません。」と漱石が書いているように、ロジックが導く恐怖というものもあるわけです。

 Kが五分刈りだと覚えていなかった人は、Kの死に顔がどんなだったかと想像もしていないでしょうし、恐らく轢死体の顔のロジックも読めていません。夏目漱石の『こころ』が好きだという人の殆どが、実は夏目漱石の『こころ』を読んでいないのです。小泉構文みたいですが、これは本当の事です。

 あなたは夏目漱石の『こころ』を読みましたか?

 読まないまま死にますか?

 台所からばあさんが「どなたかちょいと」と言う。与次郎は「おい」とすぐ立った。三四郎はやはりすわっていた。
「どれぼくも失礼しようか」と野々宮さんが腰を上げる。
「あらもうお帰り。ずいぶんね」と美禰子が言う。
このあいだのものはもう少し待ってくれたまえ」と広田先生が言うのを、「ええ、ようござんす」と受けて、野々宮さんが庭から出ていった。その影が折戸の外へ隠れると、美禰子は急に思い出したように「そうそう」と言いながら、庭先に脱いであった下駄をはいて、野々宮のあとを追いかけた。表で何か話している。
 三四郎は黙ってすわっていた。(夏目漱石『こころ』)

 小説を読むということ、特に夏目漱石作品を読むというのはこういうことだと思っています。

 こういうこと?

 どういうこと?

 この引用文の太字で気が付きませんか。ああ小説を読むというのはこういうことかと。

 まず「三四郎は黙ってすわっていた。」は解りますよね。これは野々宮が出て行ったのを美禰子が追いかけたことに対する三四郎の嫉妬心を表現していますね。別に三四郎はなにかしたわけではないんですよ。表情すら変えていません。「三四郎は黙ってすわっていた。」というのは特別な動作ではないので無理に書かなくてもいいわけです。ただそれをあえて書くことによって、どういう仕掛けか、三四郎の感情が浮かび上がってきますね。こういう表現方法、見事と思いませんか。さりげなくて、センスがいいですよね。ここが伝わらないと読んだことにはならないわけです。

 意味がない描写になってしまいます。

 それからドサッに気が付きました? 

 なんだドサッって? ですか?

 先生はKの死顏が見えるくらいの高さまでKの頭を持ち上げて急に手を離したのでドサッですよね。

 カッカッカッは解りますよね。美禰子の下駄の音です。

 美禰子が野々宮に何の話をしたのか解る人はいますか?

 解ります?

 どうですか?

「随分遠いね。元来どこから登るのだ」
と一人が手巾で額を拭きながら立ち留どまった。
「どこか己にも判然せんがね。どこから登ったって、同じ事だ。山はあすこに見えているんだから」
と顔も体躯も四角に出来上った男が無雑作に答えた。(夏目漱石『こころ』)

 この二人の名前が出て來るのはずっと後です。最初の発話が甲野さん、答えるのが宗近君だと解る人がどれくらいいるものでしょうか。

 で、結局解ります?

 美禰子が野々宮に何の話をしたのか?

 これ、私には解りません。

 解らないように書いてあると思います。

 美禰子が野々宮に渡した手紙の中身にせよ、ここでの会話にせよ、具体的には解らないんじゃないかと思います。それでいてプレゼントを渡していたり、二人だけの会話があったりと、随分思わせぶりに書かれています。なかなか難しい言い方になるんですが、ここは漱石先生、具体的な台詞までは用意しないで、つまり答えを用意しないで書いているんじゃないでしょうか。

 では「このあいだのものはもう少し待ってくれたまえ」はどうでしょうか。

 まさか、解らない人はいないでしょうね。

 え?

 解らない?

 まさか。

 いえ、解らないでいいんじゃないでしょうか。この引用が四章、前後を確認してみてください。具体的には解らないと思います。調べものなのか、金なのか。ただ二人の関係性ではどちらも違うように思えますね。これも漱石が何かを書き忘れたのではなく、何かがあると思わせるだけという仕掛けだと思います。

 まあ、野々宮の捜しもの同様の謎と云ってもよいと思います。

 これは本当にまだ解らない謎です。明日解るかもしれませんが。

 解りました。

 やはり金ですね。

 答えは何と八章にあります。

 与次郎のなくした金は、額で二十円、ただし人のものである。去年広田先生がこのまえの家を借りる時分に、三か月の敷金に窮して、足りないところを一時野々宮さんから用達ってもらったことがある。しかるにその金は野々宮さんが、妹にバイオリンを買ってやらなくてはならないとかで、わざわざ国元の親父さんから送らせたものだそうだ。それだからきょうがきょう必要というほどでない代りに、延びれば延びるほどよし子が困る。よし子は現に今でもバイオリンを買わずに済ましている。広田先生が返さないからである。先生だって返せればとうに返すんだろうが、月々余裕が一文も出ないうえに、月給以外にけっしてかせがない男だから、ついそれなりにしてあった。ところがこの夏高等学校の受験生の答案調べを引き受けた時の手当が六十円このごろになってようやく受け取れた。それでようやく義理を済ますことになって、与次郎がその使いを言いつかった。
「その金をなくなしたんだからすまない」と与次郎が言っている。じっさいすまないような顔つきでもある。(夏目漱石『こころ』)

  これを八章に持ってくる辺りが漱石ですね。

 いや、金か、と解った後でも本当にそうなのかと四章から八章の間をぐるぐる読み返しましたよ。読み返してみると確かに金なんですね。

 それにしたってやりすぎな感じがします。だって金を借りたのは去年の話ですよね。よくもまあ、こんな書き方をするものです。だからこそ乃木静子の事が書けたんでしょうけど。

[余談]

 日々色んな事が起きていますね。その所為でみんな怒ったり、不満に感じたり、悲しんだり。そして他人の私生活に厭味を云ったり。そのなかで、内容があれなので引用は出来ないのですが、独特のネット文体が出来つつあるように思います。妙にねちっこい厭味たらしい文体が。

 所詮は人まねなんでしょうが、伝染していますね。











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