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夏目漱石の『イズムの効過』と芥川龍之介の『イズムと云ふ語の意味次第』をどう読むか①

 未来に引き延ばしがたきものを引き延ばして無理にあるいは盲目的に利用せんとしたる罪過と見る。
 過去はこれらのイズムに因って支配せられたるが故に、これからもまたこのイズムに支配せられざるべからずと臆断して、一短期の過程より得たる輪廓を胸に蔵して、凡てを断ぜんとするものは、升を抱いて高さを計り、かねて長さを量らんとするが如き暴挙である。

(夏目漱石『イズムの効過』)

 夏目漱石がこう書いたのは明治四十三年。これを芥川が読んだかどうかは、はなはだ怪しいと私は考えている。芥川は漱石の弟子と云えるほどの分量、つまり小宮豊隆のように夏目漱石作品の全てを丹念に読んでいたわけではなさそうだ。大正十三年に出た『漱石全集』を買った、読んだ、感動したという記録が見つからない。

又そのイズムと云ふ意味をひつくり返して、自分の内部活動の全傾向を或イズムと名づけるなら、この問題は答を求める前に、消滅してしまひます。それからその場合のイズムに或名前をくつつけて、それを看板にする事も、勿論必要とは云はれますまい。

(芥川龍之介『イズムと云ふ語の意味次第』)

 従ってこういうニアミスのようなことが起きうる。小宮豊隆が同じ題で書けば、夏目先生が述べられていたように、と書かれるであろうところを、すっと行き過ぎる。師も弟子もイズムにこだわりはなさそうだ。その点では悪魔主義の看板でのし上がった谷崎潤一郎とくらべればという程度の意味で、二人ともイズムのない作家といってよいだろうか。

 しかし二人のイズムに関しては様々に言われた。芥川は新古典派や新操作主義などと云われた。そのことはひとまず良しとしよう。
 問題は漱石が、『イズムの効過』の主張を裏付けるように、その作品ごとにスタイルを変容させたことだ。

 漱石はまず現在法の使い手であり、幻想的な作家とみなされた。『カーライル博物館』『倫敦塔』『趣味の遺伝』あたりは何が現実で何が空想なのか、その境目があいまいな作品であった。『吾輩は猫である』で余裕派と云われ、『草枕』で「非人情」と云われた。『三四郎』から『門』に至る過程でよりリアリズムに接近したとみなされ、『道草』では自伝的私小説を書いて自然主義に接近したと言われた。

 芥川が『虞美人草』や『草枕』を読んでいないとは言わないが、谷崎潤一郎と違って芥川が初期の漱石作品を熱心に読んだという記録もない。むしろ谷崎は『カーライル博物館』『倫敦塔』は別として、『草枕』から『明暗』までの作品に関しては確実に読んでいる。ではさて芥川はどの漱石作品から読み始めただろうか。

 この『寒山拾得』に関して書きながら、書き残したのは「これは現在法と云えるのではないか、まさにこれが漱石文学の継承ではないのか」ということだ。『寒山拾得』の時空は大正五年なのか明治四十一年なのかそれとも大正九年なのか、さっぱりわからない。そして『倫敦塔』の時空も解らない。

 これが技術の継承かというと、そんな感じが全くしない。『倫敦塔』の方は本質的に頭のおかしい人が書いているように思えるし、『寒山拾得』の方か後天的にたまたまおかしな状態が出たように感じる。それは漱石作品が「次第にまともになる」のに対して、芥川作品が「時々おかしなことを言いだす」ものであるからである。

 私は芥川が『倫敦塔』の時代の漱石作品を丁寧に読んでいたかどうかという点に関しては疑問視している。『イズムの効過』と『イズムと云ふ語の意味次第』のニアミスのようなすれ違いは、そういうところからきているのではないかと疑っている。

 漱石の『イズムの効過』では、人間は変化するからイズムでは測れないと主張しており、芥川の『イズムと云ふ語の意味次第』では自分の内部活動の全傾向を覆えないからイズムは必要ないと考えている。ニアミスのようで案外かみ合っていないのだ。
 今朝芥川は社会主義者ではないと書いたが、社会主義者的側面が芥川の全てではありえないと言い換えるべきか。同じ意味で漱石の弟子という肩書は芥川の中ではそんなに大きなものではなかったのではないか。

 そういう意味では小穴隆一の主張するような、「漱石の命日に死ぬことを決めていた」「漱石に殺された」という話も冷静に見直した方がいいのかもしれない。

 人間はいろんなことを考える。漱石の為には死ねなかったんじゃないかな。


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